昨日には「人の罪の世界」の話を交えましたが、
日本に生きていて、親や人との対話でタブーだとされる事が多いなと幼い時から感じていました。
そう思うのは私だけかも知れませんが、
それもまた母親の言葉の呪縛かも知れません (^^;)
「そんな話、しなさんな!」「人に話したらアカンよ」
「誰にも言いなや!」「あんただけに言っとくけど」
こんな言葉をよく言われていました。
言った矢先に母親が話しているのを見ると、
なんで?と思ったりしていました (^^;)
大人になって行くほどそれは間違いかもしれないなと思ったり、
それでも何を話して良いのか、駄目なのかに
迷ったり悩んだりする事もありました
何でも話せば良いかと思うようになっても
言葉の使い方や言い方でも変わるでしょう。
配慮や心配りや思いやりも必要でしょうね
素直が良いと言っても空気読まないといけないとか、
無神経でも行けない、
タイミングなど…何かと気をもみます。
世の中の空気もありますからね
たまに報道や情報番組でテーマとして取り上げられることもありますが
まだまだ意見交換やディスカッションするフラットな世の中でもありません。
直ぐに誰がこんな事言ったとか、その意見に刃が飛んでしまう世の中です。
直ぐに否定したり、決めつけたり、やじったりする事は駄目だと思うけど、
意見交換は人間の成長にも必要かなと思っている私です。
うちのオットは直ぐに決めつけるし、否定するし、
人の意見を受け入れませんから、そう思うのかも知れませんが、
そこから疑問もわいてきたんでしょうね (^^;)
センシティブで繊細な話題なんかもタブーですよね
死の世界もそうですが、亡くなる事、葬式の事
罪を犯す事、病気の事、命の事
性の事、セックスの事、お金の事……
私も親に聴けなかったし、子供に教えられていない事が多い。
自分に偏見が在るからかなと思ったりしたこともある。
何でもあからさまでもよくないかも知れないけど、
恥じらう、恥、慎ましやか、遠慮、耐え忍ぶ
そんな日本人の良いところが深くなり、
秘め事や秘密、隠し事、嘘…となって行ったんでしょうか。
ふつふつと色んな事が個人からカミングアウトされていく世の中だけど、
まだまだ世の中がついて行っていないのも問題ですね
多様化という事も人間が進化していく途中なので仕方ないですが、
やっぱり意見交換やディスカッションをする事で
理解しあえる世の中になればなと…。
そうじゃないと自分の中からも考えが出せないし、
人からの考えも聞けない。
それでは答えも大きなところから探せないとなるんでしょうね。
それが人間の迷いにもなり、煮詰まって行く事に繋がるのか。
大人の世界も心配だけど、
これからの子供達の世界がもっと心配
だから行動が爆発してしまっているのでしょう
昔では考えられない罪まで起きている世の中です。
教育が大切だと言われていますが、
その本質こそもっと討論する方が良いかと思うこの頃です (^.^)
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