映画「残酷で異常」の感想です。*ネタバレあり
アマプラでおすすめに出てきたから観てみたら、思ってた倍おもしろかった。
とはいえ、タイトルとメインビジュアルの感じから想像するのが35点ぐらいの映画なので、倍になっても70点ね。
たぶんこれ、観た人みんなが「もうちょい売りかた考えたらよかったのに…」と思うだろうし、「思ったより面白いから観て!」って人に言いたくなるんじゃないかな。
内容的には「謎が解き明かされていく」系のヤツなので、ネタバレを全く気にしない方か、すでに観た方だけ、このあとを読んでください。
いきなり「答え」から書いていきますので。
結論から言うと、これは典型的なハラスメント男が、死んでから自分の本当の罪を自覚させられる映画である。
すべてのハラスメント加害者がそうであるように、主人公のエドガーという男も最初は「自分はなにも悪くない」「あれは仕方のないことだった」「事故だ」と思っている。
本っっっ当に「オレは悪くない。こんなに責められるのはおかしい。むしろ被害者だ」と思っている。
しかし、彼は無自覚な加害者でしかない。
まず、彼が「愛をたくさん注いで大切にしてきた」と思っている妻 メイロンは、彼が金でフィリピンから連れてきた女性である。
彼は最後の最後まで「メイロンを心から愛している」というが、それは愛ではなく”自分が満足を得るための所有物に対する執着心”だ。
彼自身、自分が「モテない」ことを自覚しているので、「いつか逃げられる、取られる」という意識から、妻を家に閉じ込め、自由な行動を禁じる。
当然、妻は何度も「嫌だ」という意思表示をしていて、それは他人から見れば明らかなのだが、彼は気付かない。気付いたとしても「お前のためだ、黙れ」と言って押さえ付けることしかしない。
メイロンは、子供も一緒につれてきているので、子供の生活のためにも、エドガーの言うことをきかなければならない。
メイロンの息子 ゴーガンは、あるとき同級生に「お前の父親は、父親じゃない。ママとヤッてる白人男だ。ママは金でヤラせてくれるんだろ」といわれ、最終的にその子を傷つけてしまう。
この同級生の言葉は酷い。が、しかし事実である。
エドガーには、ゴーガンの父になる気などない。メイロンを自分の自由に所有し続けたいだけだ。
エドガーは、メイロンに相談なく、ゴーガンを遠いところに住む親族のところへ行かせることを決める。
しかも、それをゴーガンに告げ「ママもそう思ってる」と嘘をつく。
逃げ出した息子からその事を聞いたメイロンは、エドガーにそれを確認するが「話してたら勝手に逃げた」と言われ、彼を毒殺しようと決意する。
この決意は「どうしてもこの状況から逃げたい。もう限界だ」という、"突発的な攻撃"である。
後先考えたらやらない方がいいと完全に理解しているが、「嫌だ、止めてくれ」が勝ったということ。
ここまでずっと我慢してきて、何度も「嫌だからやめてくれ」という合図をしてきても無視されてきて、もうムリだと思ったから、普通ならやらない行動にでたわけだ。
当然、ハラスメントというのは「立場的に、強く反抗できない状況の相手」に対して行われることが多い。
そして、ハラスメントをする側の人間は「相手が自分を受け入れている」と思っていたり、「自分の言う通りにするのが相手のため」と思っていることが殆どだ。
だから、非難されたとき「そんなに嫌がってるとは思わなかった」「冗談だった」「みんなもやってるから、いいと思った」「親しみの表現だった」「相手も悪かった」等と言う。
そして、「わかりました、相手に嫌な思いをさせたことは謝ります」とは言えても、自分の思考が根本からダメだとは、気づかない。
絶対に自分は悪くないと思い込んでるので「なるほど○○はダメなんですね、あなたはそれがダメなタイプの人だったんだ。知りませんでした。ああ、今回はたまたま運悪く嫌がられたんだ」という結論になる。
本当に、どんなに説明されようが気づかない。わからない。理解できない。それが、ハラスメントの加害者だ。
死後の施設で、エドガーは他のどんな残酷な犯罪者よりも「問題がある人物」としてマークされている。彼だけが7734号室(逆さにすると”HELL”地獄)に送られる。
それはおそらく、"殺し"そのものより、彼のように悪いこととも思わず、葛藤もせず、人を自分の満足のためだけに苦しめ、反抗されてムカついて殺してもまだ被害者だと思っていることが、1番罪深いことだからではないだろうか。
エドガーは最後、それに気付く。
が、これは映画なので、実際にあいつらがこんな風に気づくことなんて、無いんだよね。
絶望感がすごくて、笑えてくるね。
妻殺しに関してだけ言えば、エドガーの最初の間違いは「まともな方法でパートナー得ることを放棄した」ところだろう。
まともに自分と向き合おうとせず、人と向き合おうともせず、努力のいらない簡単な方法で「実態の伴わない自己肯定感」を手に入れたから、崩壊したと私は思っている。
実態の伴わない自己肯定感。
手軽に満たせる承認欲求。
付け焼き刃の価値。
そんなものを得て舞い上がって周りが見えなくなっていたから、壊れたときの対処を間違う。
1番ダメな手段に出る。
それがエドガーの場合、殺人という結果になったのではないか。
エドガーがやったような「付け焼き刃な方法で自分に価値を付ける」というやり方は、日常でもたくさん見られる。
一番近いのは「金をたくさん払ってチヤホヤしてもらってることを"自分自身に価値があるからだ"と思ってしまう」ってやつだろう。
もっと簡単なので言うと「注目されている人やグループと関わることで、自分も同じ位置に立てた気になる」とかね。
「あの有名人と知り合いでさぁ」「あの人と一回寝たことがある」とかもそう。
そういうのがたまにあって、話のネタとして持っとくのは良いと思うけど、それ「しか」ない場合が怖いよね。
本当に自分の中に積み重ねたものがあって、認められた上で得たのではない「価値」は、自滅の時限爆弾になる。
調子に乗ったり、天狗になったとたんにドカン。
自己顕示欲とか承認欲求に勝手に振り回されて自滅していった人は、たくさん見てきた。
おそらくその人たちは、「ある日突然、大変な目にあった」と思っただけで、理由もわからず、その後も自分の周りの世界で簡単な価値だけを身に付けて安心してるんだろう。
この映画、ラストでエドガーはまだ同じ施設にいて、そこで自信満々に「私の体験」みたいなことをシタリ顔で話し始める場面で終わる。
この手のタイプは、根本がアレなので、結局ここまで来ても「いやー、僕は気づいちゃいましたね。そこで僕のとった行動は、こうです!いかがですか、皆さん!皆さんも僕みたいに、気が付けると良いですね!」て方向に行くよね。
「おまえ、そういうとこやで!」ってなったね。
あと、この映画が妙に評価高いのって「面白くないかと思ったら面白かった」てとこが大きい気がする。
ちゃんと良いタイトルで良いメインビジュアルだったら、ここまでは評価されてなかったかもね。
むずかしいね。