goo blog サービス終了のお知らせ 

ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

マンダレイ

2023年12月11日 | なつかシネマ篇

アメリカ黒人奴隷解放運動の欺瞞を悪意たっぷりに描き出した超問題作。前作『ドッグヴィル』の主演女優ニコール・キッドマンが続編である本作出演を断った理由がなんとなくわかる気がするのである。巨○モロだしのイザック・ド・バンコレに全裸でレイプされるシーンがあったから?ただそれだけではないだろう。

前作『ドッグヴィル』に引き続き(黒い肌が映えるよう?)白い床に最低限の小道具を配置したミニマム・セッティング。何十年も前に廃止された奴隷制度がいまだに行われているアラバマ州マンダレイにある大農場。偶然そこを通りかかったグレースは、ティモシー(バンコレ)へのムチ打ち刑をとがめ、数人のギャング手下とともに農園に居残り、新しいコミュニティ作りを試みるのだが....

この映画を見ると、アメリカにおける奴隷制度ならびにその解放運動が一種の社会実験だったのではないか、そんな気さえしてくるのである。元農場主ママ(ローレン・バコール)が手下にこさえさせた“(聖書を連想させる?)BOOK”のナンバー制も、奴隷根性の染み付いたニ○ロたちを管理するためには、非常に有効だったことが後々思い知らされるのである。

父親(ウィレム・デフォー)が派遣したイカサマ師が、グレースにこんなことを伝えるのである。「奴隷制の代わりに金を貸し出してニ○ロどもを管理しようとした地主たちだが、それでも彼らは不安だった。黒人の中にはこっそり金を溜め込む奴がいたからだ。そこで私が奴らをギャンブル漬けにして最終的に儲けた金をすべてをまき上げれば、彼らも安心して眠ることができるのさ」と。

そんなこととも露しらず、理想論だけで農場に乗り込んできたグレースは、ボロ屋修理のため防風林を斬り倒してしまったからさあ大変。唯一の収入源であった綿花農場が大砂嵐に見舞われ台無しになってしまうのである。その後マンダレイを次々に襲う危機を収拾するため、老婆(前作に引き続き)を撃ち殺し、自分をレイプし金を盗んだティモシーにこれでもかとムチをうちつけるのである。なんという皮肉。

私は、奴隷農場では貧しいながらもそれなりに幸福を感じていた人々が、外の世界にほおり出された途端ホームレスに転落してしまう『幸福なラザロ』という映画を思い出したのだが、皆さんの感想はいかがでしたか。プーチンの封建的な言動を西側の人々は時代錯誤というけれど、ソ連というタガが外れた旧東欧諸国の内政は、ここマンダレイ同様どうも腐敗しきっているらしいのである。

「それでは自由がないわ!」と理想論者はいうけれど、逃げようと思えば何時だって逃げられる環境のなかで、なぜ彼ら黒人たちは柵の中にいつまでも留まろうとしたのだろうか。最近は、冷暖房完備で3食昼寝付き、ボケたら他の受刑者による手厚い介護付(もちろん只)という、至れり尽くせりの刑務所に戻りたがる元受刑者が非常に多いらしいのである。おそらくアメリカが騙る“民主主義”及び“自由”の意味を、誰よりもよくわかっている人たちなのだろう。

マンダレイ
監督 ラース・フォン・トリアー(2005年)
オススメ度[]

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おひとりさま族 | トップ | こんにちは、私のお母さん »
最新の画像もっと見る