2004年公開のスペイン映画『海を飛ぶ夢』でも“安楽死”が肯定的に描かれていた。海の事故が原因で四肢麻痺に陥った男(ハビエル・バルデム)が自死を選ぶ感動ストーリーだ。本作のティルダ・スウィントン演じる元戦争記者マーサも、末期ガンにおかされ最期に自死を選ぶのだが、「一人で死ぬのはいや」とそのためにわざわざ別の家を借り、友人の作家イングリッド(ジュリアン・ムーア)を隣室に寝泊まりさせ、自分の死を見とら . . . 本文を読む
「メンタルヘルスに苦しむ僕の個人的な痛みは、客観的に見てもっと恐ろしい先祖の痛みと比べてどうなのか?僕の痛みは語るに値するものなのか?」実際強迫神経症に悩んでいるというユダヤ系アメリカ人ジェシー・アイゼンバーグが監督・脚本を担当した本作で、アイゼンバーグ本人が主役のベンジーを演じるつもりでいたところ、それでは荷が重すぎるとプロデューサーのエマ・ストーンにたしなめられ、そのベンジーの従兄弟デヴィッド . . . 本文を読む
コロナ禍中、30代に読んだ筒井康隆の小説『敵』を再度読み直していた吉田大八監督はこう思ったそうである。家の中に閉じこもっている男の日常が妄想に侵蝕されていくストーリーは、ロックダウン下にある現代社会にも相通じるポテンシャルを持っている、と。脚色大魔王の異名をとる吉田大八監督曰く「今まででもっとも原作に忠実な映画」だそうで、90歳をこえて車椅子生活状態の筒井康隆があと20歳若かったら、実際主人公への . . . 本文を読む
御年87歳になる巨匠映画監督リドリー・スコットは、近年驚異的なスピードで映画を撮り続けている。ちょっと前までは、マーティン・スコセッシを意識したコメントを残していたスコットだが、最近では生涯現役を公言していて、あのクリント・イーストウッド監督(94)をライバル視しているらしい。しかも今時珍しい金と手間がかかりそうな歴史大作を、ハイクオリティを保ちつつ、早撮りとスピード編 . . . 本文を読む
ランティモス曰く、元々1本の映画だったシナリオをわざわざ3分割してオムニバス形式にした作品だそうだ。不条理ブラックコメディというのは見ていてなんとなく伝わってくるのだが、その不条理な中にも一応の筋を持たせるのが映画監督の腕の見せ所であって、RMFと名付けられたサブキャラ以外、ほとんど共通項のないストーリーをわざわざ3つ並べた意味がよくわからない。高市と石破の一騎討ちに、門外漢の小泉Jr.が途中で割 . . . 本文を読む
暴動煽動映画との謗りを受けた『ジョーカー』の続編である。前作に続いて監督をつとめたトッド・フィリップス曰く、賛否両論は覚悟の上でのお仕事だったらしい。前作で5人(正確には6人)もの人間を殺めた罪で更生施設に収監されたアーサー・フレック=ジョーカー(ホアキン・フェニックス)。そのアーサーが殺人当時心神喪失状態にあったか否かを判断する裁判劇になっ . . . 本文を読む
なぜドナルド・トランプのような人物がアメリカ大統領になれたのか。イギリス人監督アレックス・ガーランドによれば、本作の着想はまさにそこにあったそうなのだ。しかし、このアレックス・ガーランドという人、かつて本心を語ったインタビューを一度として目にしたことのないひねくれ者で、作品の解釈につながるようなヒントもまったく教えてくれない超がつくほどのあまのじゃくなのである。確かに自分の都合の悪い報道はすべて“ . . . 本文を読む
ハンバートハンバートの同名タイトルポップスから着想を得た作品だという。吃音の“ぼく”が語るモノローグ型式の歌詞は、北海道のとある町でスケートに打ち込む少女サクラに一目惚れした吃音少年タクヤの心象とピタリ一致する。是枝裕和をこよなく尊敬しているという奥山監督だけに、思春期の子供の単純な初恋物語なのかというと、そうともいいきれない奥深さを感じるのである。サクラやタクヤを演じた俳優に、フィギュアスケート . . . 本文を読む
注目の若手女優河合優実ちゃん演じるカナは、『わたしは最悪。』のユリヤ、もしくは『お嬢ちゃん』のみのりにとてもよく似ているキャラクターだ。弱冠27歳の女流監督山中瑶子が影響を受けた映画監督として、なぜか中国人ロウ・イエの名前をあげていたが、ヨアキム・トリアーや二ノ宮隆太郎の作品にふれなかったのには何か理由があるのだろうか。さらにいうならば、映画中盤のタイトルクレジットなどは、おそらく濱口竜介のパクり . . . 本文を読む
アリーチェ・ロルヴァケルが本作を製作するにあたり、以下の5作品からインスピレーションを得たことを公表している。元ネタ探しという、シネフィルの皆さんの手間というか楽しみをまんまと省いてくれたわけだ。アリーチェ曰く『夏を行く人々』『幸福なラザロ』に続く3部作として本作を位置付けしているらしく、「過去から現代へのつながり」をテーマにしているという。・ロッセリーニ『イタリア旅行』(53)・フェリーニ『フェ . . . 本文を読む
親指をたてながら映画館のエレベーターに乗り込んできた川平慈英氏は、映画を見終わった後至極上機嫌だった。70年代のハリウッドで盛んに作られた“ニューシネマ”独特のほんわかとした優しい雰囲気に包まれたのは本当に久し振りな気がする。私とほぼ同年代の川平氏も、おそらく同じ気持ちにひたっていたにちがいない。修復映画の収集家としても知られている監督のアレクサンダー・ペインは、アイデ . . . 本文を読む
銀座の某老舗映画館で珍事が起きた。館内照明の不具合によって、映画冒頭2度にわたって上映が中断されたのである。観客数も少なかったせいか特に文句をたれる輩も現れず、無事最後まで鑑賞することができたのだが、(自己の寛容性を問われるという意味で)この現実に起きた事件がまさか映画の内容にリンクしていたとはねえ、不思議なことも起こるものである。トルコ系ドイツ人のイルケル・チャタク監 . . . 本文を読む
ユダヤ系英国人である監督ジョナサン・グレイザーは、本作によるオスカー受賞スピーチの中でこう語った。「過去において誰が何をしたかではなく、むしろ私たちが今何をしているかに目を向けようという意図でこの映画を作りました。人間性の喪失が最悪の事態に陥るものであること、それがこの映画を通して私たちが描こうとしたものです。ユダヤ人であること、そしてホロコーストの体験は、ハイジャックされてしまいました、多くの罪 . . . 本文を読む
イタリア共産党の党員もしくはシンパだった映画監督は非常に多い。ヴィスコンティ、パゾリーニ、アントニオーニにロッセリーニ、現役のナンニ・モレッティなんかも確か共産党出身の映画監督である。そして、そのイタリア共産党とは敵対関係にあったバチカンによる誘拐事件を扱った本作の監督マルコ・ベロッキオもまた、イタリア共産党出身の映画監督てあることをまず頭にいれておかなければならない。19世紀中頃、フランス2月革 . . . 本文を読む
石橋英子という音楽家とのコラボレーションが本作の元になっているときいて、右脳で感じるべき感覚的な映画なのかなぁと“想像”しながら観たのだが、やはりこの濱口竜介がメガホンを握ると映画はどうしたって理屈っぽい左脳派作品に変わってしまう。長野県甲斐駒ヶ岳をのぞむ架空の村を舞台にした本作は、あらゆる意味における“境界”をテーマにしているらしい。映画冒頭森の木々を下から見上げる長まわしの美しいショット。上か . . . 本文を読む