
プロサーファーを目指していたという監督さん、自国デンマークのいい部分だけでなく、悪い部分を見せたかった、とインタビューで語っていた。戦後、連合軍上陸阻止のためデンマーク海岸にナチスによって埋められた地雷撤去を命じられた捕虜の独少年兵と、彼らを管理するデ軍軍曹の交流を描いた作品だ。
いつ爆破するかも知れない地雷撤去中のヒリヒリするような緊張感はおさえめで、むしろ、軍曹と少年兵たちの間に和やかムードが漂った瞬間💥事故が発生するという、結構サディスティックな演出が特徴た。その度に、少年兵に対するハードルを上げ下げする鬼軍曹の“心の揺れ”が見所になっている。
それじゃあデミアン・チャゼルの『セッション』と同じじゃん、と思われる方がいるかもしれないが、それはちと違う。あまりの空腹感のため家畜の餌に手をつけた少年兵たちが集団食中毒にかかったり、地雷で吹き飛ばされた双子の兄の行方を延々と探す弟、地雷原で遊んでいた知的障害少女救出作戦......観客の感情移入が少年兵たちに向くようなエピソードが実話まじりで語られるのである。
はじめは厳しく接していた鬼軍曹も、捕虜にされたあげく自分達が埋めたわけでもない地雷撤去を命じられ、爆破事故で仲間を次々と失っていく少年兵士たちに、次第に疑似父親のような態度で接するようになるのだ。理由なきイジメを執拗に繰り返した『セッション』のJ.K.シモンズとは明らかに正反対のキャラクターなのである。
ドイツ元首相メルケル人気の影響だろうか、ナチスドイツの兵士の中にも我々と何も変わらない血のかよった人間がいたんだよ的な映画を、目にする機会がとても多くなっている気がする。いわゆるホロコースト映画が大量生産されていた一昔前とは、明らかに流れが変わってきている気がするのだ。米国大統領選挙でも顕著だったようにユダヤ人によるメディア・コントロールに綻びが生じている確固たる証拠だろう。
直近のウクライナ危機に関しても、(すくなくともネット上では)必ずしもプーチン=悪一辺倒に傾いていない感じがするのである。西側のニュースをそのまま翻訳して垂れ流すことしかしていない日本のメディアなどは問題外として、キエフ大公国時代に遡るロシアとウクライナ両国の親密な関係を知らずして、侵攻の真相を安易に語ることなど誰にもできないはずなのだ。
かつてのソ連崩壊と同時に誕生したロシア衛生国が次々とNATOに加盟、残っている友好国はベラルーシとウクライナのみというロシアのお国事情を知っていると、ついついあの鬼軍曹がプーチンの姿に重なって見えてしまう。ロシアにとっては双子の兄弟のような関係のウクライナを、映画の鬼軍曹のように黙って見送ることができるのか。最終的にはプーチンの度量一つにかかっているような気がするのだがどうだろう。
ヒトラーの忘れもの
監督 マーチン・サントフリート(2015年)
オススメ度[

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