
『男性・女性』またの映画タイトルを『マルクスとコカ・コーラの子供たちの物語?』というらしい。ベトナム戦争、そして大量消費文化の権化であるアメリカを徹底的におちょくった映画でもある。男性=ポール(ジャン・ピエール・レオー)を不器用な社会主義者、大衆歌手デビューする女性=マドレーヌ(シャンタル・ガヤ)をアメリカ的文化のシンボルとして描いた、いかにもゴダールらしい作品である。
しかし、肝心の男女関係の深層心理の掘り下げ方には?が残る。トリュフォー作品のような繊細さに欠ける理屈っぽい構成は、恋愛映画にふさわしいとはとても思えない。どうも頭のいい男というのは女に対してロジックを押し付けすぎる。劇中、女の子たちに場違いなディベートをふっかける左翼系知識オタク君たちの姿は、もしかしたらアンナ・カリーナにふられたゴダールの姿に重なるのかもしれない。
そもそも<理屈では飯を食えない>ことを本能的に察知している女たちに向かって、革命がどうのこうのと能書をたれたところで、所詮のれんに腕押し・ぬかに釘なのである。存在が意識を決定する女性によって、意識が存在を決定する男性はいとも簡単にハートを射抜かれてしまうのだ。バキューン!
監督 ジャン・リュック・ゴダール(1965年)
〔オススメ度

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しかし、肝心の男女関係の深層心理の掘り下げ方には?が残る。トリュフォー作品のような繊細さに欠ける理屈っぽい構成は、恋愛映画にふさわしいとはとても思えない。どうも頭のいい男というのは女に対してロジックを押し付けすぎる。劇中、女の子たちに場違いなディベートをふっかける左翼系知識オタク君たちの姿は、もしかしたらアンナ・カリーナにふられたゴダールの姿に重なるのかもしれない。
そもそも<理屈では飯を食えない>ことを本能的に察知している女たちに向かって、革命がどうのこうのと能書をたれたところで、所詮のれんに腕押し・ぬかに釘なのである。存在が意識を決定する女性によって、意識が存在を決定する男性はいとも簡単にハートを射抜かれてしまうのだ。バキューン!
監督 ジャン・リュック・ゴダール(1965年)
〔オススメ度


