青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

2025-01-20 03:13:44 | 月の世の物語・別章

学校は、周りを楠の森に囲まれた、広い緑の庭でした。庭の隅には、街灯のような一本の高い月色灯が点っており、その下で、白い服を着たひとりの女性教師が立って、書物を開き、しばし不思議な音韻の呪文を歌っていました。

空には梅の種のような、ほんの少し欠けた月があり、薄藍の空に沈み込むようにかすかに青く染まった光を放っていました。庭のあちこちには、小さな水晶の結晶が、キノコのように生えており、それが月光を吸いこんで、月色灯とともに、緑の庭の教室を明るく照らしていました。

生徒たちは、教師を取り囲んで、自分の敷物を思い思いのところに置いて座り、しばし教師の呪文の歌に聴き浸っていました。

やがて教師は呪文を歌い終わると、生徒たちに語り始めました。生徒たちはみなそれぞれ、地球上で生きていたときの影を背負っており、表情にどこか歪みを見せ、ひざの上に肘をのせて面倒くさそうに斜めからこっちを見たり、目に強い反抗の色を見せながら、腕を組んで胸をそらしたり、馬鹿にするような目で女性教師の姿をなめるように見ていたりしていました。

教師は、石のように落ち着き払った静かな声で、生徒それぞれの名を呼びながら、それぞれにそれぞれの罪の意味を教えてゆきました。
「でも先生!」生徒の一人が声をあげました。それはモンゴロイド系の顔をした、少々頭の薄く禿げた黒髪の小男でした。
「それは、私がやったんじゃありません!裏から怪に操られたんです!」教師はその男の顔を見ると、静かな声で答えました。「ええ、そうですね。今地球上には、怪がたくさんいます。そして、人の人生を狂わせてやろうと、いつも狙っています。あなたの心には、いつも怪がささやいていました。憎い、憎い、ねたましい、ねたましい、と。でもあなたには、その声に反抗することもできたのです。結局は、あなた自身が、怪の言葉に屈して、それに従ってしまったのです。それを罪ではないとは決して言えません」

すると生徒は目をぎらつかせ、まだ何か文句を言いたげに、ぶつぶつと口の中で何かを繰り返していました。女性教師は、その生徒をしばし見つめると、右手で不思議な所作をし、天を指差して呪文を唱えました。すると、月色灯の上に、緑色に光る大きな紋章が現れました。それを見たとたん、生徒たちは一斉に緊張し、急いで姿勢を正して頭を下げました。中には指を組んで祈り始めるものもいました。
紋章は、月の世を導くある一柱の神の紋章でした。地球上では神を信じないという者も、ここにくれば誰もが神の前に頭を下げました。ここでは、実際に神の姿を見、その御業を見たことがない者はいないからでした。

教師もまた、その紋章に頭を下げ、深く感謝の言葉を述べると、また一定の儀礼の所作をして、紋章を消しました。生徒たちの間に、ほっとした空気が流れ、彼らはしばし呆然としながら互いの顔を見合わせました。ざわざわとし始めた生徒たちを、教師は鎮めると、さっきの小男を立たせ、自分の罪を述べるようにと、厳しく言いつけました。男は、苦しそうな顔をしながらも、仕方なく語り始めました。

「…はい。わたしは、会社で、ひとりの有能な部下に嫉妬し、彼の才能をつぶしました。それによって、彼は自分が地上で果たすはずだった仕事を果たすことができなくなり、結果的にそれは、多くの人を苦しめることになってしまいました」
「そうですね。あなたのしたことは、ごく簡単なことでした。ただ、その人のした仕事の、小さなところにケチをつけ、親切を装って余計な進言をしたのです。あなたは何度も繰り返し、そうやって彼を巧妙にいじめ続けました。そして、彼は自分の仕事全てをあなたに否定され、自分というものは馬鹿なものだと思いこまされてしまったのです。そして、本来やるはずだった仕事をすることが、できなくなってしまった。それは一見、たいしたこともないことのように思えましたが、実は大変なことだったのです。彼は使命を持っていました。地上に降りて学び、ある事業を興し、それによって、人類の罪の一部を浄化するという、大事な仕事をするはずでした。彼がそれをやれば、たくさんの人が、罪から解放され、生きるのがより楽になるはずでした。しかし彼がそれをやることができなかったため、いまだ人々はその罪の償いに苦しめられ続けているのです」

教師の言葉を聞きながら、男はうつむいて苦しそうにきょろきょろと目を動かしていました。いらだたしさが彼の足を妙な格好にねじらせていました。教師は男を座らせると、また続けました。

「このように、地球上には今、憎しみや妬み、孤独、悲哀、恐怖、さまざまな悪知恵を巧みな屁理屈に隠した偽善があふれています。地上で生きることはまことに苦しい。多くの人は、怪のささやきに負け、人生を失敗してしまいます。でも、中には、それに耐えて、何とか正しく道を歩もうと、あらゆる挑戦を続けている人もいます。彼らの存在が、地球上の生をかろうじて何とか支えているのだと言えましょう。では次の質問です、人類は、いつも、同じことが原因で、人生を失敗します。それは何ですか。答えてください」

教師は、庭の隅に座っている、きつい化粧をしたひとりの白人の老婆を指差しました。彼女は自分を何とか若く見せようと、少女のように髪を長くたらし、花模様の可憐な服を着ていました。老婆は答えました。「はい、それは、『NO』ということです」
「そう、そうです。NO、いやだ、きらい、だめだ。あるいは、『ちょっとそれはねえ』、『やめてよ、信じられない』、『馬鹿みたい、そんなこと』、『ほかにもっとちゃんとしたことはできないの?』、『まだそんなことやってるのね』…などなど、あなたはよく、自分の娘にそう言っていましたね」教師の言葉に、老婆は憎悪と嫉妬の混じった目で彼女をにらみながら、小さな声で震えながら答えました。「…はい、そのとおりです…」
老婆は、娘が自分より若く、愛らしく、未来と希望にあふれているというだけで嫉妬し、彼女の人生をずっと邪魔し続けました。娘はそんな母を憎み、やがてある男と結婚すると同時に、母親のいる実家には一切顔を見せなくなりました。そして母親が夫を失い、ただ一人残されて、病に落ちても、決して彼女に会おうとはしませんでした。結局彼女は、娘に見捨てられ、一人小さな家の隅で、娘を含めて世間の人皆を呪いながら、老い衰えて孤独に死んだのです。彼女の遺体が警察によって見つけられた時には、彼女はもう白骨に近い状態になっていました。

「人生の多くの失敗は、そう、『いやだ』と言ってしまうことが原因なのです。『おまえなど、いやだ』、『そんなことをするのは、いやだ』、『つらいのは、いやだ』…、人間はよくそう言います。そして全ての人を拒否して馬鹿にし、自分だけをいいものにしたがります。他人は馬鹿にして、自分だけが偉く、最もすぐれているのだと、思いたいのです。それはなぜでしょう。はい、次の人」
女性教師は、今度は別の、黒い眼鏡をかけた肩幅の広い褐色の男を指差しました。男は立ち上がり、それが法律だから仕方ないという感じの、事務的な言葉で返しました。
「はい、それは、人間がいつも、存在痛に苦しんでいるからです」
「そうですね。人類はいつも、存在痛に苦しんでいます。それは、この自分が、馬鹿で、必要のないものだと感じている、とても悲しい痛みです。怪はいつも、生きている者にささやき続けているのです。『おまえなど、いらない』、『おまえなど、馬鹿だ』、『はやく死んでしまえ』…。その声に心を侵された人々は、嘘の鎧で卑屈な自分の心を守り、巧妙な隠喩で他人を馬鹿にし、憎悪を隠して微笑み、皆と仲良くするふりをして、ひとりの部屋で胸の憎悪をぐつぐつと煮込みながら、誰かを罠にはめるための、巧みな知恵を編んでいるのです…」

教師は声のトーンを上げ、一息呪文を唱えて、その場に流れる不穏な空気を清めてから、続けました。「その地球上で正しく生きるためには、存在痛をなんとかしなければなりません。そして怪のささやきに負けぬため、愛を、しっかりと学び、それを実行する強さを身につけねばなりません。愛こそが、存在痛を癒すただひとつのものです。全ての不幸は、人が、人を馬鹿にすることから始まります。それは愛ではありません。人の存在を、丸ごと否定することなのです。真実の幸福は、人が人を愛することから始まります。みなさんに問います。愛を、知っていますか?」すると生徒たちは一斉に、「知っています」と答えました。教師は言いました。「では、愛を、実行することを、あなたたちはできますか?」すると生徒たちはざわめき、ため息をつき、あるいは顔をそむけ、あるいは下を向いて自分の膝をたたくなどして、それぞれの気持ちを表しました。彼らにとって、愛は、とんでもないものでした。地球上でそれをやれば、一斉に怪に襲われて、人生の全てを壊され、悲劇的な死に追いやられてしまう恐れがあるからです。ですから常に、外見は愛を装いながら、他人よりも賢く立ち回り、自分の人生だけを何とかうまく運ぶことが、一番大事だと考えるのが、彼らの当たり前になっていました。

教師は別に驚きもせず、その様子を静かに見守っていました。彼らの中のためらいや憎悪や不安やさまざまにうごめく暗い気持が、その場の空気を痛め、それが一斉に教師に対する嫉妬へと燃え上がり、ハエのように集合して群衆の暗黒に変化していくのを、月光や水晶の光が密かにさまたげ、静寂の中に散らしていきました。

そのとき、月色灯が、鈴のような音を歌い鳴らし、授業が終わったことを告げました。生徒たちの中に、ほっとゆるんだ空気が生まれ、彼らは肩の力を抜いて互いの顔を見あい、苦い歪んだ笑いを見せました。

「では、今日はここまで。次の授業は七日後です。必ず皆、ここに集まってください。来ない方は罪になります。わかっていますね」教師が言うと、生徒たちは一斉に、はいと答え、教師の合図を待ってその場から立ち上がり、敷物を持って次々と姿を消してゆきました。緑の庭に、生徒の姿がなくなると、教師はひとり月色灯の下で、ふっと息を落とし、右手で魔法をして白い碗を出すと、月光を汲んでそれに白い粉薬を混ぜ、一息に飲み干しました。

ああ、今日も終わったわ。薬を飲んで、生徒たちから浴びていた汚れを清めると、彼女は月を見上げながら誰にいうともなくつぶやきました。すると、楠の樹霊のひとりが、彼女に声をかけ、ねぎらいました。
「いつも大変ですね、先生」女性教師はその声に振り向き、笑顔を見せながら言いました。
「仕事ですもの。大変だなんて言ってはいられないわ。罪びとはいつも、形だけは立派に答えて、なかなか本当の進歩を見せてはくれないけれど、こうして繰り返しやっているうちに、何とか真実に導いていけるのではないかと、そう思ってやっているの」
すると楠の樹霊は、少し悲しげな目で彼女を見つめ、「…はるかな道ですねえ」と、慰めとも皮肉ともとれぬ言葉を言いました。女性教師はただ黙って、笑っていました。

やがて女性教師は、手に持っていた白い碗を消すと、薄藍の空に浮かぶ月や、常に生徒たちを照らし、励まし続けてくれていた水晶たちに礼をし、神に感謝の祈りをささげ、自分も少し休むために、そこから姿を消しました。

だれもいなくなった緑の庭の学校では、かすかに青い月光が、神さまだけが知っている本当の未来の秘密を言いたげに、小人のようにくすくすと笑いながら水晶の中に忍び込み、次の授業のための準備をし始めました。


 
 
 
 
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2025-01-19 03:12:44 | 月の世の物語・別章

月の世に、修羅の地獄はありました。そこには群青色の空の真ん中に、深くさげすむ歪んだ目の形をした細い二日の月がかかっており、たくさんの罪びとたちのやっていることを、いつも静かに見下ろしていました。

地上には深い森があり、罪びとたちはそれぞれに、木の棒や石や考えられる限りの使える武器を使って、常に他人と戦い、殺しあっていました。どのような原始的な武器でも、打たれた痛みはすさまじく、流血を見ることなどしょっちゅうでした。そして殺されても死ぬことはなく、三日後にはよみがえって、再び戦いを始めました。彼らは生前、敵と戦ってばかりいて、たくさんの人を殺しました。そして死後もそれを止めることができず、自分以外の者は全て敵だと言うように、会う者会う者、全てを攻撃していました。

今、その修羅の地獄で、一つの反乱が起こっていました。ある、最近死んだばかりの罪びとを中心に、生前縁のあった者たちが集結して、修羅の地獄を管理していた青年たちを攻撃しはじめたのです。彼らは一斉に青年たちに憎悪の瞳を向け、火のついた棒や石を投げられるだけ投げて、必死に彼らを殺そうとしました。青年たちは、何とか彼らを鎮めようとしましたが、彼らの首謀である罪びとは、かなりの知恵者らしく、巧妙に青年たちの裏を読み、思わぬところから攻撃をかけ、彼らを散々悩ませていました。

「やあ、どうだ、今の様子は?」乱を聞きつけて急いで降りてきた、茶色の髪をした一人の青年が、修羅の地獄の上空で、反乱で少し傷を負った同僚の、緑の目の青年に声をかけました。「やあ、君、休みはどうだったかい?」緑の目の青年は茶色の髪の青年を振り向き、少し息を荒げながら言いました。「ああ、友人と会ってきた。懐かしかったよ。それで今度は、こっちの友人の相手をしに来た」「それはご苦労なことだ。大変な友人だよ」緑の目の青年は、ポケットから小さな月長石のかけらを取り出すと、それを指でぽんと弾き、魔法で宙にひとりの男の顔を描きました。それはあごだけが奇妙に細長く伸びた、ぼんやりとした三白眼のどこか陰湿な感じのする男でした。

「二か月前にここに落ちた罪びとだ。彼は生前、テロリスト滅殺のための特殊部隊に所属していて、テロ組織の幹部を十人殺した。そのうちの四人は獄中での拷問殺。これがまた惨い。また暗殺活動中に関係の無い市民十六人を巻き込んで殺したこともある。結局は自分もテロリストに殺されたんだが、こいつがここで、自分が殺したテロリストたちと出会って、こういうことになった。要するに、どうして自分があいつらと同じなんだと言いたいらしい」「よくあることだ。自分が敵と同等だとは思っていないんだ、彼らは」「修羅の地獄とはそういうものだ。とにかく、彼らを鎮めるためには、この罪びとを何とかしなきゃいけない」「聖者様の助けは?」「いや、僕たちで何とかしよう。聖者様たちは今、地球の方で忙しい」。

修羅の地獄を管理する青年たちは、それぞれに、月長石でできた美しい短剣を持っていました。茶色の髪の青年は、胸を右手でぽんと打つと、その光る短剣を出して手に持ちました。そして下界の森を見渡しながら、反乱の首謀者である罪びとを探しました。「目印は、特徴的なあごだ。あれが修羅の森の木々を脅かす。たぶん木々が彼をみつけたら、何かの合図をしてくれるだろう。石が飛んでくるから、低空を飛ぶ時には気をつけろ」緑の目の青年もまた、短剣を持ちながら、森の木々の上を飛び、茶色の髪の青年に言いました。森の上には、同じように彼を探す青年たちの姿が、たくさん飛んで見えました。

茶色の髪の青年は、すいと低空に降り、しばし森の梢すれすれを飛びました。すると、ぐあお、と獣のような声をあげて、森に潜んでいた罪びとたちが一斉に彼に向かって石を投げ始めました。そのうちのいくつかを彼は短剣で跳ね返し、いくつかを、足と腹に受けました。木々の隙間から見える罪びとたちの顔は、憎悪に歪み、相手を殺すということだけしか考えていない、まるで魂の見えぬ獣よりも落ちた瞳をしていました。
「すさまじいな。修羅は人の魂をすりつぶす。まるで人間に見えない」茶色の髪の青年は言うと、呪文を唱え、月光を自分の周りに集めて、罪びとたちには自分の姿が見えないようにする魔法を使いました。そうして森に降りると、ほう、と梟の声真似をし、森の木々に合図しました。森の木々の樹霊たちは、その合図に応えて、かすかに枝をさわさわとゆらしました。

(かれは、かれは、石の中にいます!)樹霊のひとりが心の声で言いました。(石の中?)青年が返すと、(はい、かれは、かれは、まほうを、まねします。すこし、まねします、石にかくれる、まほう、つかえます。いま、いま、かれは、石の中を、いどうしています。つねに、せいねんたち、みています。にくしみに、もえています。ころそうとしています。ころそうとしています。ころそうとしています)と、木々たちは教えました。

ふと、上空から、おおう!と誰かの叫ぶ声が聞こえ、森がざわりとうごめきました。ほかの樹霊が、ほう、ほう、ほう、と声をたて、心の声で叫びました。(ちゅうい!ちゅうい!ちゅうい!ひとりやられた!右目、火の棒にやられた!ちゅうい!ちゅうい!かれら、目をねらう!目をねらう!)

茶色の髪の青年は、上空を驚いた目で見上げながらも、とにかく、森の中をあごの長い男が隠れていそうな岩を探し始めました。時に、罪びとが潜んでいる茂みのそばを通りましたが、姿を消している彼の気配には気付かず、彼らはただ、ぐるぐると吠えながら、目をきょろきょろとまわし、握りしめている石を投げつける的を探していました。

茶色の髪の青年は、木々の枝下を飛ぶように走りながら、森の中に点在する岩を一つずつ確かめ、例の罪びとの気配を探しました。上空を飛ぶ青年たちは、あるいは短剣で石を跳ね返し、あるいは鎮めのラッパを吹き、何とか罪びとたちの憎悪を鎮めようとしていました。森の中の岩を探して走っているうちに、茶色の髪の青年は、ふと、背後に不穏な気配を感じ、振り向きました。しかしその時にはもう遅く、あごの長い例の男が、「馬鹿め!それで隠れたつもりか!」と叫びながら、彼の頭めがけて火のついた棒を振り下ろすところでした。青年は頭に一撃を受け、うっと声をあげてそのまま地面に倒れました。そのとたんに、魔法が消えて、彼は罪びとたちの前に姿をさらしてしまいました。彼を見つけた罪びとたちは、目に狂気の笑いを見せながら一斉に彼の周りに集まり、嘲笑いながら彼を足で踏みつけたり蹴りつけたりし始めました。あごの長い男は、歯をむいて恐ろしい笑いを見せ、火の棒を彼の目めがけて突き刺そうとしました。青年は反射的に火のついた棒を左手でつかむと、右手で短剣を光る玉に変え、すばやく呪文を唱えて、それを爆発させました。

爆発は、森の木々をも巻き込んで、罪びとたちをいっぺんに吹き飛ばしました。茶色の髪の青年は、文字通り踏んだり蹴ったりの目に会った体をふらふらと立ち上がらせ、周りを見回しました。例のあごの長い男は、腰のところで体が半分に割れ、ずいぶんと離れたところに吹き飛ばされて倒れていました。他の罪人も、彼と似たような格好で、体に惨い傷を負い、あちこちに散らばって横たわっていました。森の木々が、一斉に叫びました。

「つかまえた!つかまえた!つかまえた!かれを、つかまえた!」すると上空を飛んでいた青年たちが何人か、茶色の髪の青年のところに降りて集まってきました。緑の目の青年が、惨事の真ん中に茫然と立っている茶色の髪の青年の肩をたたき、言いました。「すまなかった。君ひとりにやらせてしまった」すると茶色の髪の青年は青ざめながらも、落ち着いた声で言いました。「いや、これが僕の仕事だ。それよりも、今回は、たくさんの罪びとを、殺してしまった」「死んではいないよ。修羅の地獄では、死にたいと思っても死ねない。どんなむごい殺され方をしても、三日後にはよみがえって、また殺し合いを始めるんだ」「わかってる。でも、殺したことには変わりはない。木々も傷つけてしまったし、お役所に行って、罪の浄化を願ってくるよ」「ああ、そうした方がいい。後の処理は僕たちがやる。…言っておくけど、君のしたことは、決して間違ってはいない。あの場合、仕方なかった。僕でも、あの状況に落ちたら、君と同じことをやったろう」「…ああ、ありがとう」茶色の髪の青年と、緑の目の青年が会話を交わしている間、上空を飛ぶ青年たちはラッパを吹き、呪文の曲を流しながら、罪びとたちに首謀者のつかまったことを教え、鎮まるように叫び続けていました。

こうして、何とか反乱は治まりました。あごの長い三白眼の男は、三日後には割れた体もつながって生き返り、何もかもを忘れて、また憎悪と狂気に燃えて、戦いを始めました。しかしもう、彼を中心に罪びとたちが集まることはありませんでした。なぜなら、彼は乱を起こした罪により、首から下が毛の生えた類人猿のような姿になって、人間の声を発することができなくなり、魔法も使えなくなったからです。

茶色の髪の青年は、罪を浄化するため、三か月の間、罪びとたちに混じって、巨大な石臼を回し、豆真珠の粉をひく労働をしました。それは時には管理人に奴隷のように扱われ、鞭打たれねばならない、とてもつらい仕事でした。

彼は重い臼を回す棒を額に汗を流して押しながら、今頃修羅の地獄では、あの細いさげすみの月の光を浴びながら、罪びとたちはまだやっているのだろうかと、考えていました。


 
 
 
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2025-01-18 03:28:07 | 月の世の物語・別章

天文台は、地下にありました。なぜなら地上に建てては、常に空を照らしている日の光の、眩しい気高さをおそれて、小さな星の光は身を隠してしまうからです。そこで星の運行を研究している魔法学者は、日の都のほど近く、山を越えて少し離れた平地の地下に、広い空洞があるのを見つけ、そこに魔法で金の天文台を造りました。

天文台に備えた水晶を磨いた大きなレンズの望遠鏡は、闇の次元を超えて簡単に空の星を透き見ることができました。魔法学者はそんな大きな魔法の天文台を、一人で造れるほど、かなり高い智と力を備えており、それゆえに高い誇りを持ち、氷のように冷たい横顔の奥に、愛の灯を、高い塔に処女を閉じ込めるように隠していました。

魔法学者は、女性でした。彼女は長い髪を丁寧に編みこみ、魔法学者のしるしである四角い帽子をかぶり、黒い道服を着ていました。彼女は、天文台の中にある大きな知能器のキーボードをカチカチと打ちながら、画面に映る小さな星を見ていました。それは太陽系をひそかに回っている、まだ誰も知らない名もない氷の小惑星でした。彼女はだいぶ前からその星が、妙な振動をして軌道を回っているのに気付き、それをずっと観察していました。

と、部屋の扉がぎいと開き、誰かが入ってきて、彼女に「先生」と声をかけました。振り向くと、彼女の助手であるひとりの青年が立っていました。彼は、首から下は普通の人間の男性のようでしたが、頭だけは狼のように耳を立てた白い犬の容をしていました。彼は普通に人間の言葉を話し、魔法学者に言いました。

「調査結果が出ました。星の振動の原因は、地球が発した惑星探査機でした。探査機に潜んでいた邪気が、たまたま軌道上に落ちて、星がその汚れをこわがっているのです」
それを聞いた魔法学者は、深々とため息をつき、言いました。
「やはりね。人類は愚かだわ」
「先生、それを言ってはおしまいです。確かに人類は、高い技術をあまりに無邪気に使いすぎますが、私たちの仕事は、星を調査することによって人類を助けることなのですから」
「無邪気にね。それはとても優しい言い方ね」
魔法学者は冷たく言い放ちました。すると犬の頭をした助手は、かすかに片目を歪め、彼女を見つめました。彼は思いました。女性とは、なんと不思議な存在だろう。母のように優しく全てを受け入れるかと思えば、物事を丸ごと冷たく切り捨てることもある。それでいて、その笑顔ときたら、花のように愛らしいのだ。

「このまま放っておいて、この星が汚れに触れてしまっては、地球の運行にも影響が出るわ。真空の精霊が軌道を清めているはずだけれど、それでも追い付かないほど、汚れてしまったのね」
「はい、影響は少ないとは思いますが、決していいことではありません。人類の運命にも、影をさしかける恐れがあります」
「太陽系の運行は、全て神がおやりなさっている。精霊でも清められないのなら、神がそれをおやりになるはず。だのになぜ、神は地球のために、それをおやりにならないのかしら」

犬の顔をした助手は、しばし魔法学者から目をそらして、それを言うべきかどうか考えました。しかし彼の口は彼のためらいを無視して開きました。
「それはたぶん、神が私たちにそれをやれと言っているせいではないでしょうか。神は私たちがその星を常に観察し、研究していることをご存知です。神は私たちなら、軌道を清められるだろうと、私たちにおっしゃっているのではないでしょうか」
すると魔法学者は、その答えは当然だというように驚きもせず立ち上がり、同じ部屋にある別の知能器の前に移りました。その知能器のキーボードの中の白いキーをカチリと打つと、目の前の中空に大きな天球儀の幻が現れました。透き通った天球儀のあちこちには、星座を表す紋章がたくさん描かれて、それぞれの色に美しく光っていました。魔法学者は、キーボードを右手でカチカチといじりながら、しばらく知能器を相手にゲームのようなことをして、天球儀の紋章を動かしたり、裏返したり、光の色を変えたりしていました。そして左手には細い光のペンを持ち、見えない紙に何かをしきりに書いていました。

犬の頭の青年は、魔法のち密な計算に熱中している魔法学者を見ると、ふとそこから姿を消し、どこかへ行ってしまいました。

よほど時間が経って、ようやく魔法学者は「ふむ」とうなずき、言いました。「確かにできないことはないわ。とても難しいけれど。神がこれをやれと私たちにおっしゃっているのなら、やるしかないわね」彼女がそう言ったとき、犬の頭の青年はもうそこに戻っていました。そして小さな白い紙を、魔法学者に差し出し、言いました。
「そのとおりだと思います。お役所からも、許可が出ました」魔法学者は許可証を受け取り、そこに押してある日照界の紋章を見つめながら、「あなたの気が利くことといったら、天才的ねえ」と、明るい笑顔を見せました。

魔法学者は息をふっと吐いて、手の中に厚い書類の束を出し、それを半分助手に渡しました。「これが呪文よ。今すぐに覚えてね」助手は受け取った書類を風のような速さでぱらぱらとめくり、光る目でそれを読んで行きました。そしてそれを三度繰り返した後、「はい、覚えました」と言って書類から目を離しました。そのとたん、書類は彼の手の中から消えました。

魔法学者は手に杖を出し、「では行きましょう、あまり時間はないわ」と言いました。そして杖を振って天文台の隅に次元のカーテンを作り、そこをくぐりました。犬の頭の青年も、その後に続きました。カーテンの向こうには、闇の中に星々が散らばる、宇宙空間がありました。魔法学者は目を光らせ、空間のあるところに、ひどく傷んだガラスの割れ目のようなものがあるのに気付きました。魔法学者は驚き、「計算以上に、ひどいわ」と言いました。

魔法学者と助手は、その割れ目の放つ汚れの悪臭に顔をゆがめながらも、そこに近づいていきました。そして事前に言い合わせた通り、声を合わせて長い呪文を歌い始めました。魔法学者は呪文に合わせて、杖を踊るように動かし、中空に数々の魔法の印と紋章を描いてゆきました。すると割れ目はそれに反応し、少しずつではありますが、小さくなってゆきました。しかし、半分ほどに割れ目が縮まると、どんなに呪文を歌っても、割れ目はそれ以上小さくならなくなりました。魔法学者は焦りました。彼女の計算では、長い呪文の流れの六割程度のところで、汚れはほとんどなくなるはずでした。しかし、呪文がその六割を過ぎて、七割、八割のところまで来ても、割れ目は一切反応せず、暗い口を中空に開けたまま、そこにありました。

呪文の九割を読み終えた時、魔法学者は、星が、軌道をわたって、だんだんとこちらに近づいてくるのに気付きました。いけない、と彼女は思いました。このままでは星が汚れに触れ、太陽系での役目を放棄してしまう恐れがある。危機を感じた彼女は素早く頭の中で計算し、ある魔法を行うことを瞬時に決めました。助手は、隣にいる魔法学者が、突然、予定とは違う呪文を唱え始めたのに気付き、叫びました。
「先生!いけません!それをやっては!!」しかしもう呪文は放たれた後でした。その呪文が割れ目の中に飛び込んだと同時に、割れ目はがしゃりとしまり、一瞬にして汚れは消えました。しかし同時に、次元の衝撃からくる反動が、絶対零度の冷酷な刃の破裂となって彼女に襲いかかり、彼女はその衝撃で自分の杖と腕を一瞬にして砕かれました。

自らの力を超える魔法を使い、両腕と杖をいっぺんに失い、それゆえに魔法の力をも全て失った魔法学者は、疲れ果て、力なく宇宙空間に浮かびました。助手は、飛びつくように彼女の体を抱き上げ、涙を流しながら言いました。
「なぜ、このようなことを!」彼がそれを言うと同時に、小さな星は無事に汚れの消えた軌道を渡り、通り過ぎてゆきました。魔法学者は助手の腕に抱きかかえられながら、言いました。
「愚かねえ、わたしも。愛には、かなわないわ」

助手は涙を流しながら、彼女を抱きしめ、そのままカーテンをくぐり、元の天文台へと戻りました。彼は彼女を天文台の隅の長椅子の上に寝かせると、ひとしきりそのそばで、泣き声をあげていました。

「なぜ、なぜ、神はこのようなことを…!」助手が泣きながら言う言葉に、魔法学者はやさしく答えました。「心配しないで、腕はまた再生するわ。時間はかかるけれど。魔法の力も、だんだんと戻ってくる。神の御心は、わかっているの。私たちは時に、愛を全うするために、自らの存在を賭けて挑まねばならない。そうして、今の自分を超えた自分の力が自分のどこにあるかということを、神に教えられるのよ」

魔法学者の言葉に、助手は頭を抱え、耐えきれぬというように、激しい嗚咽をあげました。
「愛は、愛は、このようにも惨いことを、人にさせるものですか!」
「私は自分の意志でやったの。誰に命じられたのでもないわ。愛を責めてはだめよ。あなたのためにならない。それよりも、助けてちょうだい。疲れたから、少しお水が欲しいの」
その言葉に助手はすぐに反応し、右手の魔法で、清い水の入ったガラスのコップを出し、腕のない魔法学者を助けて、それを飲ませました。

「ありがとう。おいしいわ。誰かに優しくしてもらうのは、ずいぶんとひさしぶりね」
魔法学者は、少女のように微笑み、ほんとうにうれしそうな顔で、助手を見つめました。助手もまた、涙を流しながら、笑ってうなずきました。

天文台の中で、二人はしばし沈黙の休息をともにし、ひそやかにも清らかな愛の、耳には聞こえぬ声を、交わしていました。


 
 
 
 
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2025-01-17 03:53:06 | 月の世の物語・別章

地球上の、ある川沿いの大きな町の、ある小さな家の二階の一室の中で、ある若者が、イヤホンで音楽を聴きながら、ベッドに横たわって雑誌を読んでいました。

その様子を、部屋の隅から観察しながら、二人の少年が、それぞれのキーボードを開いて、何かぶつぶつと会話を交わしていました。もちろん、彼らの姿は、ベッドの上の若者には決して見ることはできませんでした。

二人の少年は、ともに日照界の水色の制服を着ていましたが、一人は金髪に薄い色の目の白人系の少年で、もう一人は、肌の浅黒い今は滅びた大陸系古民族の顔をしており、両頬に小さな紋章の刺青を入れていました。

「…やっぱりおかしいね」金髪の少年が言うと、刺青の少年が画面に浮かぶ情報を何度も確かめながら言いました。「うん。誕生前の彼の人生計画では、こんな風になるはずはない。彼は髪も目も茶色だけど、本当は金髪で、背ももっと高いはずだ」刺青の少年が、キーボードのある赤いキーをポンと押すと、中から小さな白い玉が飛び出しました。彼はそれを手に取ると、白い玉を、ベッドの上の彼の方にかざし、玉から白い光を放って、ベッドの上の彼の頭を照らしました。そして小声で短い呪文を繰り返していると、ベッドの上の彼の頭から何かもやもやとしたものが出てきて、光はそれを吸い取り、静かに白い玉の中に戻ってきました。刺青の少年がその玉をまたキーボードに放り込むと、画面が切り替わり、色とりどりの不思議な記号が規則正しく並んだ、二重らせんの形の細長いリボンのようなものが現れ、それは目にもとまらぬ速さで、画面の中を流れてゆきました。

少年たちは、二重らせんのリボンの流れを凝視しつつ、しばし注意深く調べていきました。やがて、金髪の少年が叫ぶように言いました。「あった!ここだ」すると画面の流れが止まり、二重らせんのある部分が、傷つけられて赤く腫れあがり、じくじくと音をたてて妙な振動を繰り返しているのが見つかりました。「遺伝情報が書きかえられている。やっぱり」「怪のしわざだね」「そうだろう、でも、ちょっと待てよ」刺青の少年は画面を切り替え、ベッドの上の若者の魂生に関するページを開きました。画面の中を流れてゆく文字の列を、彼は何度も繰り返し、素早く読んでいきました。そして言いました。「彼は怪と契約したわけじゃなさそうだ。怪に、勝手に遺伝情報を盗まれてしまったんだよ。つまりは、他のやつのと入れ替えられたんだ」それを聞くと、金髪の少年は悲しげな目をして、眉をゆがませました。

金髪の少年は自分のキーボードを打ち、彼の人生計画を出して読みながら、言いました。「誕生前の計画では、彼は、音楽家になるはずなんだ。かなりの才能も持ってる。それほど売れはしないけれど、できる限りの努力をすれば、彼なりの愛をこの世で表現できるはずなんだ。でも彼は今まで、音楽家になるための努力を一切放棄している。自分の容姿に自信がないからなんだ。本来の金髪に背の高い姿であったら、きっと彼はもっと自分に自信を持って、彼なりの創造活動を始めたろうに」それを聞いた刺青の少年は、額に拳をあて、ふう、と深い息をつきました。

「また一人、怪に人生計画を狂わされてしまった」刺青の少年が言うと、金髪の少年は言いました。「このままでは、彼は人生計画にあった創造活動を何にもできないまま、人生を終えてしまうことになるね。また、地球上に咲くはずの愛の花が消えてしまう」「書きかえられた情報がどこに行ったのか調べても、今更元に戻すことはできない。肉体が完成してしまってから、書き変えてしまったら、大変なことになる」「ああ、彼の人生そのものが、もっと大きく狂う。それどころか、死んでしまう恐れもある」「このままの姿で、何とか、少しでも音楽の方に興味を持っていくよう、導いていくしかないね。何かを始めてくれるといいんだけど」彼らは同時にキーボードを閉じ、元の蛍石のカードに変えると、それをポケットに入れ、そこから姿を消しました。

二人は、しばしの間、空を飛びながら、会話を交わしました。「ほんとうに、怪は大変なことばかりやる」刺青の少年が言うと、金髪の少年は頭を振りつつ、ため息をつき、それに何も答えることができませんでした。刺青の少年がまた言いました。「今月ぼくらがここで見つけただけで、二百十三人だ。だんだんひどくなってきている。他の使いたちも、いろんなことをたくさん見つけてるだろうね」すると金髪の少年は少し息を吹き返したように言いました。「うん、たぶんね。怪は、こんなことを、本当に、ごく簡単にやってしまうんだ。後でどんなことになるかってこと、わかってるはずなのに」「どうしようもない。彼らには月の世の地獄の管理人でさえひどくてこずるんだ。彼らは自分以外の言うことは決してきかない。それでいて、その自分には全然自信がないんだ」「愛なるものを、侮辱しすぎるからだ」彼らは、地球の日照を浴びながら、遠くに見える高い緑の山を目指しました。

山は、人間によってアスファルトの山道を切り開かれ、頂上から少し下りて離れたところに、大きな建物と広い駐車場があり、そこから見える雄大な岩と水と緑の自然の風景を眺められる、かなり有名な観光スポットとなっていました。少年たちは、その駐車場にふわりと降り立ち、しばし、ちらほらと観光客たちの姿が見える周囲の風景を見ていました。そして彼らは何とも言えない胸苦しさを感じて、祈るように天を見あげると、駐車場を離れて森の中に忍び込み、まだ観光客たちが誰も知らない、古い時代に作られた小さな細い山道を進み始めました。山道は背の高い年経た木々たちに挟まれ、濃い森の香りと深い木々の嘆きが、水のように深くたまっており、彼らはその水をかき分けるように進みました。道はやがて上りになり、行く手に、不思議に澄んだ明るい日の光が見えてきました。それは地上の日の光ではなく、かつて日照界の役人が地上に呼び込んだ、日照界の日の光でした。しばらくして、彼らは、大昔、この山を信仰していた、今は滅びた古い民族によって作られた、小さな石組みの祠の前に立ちました。日照界の光は、その小さな祠の中から漏れ出ていました。少年たちが、その祠の前で一定の儀礼をし、神に感謝の祈りをささげると、祠から漏れる光が強まり、それは金色の幻となって、そこに小さな金のピラミッドを形作りました。少年たちはそのピラミッドに向かってもう一度頭を下げながら簡略な儀式をし、呪文を歌いながら、それぞれのポケットから白い玉を出して、そのピラミッドの中に放り込みました。するとピラミッドはすぐに全てを理解し、最初はかすかな、しかしだんだんと大きくなってゆく、不思議な音楽を流し始めました。

少年たちは、しばしピラミッドの前で礼儀を整えて座りながら、全てを見ていました。ピラミッドが流す音楽は、地上の人間の耳には触れようとはせず、はるか上空に流れ、空の風の中で、悲嘆に沈んで眠っていた精霊たちを揺り動かし、勇気づけて、活動を促しました。すると精霊たちは、あああ……、と一斉に声を合わせて目覚め、きょろきょろと周りを見回したかと思うと、ピラミッドの流す金の音を小さな珠玉に変えて、それぞれの耳に飾りました。そして少し勇気を取り戻した精霊たちは、再び活動を始め、人類の魂に、愛と創造を呼び掛ける歌を歌い始めました。

少年たちは遠くに動き始めた精霊たちの姿を見ながら、互いに顔を合わせ、少し希望に明るんだまなざしを、交わしました。金髪の少年が言いました。「悲哀はよそう。僕たちらしくない」すると刺青の少年が笑って答えました。「ああ、希望は僕たちの大切なとりえだからね。人類の未来は明るい。永遠に、いつまでも、こんな愚かなことを繰り返すはずはない」「そうだ。そのためにこそ、僕たちも、みんなも、がんばってるんだから。僕たちは僕たちの、できることをやるしかない」「ああ、神を信じてね」二人は微笑みあい、自然に手をとりあって、祠の前で、神の与えてくれた喜びの中、愛を交わしました。

やがて、ピラミッドから流れてくる音楽が消えると、ピラミッドはすぐに姿を消し、元の祠の形が現れました。日照界の光は、祠の奥に、真珠のように隠れながら、また活動を始めるときのための、静かな休息に入りました。少年たちは、祠の前で深く頭を下げ、祈りをささげ、神への感謝をしたあと、そこから立ち上がり、元の駐車場の方へと歩いて戻りました。

いつしか、日は傾き、空は夜に染まろうとしていました。今宵は月はないらしく、ただ白い明星だけが、西空低く、静かに燃えていました。と、刺青の少年が、どこからか、かすかな嘆きの声を聞きつけ、周りをきょろきょろと見まわしました。金髪の少年もそれに気付き、同じように、駐車場を見回しました。すると、ふと彼らは、駐車場の隅に植えられた、一株の赤い薔薇が、悲嘆に涙を流しながら、胸の破れるような声で繰り返しているのに気付きました。

「ちがいます。ちがいます。これはちがいます。ああ、こんなことが、こんなことが、あっていいはずはありません。まちがいです。まちがいです。真実は、真実は、こんなものではありません。どうか、どうか、だれか聞いて、だれか、わたしの声を聞いて。これは嘘なのです。みんな嘘なのです……」

少年たちは顔を見合わせました。その薔薇が、人間たちが平気でついている嘘に、深く傷ついているのを、彼らは感じました。刺青の少年が、口の奥でかすかな呪文を歌いながら、薔薇に近づきました。金髪の少年も、彼の後を追い、彼と肩を並べて、嘆き続ける薔薇の顔を覗きこみました。薔薇は一瞬、彼らの気配におののき、その小さな刺をとがらせて、それ以上近寄らないで、と言いました。わたしを、嘘で殺さないで。薔薇はふるえながらくぐもった声で叫びました。

刺青の少年が、明るく薔薇に微笑みかけ、言いました。「大丈夫だよ。君の声はきっと彼らの心に届く。いつかきっと、彼らも真実に気付く」「そうともさ。神は何もかもをご存じだ。君の心の叫びも悲しみも知っている。そして君が、どんなにか優しい心で、人間に問い続けてきたのかは、僕たちの誰もが知っている」
すると薔薇は、少し気持ちが安心したかのように、震えて、かすかに、こぼれるように小さな笑いを見せました。そして、一言、「苦しい…」、と言いました。

刺青の少年と金髪の少年はまなざしを交わしあい、うなずき合って、口笛で、ともに不思議な旋律を吹きはじめました。神に教えられた単調で美しい魔法の旋律は、薔薇の心の刺を癒すため、目に見えぬ秘密の歓喜の小屋へと薔薇の魂を導こうとしました。「やすみなさい、やすみなさい、めざめたころには、あさがきているよ。うつくしい、あさがきているよ」金髪の少年が歌いました。すると薔薇は、嘆いていた心の痛みが少しずつおさまり、沈黙の鎮もる神の小さな小屋へとだんだん魂を吸われてゆきました。刺青の少年が、つづきを歌いました。「のぞみはある。つねにのぞみはある。しんじていよう。みちを、しんじていよう。わたしたちは、まことのいのち。かみのあいする、まことのいのち…」。

彼らのささやく歌の中で、薔薇はやがて、瞳をとじ、やすらぎを顔に見せて、静かに眠り始めました。少年たちは、ほっとし、しばし、眠っている赤い薔薇の顔を見つめていました。

「美しいね、この花は」刺青の少年が言いました。「ああ、まさに真実の花さ。…そう、薔薇と言えば、昔、ここで、とても美しい愛を歌った詩人がいたっけね」「うん、彼も相当怪に悩まされたけど、がんばって、創造活動を行った」「…ああ、りっぱだった。彼の言葉は今も、人類の心に響いている」「そう、たいせつなものは、目に見えない…」二人の少年は立ち上がり、空に浮かぶ明星を見上げました。

「確かに、愛そのものを、見ることはできない。僕たちが見ることができるのは、愛が、永遠の永い時を行ってゆく、その美しい創造の活動と結果だけだ」「うん……」
少年たちはしばし沈黙し、ただ星に目を吸い取られていました。やがて、どちらともなく、言いました。
「…人類の未来は、明るいよ」「ああ、どんなに苦しくても、なんとかがんばってくれる人間は、必ずいる。そしてきっと、あの詩人のように、愛の花をここに咲かせてくれる」「信じよう。とにかく、僕たちは、信じ続けよう。人類を」「うん。そうしよう」ふたりは、星を見上げながら、言いました。

刺青の少年は、目を星から離し、キーボードを出して、記憶回路の中から、かつてその詩人が描いたという拙くも愛に満ちた、人形のようにかわいい男の子の絵を出しました。金髪の少年もそれを覗きこんで、ふふ、と笑いました。「…これ、やつにそっくりだ」「ほんと、彼は生きてた時、気付きもしなかったろうね!生まれる前、あいつが彼を導いてたってこと!」「こんなことが、あるんだなあ…、ふしぎだね」「これが、愛がつくった形ってものなんだね…」

少年たちはキーボードを閉じ、もう一度星を見上げて微笑んだあと、二人並んでふわりと空に飛び上がりました。彼らはそのまま、地球上で数カ月を過ごし、多くの人間の人生の状況を細かく調べては、導きの魔法を行い、やがて、たくさんの暗号記録を持って、一時の休息を得るために、日照界に帰ってゆきました。


 
 
 
 
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2025-01-16 03:38:13 | 月の世の物語・別章

ある小さなマンションの一室の、キッチンの隅で、若い女が一人、エプロンで頬を流れる涙をしきりにふいていました。彼女は、結婚したばかりの夫に、夕食がまずかったと叱られ、夫に口答えすることもできず、ただショックを受けて、一人声を立てることもなく、陰で静かに泣いているのでした。

その様子を、二人の少年が、隣の部屋から心配そうに見つめていました。彼女の夫は、居間のテレビの前で酒を飲みながら、ベースボールの試合を夢中になって観ていました。二人の少年がこの部屋にいることには、夫婦のどちらも気づいてはいませんでした。

「大丈夫だろうか?あんなことで、あんなに傷つくなんて。彼は、あんなに弱かったかな?」一人の少年が言うと、もう一人の少年が答えました。「彼は今女性だからね、多感なんじゃないかなあ。僕も女性に生まれたことはあるけど、確かにちょっとしたことでよく泣いてたよ」

少年二人は、泣いている若い女の中に、一人の赤い髪をした少年がいるのを見ていました。彼女は生まれる前、月の世で罪びとを導いていた少年でしたが、お役所の命で、二十数年前に入胎し、地球上に女性として生まれてきたのでした。
二人の少年たちは、居間にいる夫と、キッチンにいる女をかわるがわる見ながら、ため息をつきました。「…地球の男性は、女性を軽んじすぎるからなあ…」そう言いながら、少年二人のうちの一人が、キッチンの彼女の方に近づき、そっと、彼女の首にとりついていた小さな蜘蛛を捕まえて、呪文でしばりあげました。すると、女は少し体と気持ちが軽くなったようで、ふとエプロンから顔をあげました。少年は、彼女の魂にそっと近づくと、彼女の心の中でささやきました。(こんなことでくじけちゃだめよ。わたしは強いんだもの)すると女は、指で小さな涙をぬぐって、(そうね、まだまだこれからなんだから)と心の中で答え、少し微笑みました。

「おい、あまり余計なことはするなよ!役人さんに叱られる。彼はできるだけ自分の力で乗り越えなくちゃいけないんだ!」もう一人の少年が叫ぶように言いました。「わかってるよ。でもこれくらい、いいじゃないか。今の地球のひどさったら、ないんだから」蜘蛛を捕まえた少年は、唇をとがらせながら言い返しました。でも、もう一人の少年の言うことももっともなので、少し後ろ髪をひかれながらも、彼は彼女をそこに残し、二人でそっとマンションを出て行きました。

彼らは二人並んで夜空を飛び、マンションの隣町にある小さな山の麓の、短いトンネルのところに来ました。彼らの仕事は、人間が山に無断で開けたこのトンネルを清め、人間の代わりに山に謝り、そのトンネルが、山にとっていやなものにならないように、トンネルに意味のある美しい名前を付けて、よきものとすることでした。そのために彼らは数日かけて山の魂のために儀式を行い、長い慰めの呪文を、毎日読んでいました。そして、一生懸命、トンネルの名前を考えていました。しかし、なかなか良い名前が思い浮かばず、彼らは二人で考えに考え、考えるのに疲れて、ふと、近くに友達が生まれているのを思い出し、少し考えるのを休んで、そのマンションを訪れてみたのでした。

少年の一人は、トンネルの前に戻ると、呪文で縛り上げた蜘蛛に、もう一度呪文を振りかけ、月の世に帰るように命じました。すると蜘蛛は、ききっと声をあげ、少年の手の中からふっと姿を消しました。

闇空には高く丸い月が光り、静かに山を照らしていました。緑の山はそれは美しく、痛い穴をあけられながらも、それを自らの苦しいこととはせず、静かに微笑んで耐えていました。それは少年二人の心を、痛く苦しませました。人間はどうしてわからないのだろう。あらゆるものが、みんなこんな風に耐えていてくれることを。人間がいつか気付いてくれるのを、長い長い間、ずっと待ち続けていることを。

一人の少年が、目の前をライトを光らせながら通り過ぎていく車の列を見ながら言いました。「光る虫の道、てのはどうだろう?車って、ちょっと甲虫みたいじゃないか。美しいと思うけど」「そうだな。きれいな言葉だけど、どことなく、もっと愛がほしいなあ」「愛ねえ、どう言えば、愛が表現できるのかなあ。ここはもともと、人間が自分のエゴだけで造った穴なんだ。それを愛に言い換えるのは、難しいなあ…」少年たちは頭を抱え、腕を組みながら、懸命に考えました。たくさんの美しい言葉を考えて、いろいろと組み合わせてみたり、並べ替えてみたりしました。そうして、なんとか組みあげた名前を、山に問いかけてみました。しかし山は何も答えず、静かな沈黙でその名を拒否するのでした。少年たちはそうして、何日もの間考えて、いくつかの名をあみだし、そのたびに山に問いかけてみましたが、山はさっぱり受け入れてくれませんでした。少年たちは考えてばかりいるのに疲れ、また、例のマンションに住んでいる、彼女の元を訪れました。

若い女は、居間の隣の部屋に置いた、小さな机の前に座り、何かしきりに手を動かしていました。少年二人は、背後からそっと彼女に近づき、その手元を覗き込んでみました。「あ、刺繍だ!刺繍をしているよ!」一人の少年が声をあげました。彼女は、机の上に広げた刺繍の図案を見ながら、一針一針、丁寧に色糸を操り、紅い薔薇の花模様を白い布に縫いこんでいました。ふと彼らは、壁に、きれいなペルシャの猫を縫いあげた、刺繍の絵が額に入れて飾ってあるのを見つけました。彼らはそれを見て、ほお、と声をあげました。「いいじゃないか、これ、見事だよ」「うん、まだ若いけど、なかなかうまい。これ、ずっと続けていくといいな。そしたらとてもいいものができる」少年二人はしきりに感心し、しばし、彼女の、まだ少し不器用さを残しながらも、なかなかに上達した手の動きを見ていました。

「さてと」少年二人は、またトンネルの前に戻り、山に向かって儀礼をした後、二人で頭をふりしぼって考え始めました。目の前をひっきりなしに流れ、トンネルを出たり入ったりしている車たちは、まるで命のない石の塊が走っていくようで、とてもそっけなく、冷たく、山の存在をまるごと無視して通り過ぎて行きました。少年たちは悲しくそれを眺めました。「…いつか、人間がこれに気付いたら、今の僕たちと同じように、悩むだろうね」一人の少年が言うと、もう一人の少年がうなずきました。「たぶんね。彼らだって馬鹿じゃない。神がお創りになったすばらしい命だ。今は大変な時期だけど、彼らだっていろいろ感じて、進歩してるはずなんだ…」

少年の一人が、腕を組み、山を見上げながらため息をつきました。
「それにしても、難しい仕事だなあ。何にも思いつかないよ」「僕もだ。これはかなり時間がかかりそうだな」「なんでこんなこと、お役所がぼくらに命じたんだろう。先輩たちならもっとうまくやるだろうに」「そんなこと今更考えたって無駄だよ。とにかく、やれといわれたら、やらないとな」「ふうむ…」少年たちはしばし、いろいろと案を出し合いましたが、これといって手ごたえを感じるものはなく、やがて言葉を言うのにも考えるのにも疲れ果て、二人並んでひざを抱え、トンネルの前にうつむいて座ったまま、眠ったように動くのをやめました。

そして数日後、彼らはまた、マンションの彼女の元を訪れました。薔薇の刺繍はもう出来上がっており、壁に新しい額が飾られてありました。若い女は、彼らが薔薇の刺繍の見事さに感心している間、鼻歌を歌いながら背後で掃除機を動かしていました。
「きれいだねえ。これ、猫の絵より、上手いよ」「たしかに、上達してる。いいなあ。地球は、こういうところがすばらしいんだ。努力して、成長していくってとこが、とても気持ちいいんだ。僕も前に生まれた時、家具を作ってたことがあるんだけど、師匠について、毎日勉強して、だんだんうまくなっていくってのが楽しくってしょうがなかった」「いいなあ、それ、人間の美しさだね。ああ、それ、なんとかならないかな。トンネルの名前。美しい人間。人間の美しさ。これなんだよ。自分で作っていくってことなんだ。トンネルも、山にはとてもつらいことだけど、人間は確かに、苦労して造ったろうね」「それはそうだ。間違ってはいるけど、たくさんの人間が働いたろう」「トンネルができたことで、確かに流通はよくなった。ものの動きがよくなり、人間は簡単にものが手に入れられるようになって、暮らしは便利になった」「でもそれは半分悲哀だ。暮らしを便利にしなきゃならないのは、生きるのが辛すぎるからでもある」「うーん、そうだなあ」……

彼らがあれこれと語り合っている間に、時は過ぎ、女は買い物から帰ってきて、テーブルの上に買ってきたばかりの食物や本などを袋から出して並べました。少年の一人が、彼女が買ってきたその本が、料理の本であることに気づき、「お」と声をあげました。もう一人の少年もそれに気付いて、言いました。「彼、料理をもっと勉強するつもりなんだ。努力家だね。前からそうだったけど…」「へえ、夫に怒られても、反発しないんだ。あんなこと言われたら、悔しくて、却って意地を張る人が多いもんだけど」「あれは彼のいいとこだよ。ああいうのが、賢いってことなんだ」「賢い、か。賢い…、うん、賢いってことは、どういうことかな?」少年たちはまた考え始めました。「そりゃ、賢いってことは、常に愛から離れないってことだよ」「そうだよな。愛だよ、結局は。彼は、たぶん、怒られてつらかったろうけど、夫と喧嘩してみんなを不幸にするよりは、自分が努力して向上する方の道を選んだんだ」「…彼らしいね。賢い女性はよくそういうことをやるよ」「うん、美しい…なんかそこらへんに、何かありそうだな…」少年は唇をかんで考え込み、何かもやもやと頭の中に浮かんでくるものが何なのかを、探り始めました。

彼らは、彼女がベランダに降りて洗濯物を取り込み始めると、もう一度、薔薇の刺繍の絵を見つめました。彼女の上達はかなりのもので、糸の長さも張り具合もほぼ的確にそろい、色のバランスも見事で、薔薇の形は凛としてくっきりと白い布の中に浮かび上がっていました。それは、正しいことをひたむきに求めていた、彼女が生まれる前に少年だった頃の、まっすぐに澄んだ瞳を思わせました。

「…薔薇の入り口、というのはどうだろう?」ふと、一人の少年が言いました。「薔薇の入り口?」もう一人の少年が返すと、さっきの少年がもう一度言いました。「うん、今思いついた。薔薇は、真実の花だ。君も知ってる通り、薔薇の花霊は、最も真実を尊び、常に人間に真実を語りかけている。そして、人間の嘘に傷つきながらも、けなげに咲き続けている…」「うん、なるほど、真実か」「…そうか、わかったぞ、真実だ!トンネルを、薔薇の入り口と名付ければ、それは、真実への入り口となる。つまり、人間はあのトンネルを通って、真実への正しい道に入ることになる!」「おお!いいぞ、それ!つまり人間は、あのトンネルに入ることによって、美しい薔薇の真実に向かう道を走り始めるんだ!そしていつか、真実に目覚めて、あの山の愛と忍耐に、気付くんだ!」「よし、これだ!うまい!」「うん、とにかく、山に、問いかけてみよう!」二人はそういうと、マンションを離れ、山の方へと飛んでゆきました。

その夜、二人はともにトンネルの前で、一定の儀礼をし、山に対して深く敬意を表した後、トンネルの名を、「薔薇の入り口」と試みに名付けてみたいと、山に問いかけました。すると、山はそれを拒否せず、笑って答え、ああ、よい、と快く少年たちに言いました。そのとたん、まるで次元の幕が一枚剥がれたかのように、トンネルの光が清められ、前よりもぱっと明るくなりました。ひっきりなしに走ってくる車はみな、トンネルの入り口をくぐると、その光を浴びて、まるで生まれ変わったかのようにくっきりと新しい存在感をまといました。トンネルは、「薔薇の入り口」と名付けられたことによって、そこを通る者を真実の道へと導く新しい使命を与えられ、それによって、美しくよきものとなったのでした。

少年たちは喜びを顔いっぱいに表し、お互いに目を見合わせて、手を取り合いました。「やった!彼のおかげだ!」「うん、ほんとに!」「もう一度、会いに行ってこよう!」「うん、聞こえなくても、お礼だけは言いたい!」
二人は、もう一度マンションを訪れ、窓からそっと中に忍び込みました。夫婦は、シャワーを浴び終わり、寝巻に着替え、そろそろ眠る準備に入ろうとしていました。少年たちは、両側から女の耳に口を近づけ、二人声をそろえて、「ありがとう」と言いました。すると女は、何か聞き覚えのある声が耳に入ったようなくすぐったさを感じ、思わず首をかしげて、周りを見回しました。

「なんだい?びっくりしたような顔して」夫が問うと、妻はかぶりを振り、答えました「ううん、何でもないの。何か、聞こえたような気がしたのだけど、きっと気のせいね」

少年二人は、夫婦の寝室の邪魔をしないように、そっとマンションから抜け出し、空に飛び出しました。「彼、いい人生が送れるといいね」「ああ、また近くを通ったら、様子を見に来よう」「あまり余計なことはするなよ。彼は強いんだ。ここで生きることは苦しいけれど、きっと彼は、正しく生きていくよ。どんなにつらくてもね」「そうだ、人間たちだって、いつかきっと、みんな真実の正しい道を生き始める。あの薔薇の入り口を通ってね!」「いいなあ、それ…」。

二人は言葉を交わしながら、遠く下に見えるマンションの明かりに向かって、もう一度小さく合図を送り、そして、月の世に帰るために、星空へと向かって、高く飛んでゆきました。




 
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