青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

2024-12-28 02:56:48 | 月の世の物語

そこは、深い紫色の石で造られた、小さな街の、小さな通りでした。道の片隅に、紅色のカーテンで入り口を閉じた小さな占い小屋があり、少年ふたりが、今そのカーテンをおずおずとくぐろうとしていました。

中に入ると、そこには一つのテーブルと二つの椅子があり、奥の椅子に、女がひとり座っていて、彼らにやさしく、「いらっしゃい」と声をかけました。女は、長い黒髪をさらりと肩に流し、その顔は天使のように美しく、宝石のような緑の瞳は、緑山を映す湖水のように、澄んでいました。彼女はやさしくほほ笑んでいましたが、少年ふたりは身を硬くして寄せ合い、必死にその顔を見ないようにしていました。

月の世で、古道の魔法使いの恐ろしさを知らない男は、馬鹿でした。しかしそれでも、つい軽い気持ちでと入って行く男は珍しくはなく、交通違反程度の罪びとが、時々とんでもない深い地獄に落とされることがありました。少年ふたりはそのことを知っていました。しかしここは、男として、どうしてもやらねばならないことがあったので、彼らは勇気を振り絞って、彼女に挨拶し、要件を言いました。

「何?役人さんが?あたしをご指名なの?」女は驚いて言いました。少年たちのうちひとりが、はい、と言って、少し震えながらも続けて言いました。
「僕の担当してる人なんですけど、戦争で死んで以来何十年も地球の海の底で閉じこもってたんで、見かねて、無理やり月の世につれて来ちゃったんです。で、僕、何度も何度も導いたり癒したりしたんですけど、彼、閉じこもってしまうばかりで…、それで役人さんに相談したら、あなたに頼んでみろって、言われて……」
女は目をぱちくりさせました。「あたしにそいつを癒せっていうの?言っとくけどあたし、男を虐めたことはあっても、癒したことなんかないわよ?」
「し…知ってます…」少年のひとりが思わず言ってしまい、もうひとりの少年に小突かれました。

彼女は少年ふたりに導かれ、ある海峡の海の底へと連れてゆかれました。彼らが海底に降り立つと、そこに、泡の中で胎児のように身を縮めて眠っている男がいました。彼女はそれを見て、「何これ? カバの怪?」と言いました。少年たちはあわてて、「ちがいますよお」「ちょっと雰囲気が似てるだけです」と続けて言いました。

古道の魔法使いは、フン!と鼻を鳴らすと、杖を出し、とにかくは先ず、癒しの魔法を試みてみました。彼女は、それこそ聖母のようにやさしくほほ笑み、この上もなく美しい声で呪文を歌い、彼の心を呼び覚まそうとしました。しかし、泡の中の男は、ぴくりとも反応しませんでした。女は魔法を止め、男に近づいて間近にその顔を見てみました。よく見ると、男は美男ではありませんが、誠実で身の硬い感じの、四角い顔をしていました。彼女は、またフン、と言い、何度か同じ魔法を繰り返しました。しかし男は相変わらず、泡に閉じこもったまま動きませんでした。

彼女は、やっているうちに、だんだんと腹が立ってきました。片目が金色に変わり、一瞬でしたが、髪の一筋が銀色に燃え上がりました。少年たちは一層身を寄せ合い、離れたところからじっと様子を見守っていました。

女はにやりと笑いました。その胸の中では、いつもの炎が燃え上がり始めていました。そして彼女は、瞬間本当の姿を見せ、すぐ元に戻ったかと思うと、杖で男を包む泡をたたき、叫びました。「あんたァ!戦死したんだってぇ!」
少年たちが、うわあ、と声をあげました。女は鬼のような形相になり、言い放ちました。
「もしかしたらそんなこと、カッコいいなんて思ってるんじゃないでしょうねえ!」

女は清めの文字を杖で宙に描きながらも、男を指さしながら言い続けました。「知らないなら教えてあげるわ。あたしはなんでも知ってるのよ。あんたたちのことなんか」
女は杖を肩の前で横に構え、ひとこと泡のような呪文を吐いてから、言いました。
「戦争なんかねえ、ちっともカッコいいことないのよ。なんで戦争が起こるか?あんた知ってるう?」彼女はそう言うと男に近づき、その耳に唇を近付けてささやきました。「妬むからよ」。

はっはあ!と女は笑って、男からひと飛びで離れ、男を鋭く指さしながら叫びました。
「戦争なんてのはねえ、要するに、ズルをやって、相手をハメて、ブゥッ殺す!!! ってことなのよ!そんなののどこがカッコいいのよ!そんなことはねえ、馬ァ鹿ァ!!のやることよ!!」

そのときでした。ふと、泡の中の男が顔をあげ、一瞬、にこりと、ほほ笑みました。そして泡がぶるぶると震えだし、少し大きくなったかと思うとぱちんとはじけ、そこに、中背だががっしりとした体格の、誠実そうな若者が現れました。男は目を見開き、茫然と上を見上げていました。しばし沈黙があったかと思うと、男は小さな声で言いました。
「そうだよ…そうなんだ…馬鹿なんだ、戦争は……」
女と少年たちは、びっくりして、彼の様子を黙って見つめていました。しばらくすると、男は目から血のような涙を流し始め、がくりと膝を折り、海底に両手をつきました。そして、うっうっと泣き始めました。

「ほ、砲弾が、砲弾が、砲弾が、降って、降って、降って…、と、友達が、目の前で、爆発して……、ふ、ふねが、ふねが割れて……、お、落ちていく、みんな、みんな、落ちていく、戦争で、こんな、こんな馬鹿な戦争で、みんなが、みんなが、みんなが……」
男は泣きながら拳で海底をたたきました。
「生きてる頃から、思ってたんだ。なんでこんなことで、なんでこんなことで、死ななくちゃならないんだって…でも男じゃないって言われるのが、いやで、何も、何も言えなくて……、くっそお!」彼は上体を持ち上げ、上を見上げて両手を上に伸ばしました。そして震えながら言いました。「い、田舎には、おふくろと、ま、まだ小っこい弟がいて…、お、俺にとてもなついてて、トンボとってやったり、メダカすくってやったり…、そ、そんなことも、みんな、みんな、燃えて……」男は上にあげた両手を拳にすると、割れるような声で叫びました。「馬鹿なんだ!そんなことは!みんな、みんな、馬鹿なんだ!戦争は、戦争は、馬鹿なんだあああ!!」

男がそう叫んだときでした、海上から一筋の光が差し込み、彼を照らしました。男は目を見開き、光に手を差し伸べたかと思うと、涙を流した顔で幸福そうにほほ笑み、ゆっくりとうつむきながら、手を顔の前で合わせました。そして男の姿は、光の中に、静かに溶けて、消えていきました。

その様子を、皆は、茫然と見守っていました。しばし沈黙があり、最初に声をだしたのは、少年でした。
「…すごい、彼、日照界に行っちゃったよ」もうひとりの少年が上を見ながら黙ってうなずきました。女は目をぱちくりとさせ、言いました。「何?あたし、彼を癒しちゃったの?」
「そ、それどころか、救っちゃいましたよ。彼、さっきので魂が進歩したんだ!それで罪が軽減されて、日照界に行ったんですよ。あれくらいならきっと、あっちで三十年くらい奉仕したらすむ!」「そうだ、す、すごいや…!!」少年たちはぱちぱちと拍手しました。

古道の魔法使いは、上を見あげながら、うそ、とつぶやきました。


 
 
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ |  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

月の世の物語」カテゴリの最新記事