青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

2025-01-03 03:38:51 | 月の世の物語

その夜、天の国は新月でございました。黒い空に黄金に光る月の姿はなく、ただ、自ら光る天の国の光をかすかにはね返して、月は暗色に灯り、いつもとは違う顔を、空にかけておりました。

花の庭では、いつものように王様のための奏楽が行われていましたが、それも始まって間もなく、梅花の君が気配にお気づきになり、皆に演奏をやめるように告げました。
「まあ、もう王様はお眠りになったのですか?」「そういえば、この前も、こんな風でございました」「どうなすったのでしょう?まさかお体のお具合でも?」さわめく天女たちに、梅花の君は人差し指を口に立てて静まるようにおっしゃり、不注意なことを言ってはならぬと戒めました。天女たちは素直に自分たちの過ちに頭を下げ、梅花の君の言うとおり、それぞれ自分たちの小屋へと帰ってゆきました。

彼女らは、それから、美しい珠玉を孕む貝を育てている池を清めたり、天の国で産出する翡翠を彫って根付をこしらえたり、王様のお心をたたえるための花を育てる畑の世話をしたり、それぞれの仕事にいそしみました。新月によって、特に仕事のない者は、書堂に集まり、王様の著された美しいお詩集や、物語や、難しい学問の本などに、読みふけりました。

ただ、梅花の君だけは、王様のお宮の傍に残り、心配そうなお顔で、王様の寝顔を見つめておいででした。王様は、いつものように、ひじ掛けのついた立派なお椅子にお座りになり、ひじをついて安らかにお眠りになっておりました。見た限り、王様のご様子には、何も変わったことはございませんでした。王様はいつものように、日々、学問にお励みになり、神の御言葉を懸命に帳面に書き写したり、ご自身のお考えや御歌などを書かれて、美しい書物を著されたりしておりました。天女たちの奏楽にも楽しく耳を傾け、回数こそ少し減ったものの、学堂での講義もちゃんとこなしていらっしゃいました。

梅花の君は、王様のお顔から少し目をおそらしになり、ほう、と息をつかれました。ふと、彼女は、以前、王様が天の国をご散策になり、国の一番端の岬に立ち、空に向かって風に吹かれながら、朗々と、ご自分のお好きな歌を歌っているのを見たことがあるのを、思い出しました。

「わたしは、わたし…、わたしは、愛…」
梅花の君はつぶやくように、かすかな声でその歌を歌いました。天女たちも、王様に頼まれて、その歌を何度も奏でたことがありました。
しかし、岬の端に立って空を見ていた、あのときの王様は、いつものようにほほ笑んではいらっしゃいましたが、はるか空の彼方を見つめ、あまりにもさびしそうな瞳をなさっておいででした。そのお顔を見た時、梅花の君の胸はきりりと痛み、王様の悲しみを理解できぬ自分の学びのいたらなさを、厳しく責めたものでした。王様は、この上もなくお美しい声で、空に向かって、歌っておいででした。

「行こう。道は厳しく、つらく、そして長い。だがわたしは行こう。それがわたしの、誰にも恥じぬ、真実の道ならば……」

聖者様方は、多分ご存じでありましょう。しかし、天の国の者たちも、また学堂に集まる者たちも、さらに月の世に住む者たちも、誰も気づいてはおりませんでした。ただひとり、梅花の君だけを、のぞいては。

あの、安らかにお眠りになっている王様は、本当の王様ではなく、王様ご自身がそのすばらしい魔法の力で、見事におつくりになった、幻であることを。そして、本当の王様は、もうとっくに、ここにはいらっしゃらないことを。

のどにこみ上げるものを感じ、梅花の君は涙のあふれだした顔を羽衣で隠しながら急いでお宮の傍を離れ、空に飛びあがりました。そしてご自分の機織り小屋へと帰られたかと思うと、全ての扉と窓を閉め切り、ご自分を結界の中に閉じ込めて、その中で激しく声を上げてお泣きになりました。悲しみがあふれ、滝のように涙が流れ、それは小屋の床をいたく濡らしました。

行ってしまわれた!とうとう、行ってしまわれた!あまりにも、あまりにも、厳しすぎる道へと……!

梅花の君は小屋の床に何度も額を打ちました。悲哀が彼女を打ちのめし、どうしようもない孤独の嵐の中に魂を迷わせました。そして次に彼女は、ご自分のあばらの中で、何かが生き物のように激しく暴れているのを感じました。それは彼女ののどを無理やりこじあけてぐいぐいとのぼりはじめ、やがて一羽の白い鳥となって彼女の口から飛び出しました。宙に鳥を吐いた梅花の君は、力尽きて床にはたりと倒れ、そのまま動かなくなりました。

白い鳥は、しばし、ちろちろと鳴きながら小屋の中を飛びまわったかと思うと、突然鉄砲玉のようにまっすぐに天井を破り、小屋の屋根を抜けて、空高く飛び上がりました。それは、誰にも、決して言ってはならぬ、彼女の胸の痛い叫びの化身でした。その声は、白い鳥の中で、破れた心臓のように全身に血を浴びながら、何度も木霊のように繰り返し、叫んでいました。

神よ!なぜあなたは、あの方に、行けとおっしゃったのですか!!

白い鳥は最初、空にかかる暗色の月を、まっすぐに目指しているかに見えましたが、一瞬、ちろり、と鳴いたかと思うと、すぐに方向を変え、はてもない暗闇の向こうへ、どこへともなく消えて、見えなくなりました。

 
 
 
 

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