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青城澄作品集

詩人あおきすむの書いたメルヘンや物語をまとめます。

2024-12-26 03:33:02 | 月の世の物語

窓辺で、ぬるいお茶をすすりながら、博士はぼんやり、半月を眺めていました。少年が、研究室に入って来て、博士の様子を心配げに見ながら、言いました。
「先生、そろそろ時間ですけど、怪に食べ物やっていいですか?」
「ん?…ああ」
博士は振りむきもせずに言いました。少年は仕方なく、部屋の隅の箱の中を探り、例の光る棒を取り出して、研究室の水槽にいるムカデたちに食事をやりました。
「ほーら、ムカデ一号、二号、三号、御飯だよ~」少年が光る棒を細かく千切ってやると、ムカデたちは大喜びで食いつきました。少年はため息とともに言いました。
「どこ行っちゃったのかなあ?カメリア」すると博士は、空っぽになったカップをもう一度すすりながら、「ああ…」とぼんやり答えました。

カメリアが研究所から姿を消してから、七日が経とうとしていました。最初彼らは研究所とその周辺を探し回り、近所にある研究所にも尋ねてみました。しかし彼女はどこにも見つかりませんでした。博士は、彼女がいなくなって以来、研究もあまり手につかず、怪に食事をやるのもさぼりがちで、ぼんやり考えてばかりいました。

一年か…と博士は思いました。カメリアが、おずおずとこの窓から入って来て、博士と出会ってから、そんな月日が経っていました。一年一緒にいた蜘蛛が、一匹いなくなっただけで、なんでこんなに胸が寂しいのか、博士は、少し考えようとしました。しかし思考は鉛のように重く動こうとせず、出るのは小さいため息ばかりでした。

少年はそんな博士が心配で、ムカデの水槽のそばで博士を見ながらじっと立っていました。と、どこからか、かすれた男の声が聞こえました。
「カ、カメ…リァ…」見ると、水槽の中で、背中に3と数字を書かれたムカデが、全身を踏ん張って、懸命にしゃべろうとしていました。少年は驚いて叫びました。「先生!三号がしゃべってます!」博士はそれにははっとして、カップを窓辺に置くとすぐ水槽のそばにやってきました。ムカデは、苦しそうに身もだえしながら、なんとか、声を出そうとしていました。「カメリア、カメリアって言いましたよ!」少年が大声で言いました。「何だ、何を言いたいんだ、三号?」博士が言うと三号は水槽をはいあがるように半身で立ち上がり、言いました。「カメ…リア……せ…せ…せい…いき…行……た……」それだけ言うと、三号は力を使い果たしたように、水槽の底に倒れました。

「ちょっと待て?今何て言った?」「聖域って聞こえましたよ」「聖域って、あの聖域か?!」「ここにはほかに聖域なんてありません!」「カメリアが聖域に行ったって言ったのか?」博士は思わず水槽をゆすりました。すると三号は苦しみながらも小さな声で、「は…い…」とだけ答えました。博士は青ざめました。
「冗談じゃない、あそこの結界は生半可なもんじゃないんだ!!」そう言うと博士は思わず走り出し、窓を開けたかと思うとそのまま空に飛んでいってしまいました。「せんせーい!」少年が窓に飛びついて博士を呼びました。潮風が少年の頬を冷たく打ちました。博士の姿はすぐに、半月のむこうの闇に消えて、見えなくなりました。


青い風の吹く聖域では、いつものように、小さな童女が静かに笛を吹いていました。彼女は笛の音で風を導き、それをもっと高みへと昇らせようとしました。しかしその時、彼女はふと笛を吹くのをやめ、立ちあがって振り向くと同時に、長身の聖者の姿に戻りました。見ると、結界の向こうに、黒くうごめく蜘蛛の気配がありました。カメリアでした。

聖者は杖をとり、蜘蛛を追い払おうとしましたが、ふと何かに気付いてそれをやめました。と、カメリアは、聖者のお姿のあまりの美しさに茫然として、「か、神さま、神さま……!」と言いながら、引き込まれるように走り始めました。途端に彼女は結界に触れ、ばちっと音がしたかと思うと青い炎がゆらめき、その中に一瞬、金髪の少女の姿が見えました。しかしそれは風にくるりと回ってすぐに消え、代わりに、真っ赤な色をした丸いものが宙に浮かびました。聖者は事態に瞬時に気付き、ハッ!と声を破って杖を振り、結界越しに魔法をかけて、その赤いものを小さな結界の玉に包みました。赤いものは、シャボン玉のような結界球の中に、ふわふわ浮かんでいました。そして聖者は今度は大きく息を吸い、その結界球を自分の手元に呼びました。彼は黙ったままそれを手にして凝視しました。赤いものの正体は、まだ数カ月に満たぬ胎児でした。聖者は風のような早口で長い呪文を吐きはじめ、見る間に結界球の中に胎盤とへその緒を作り、羊水で満たして胎内の環境を作りました。

博士が、大慌てで聖域のそばまで飛んできたのは、その時でした。彼は、「カ、カメリア!」と叫びつつ、結界のすぐ外に飛び降り、ふらついて森の下草の中に尻もちをつきました。彼は顔をあげ、結界の向こうの聖者の姿を見ました。聖者は、まるでそこに白い炎が燃え上っているかのように、恐ろしい顔でまっすぐに立ち、光る目で博士をにらんでいました。彼は聖なる仕事を邪魔されたことを、怒っていました。

聖者は、腰を抜かしてものも言えぬ博士に向かって、若い姿には似合わぬ年を経た厳しい男の声で言いました。「半月島の者、魔法は使えぬな」言うが早いか、彼はすばやく宙に光る印を描き、再び、ハッ!と声を上げてその印を結界越しに博士の額にたたきこみました。博士はその衝撃で後ろにもんどりうって倒れましたが、すぐに何かの力に引っ張られ、立たされました。青草の上にふらつきながら、彼は自分の手が勝手に動くのを感じました。手は彼の目の前で、椀の形に合わさり、その器の中に、見る間に乳色に光る液体がたまり始めました。博士が驚いて言いました。「げ、月光が、汲める…」。

「その魔法は一年使える」聖者は博士に冷たく言いました。そして結界球を前に突き出し、息を吹いてそれを博士の手元に投げました。博士は結界球を受け取ると、中の胎児を茫然と見ました。胎児は羊水の中でくるくる回り、小さな声で「神さま……神さま……」と繰り返していました。その声に博士ははっとしました。「カメリア、カメリアなのか?」事態をまだ飲み込めない博士に、聖者はさらに冷厳な声で言いました。

「その者、怪であったがその罪を深く悔い、人間に戻ろうとしていた。だが、霊体の形成が未熟なまま聖なるものに近づいたため、そうなった。今日より十月十日の間、月光水を日に三度、胎盤に注げ。さすれば月満ちた時、それは見事な赤児となって蘇ろう。その後のことは別の者に聞くがよい。わかったか!!」博士は、「わ、わかりました…」と言うしかありませんでした。聖者は「では去れ!」と叫び、杖を一振りしました。すると博士とカメリアの姿は、もうそこにありませんでした。


「うわああああ!」と博士が叫んだ時、博士はもうすでに研究室の中にいました。彼はカメリアの入った結界球を抱いて、背中から床に倒れました。何が何だか、さっぱりとわかりませんでした。ふと気がつくと、少年が、研究室の窓を開けて、茫然と外を見ていました。

「お、おい…、どうした?」博士が、よろよろと立ち上がりながら、少年に声をかけると、少年は「先生?」と言って振り向きました。そして彼は茫然としたままゆっくりと、空を指さしました。「見てください、月が……」博士はカメリアを抱いたままふらふらと窓辺まで歩いてきました。そして少年が見たものと同じものを見て、目を見開きました。少年が震える声で言いました。「月が、望(まる)い……」

半月島を照らす月は、真っ白な真円を描いて、静かに空にかかっていました。




 
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2024-12-25 03:16:17 | 月の世の物語

ある病院の、ある一室で、今、一人の老人が、息を引き取ったところでした。医師が臨終を告げると、ベッドのふちにすがりついていた彼の妻がすすり泣き、後ろに立っていた三人の息子、娘たちが、悲しげにうつむきました。
その様子を、少し離れた所から、今死んだばかりの老人が静かに見守っていました。彼は妻の頬の涙や、子供たちの顔を見ながら、心の中で呟きました。(六十二年か。よく生きたほうかな)。

と、後ろから誰かが口笛を吹く音が聞こえました。老人が振り向くと、壁の向こうが透けて見え、眼鏡をかけた一人の少年が笑って手を振っていました。老人は、「ああ!」と声をあげ、瞬時に少年の姿に戻りました。彼は壁を抜けて病室を出ると、眼鏡をかけた少年と手を握り、抱き合いました。
「やあ、ひさしぶり、わざわざ迎えに来てくれたのかい?」
「いや、そろそろだと思ってさ、待ってたんだ。この頃こっちに呼ばれる仕事が多くて、ついでと言っちゃあなんだけど。」

さっきまで老人だった少年は、金髪に青い瞳の利発そうな少年でした。眼鏡の少年は、金髪の少年を船に乗せると、早速空に飛び出しました。すると金髪の少年は、少しさびしくなり、しばらく低空を飛んでくれないかと眼鏡の少年に頼みました。
「いいよ、六十二年生きてきたんだ。すぐに帰るのはつらいだろう」眼鏡の少年は快く、船を低空に下ろしてくれました。金髪の少年は、生きていた頃住んでいた町を、しばらくじっと見回していました。

「どうだった?人生は」眼鏡の少年が問うと、金髪の少年は町を見下ろしながら言いました。「まあまあかな、と言いたいところだけど、ほんとはかなり苦しかった。仕事で、上司にミスを押しつけられて、クビになりかけたりしたこともあってさ」「へえ」「結局は内部告発があって、上司が裏でやってた使いこみなんかがばれて、僕は助かったんだけど。ショックだったよ。見た目は温厚そうな、とても良い人に見えたから」「ああ、そりゃ人怪(じんかい)だな、多分」眼鏡の少年が言うと、金髪の少年はため息をつきつつ、「うん、僕もそう思う。人怪は良い人のふりが上手くて、裏ではずるいことや悪いこと、平気でやっちゃうからな」と言いました。人怪とは、怪が神の道理を破り、勝手に人間として地球上に生まれてきたもののことでした。「そんなのは今、地球にいっぱいいるよ」眼鏡の少年が船を回しながら言いました。

「ここで生きるのは、相当苦しいんだ、今。」金髪の少年は悲しげな目で町の向こうの山を見ました。「生きてる頃から思ってたけどね。テレビでも世間でも、色んな人が色んな事を言ってた。けど、実際彼らの言いたい事は、ひとつだけだった。『やつらはバカだ。おれはつらい』。」金髪の少年の言葉を受けて、眼鏡の少年が、はっはあ、と笑いました。「うまいね。そのとおりだ。苦しすぎるんだ、ここは。怪の天下みたいなもんだからね」。

船は、山に向かい、その下方にある新興住宅街の上を飛びました。金髪の少年は言いました。「ごらん。あの新しい家。最近人はあんな大きい家を欲しがるんだ。ここでは幸せになるために、あんなものが必要なんだよ。でも、悲しい。ほんとは人間は、もっと小さい家のほうが幸せなんだ」「うん」「僕の妻も、あんな家をうらやましそうに見てたな。僕らの家は、親の代からの古い家だったからね」「幸せだったかい?」眼鏡の少年が問うと、金髪の少年はしばし黙りこみました。地球の風が彼の髪をなでました。彼は空を見上げると、「そうだな」と言いました。「とにかく、子供三人は、みなまともに育ったし」「いいことじゃないか」「うん」金髪の少年は笑い、そろそろいくよ、と言いました。そして眼鏡の少年が、船を上に向けかけたとき、ふと、金髪の少年は気付きました。
「あれ?」
青い小さな光が、空から地上に向かって、まっすぐに降ってくるのが、遠くに見えました。

「なんだ、あれは?」金髪の少年が言うと、眼鏡の少年が答えました。「ああ、あれは水晶の火だ」「水晶の火?」金髪の少年が目を凝らして見ると、青い光は、はるか遠く山の向こうの、白い頂をした高山の上に落ちました。眼鏡の少年は、今、聖者様たちがやっていることを簡単に彼に説明しました。すると金髪の少年が驚いたように言いました。
「地球に聖域をつくるって?!」
「大方の人はそう言ってる。でもほかにも、霊的ネットワークをつくるとか、地球そのものを聖化するとか、色んなことを言う人がいる。聖者様は何かを知ってるみたいだけど、誰も何も教えてくれないんだ」「そんなの無理だよ。こんなところ、どうやって聖化するのさ?」「みんなそう言うよ。でも神様は、百パーセント、いや、二百パーセント無理なことでも、やっておしまいになるからね」「そりゃそうだけど…」「君も、帰ったら忙しくなるよ。何か仕事をしろって、役人さんが言いに来る、多分ね。」

眼鏡の少年は、船をぐいと上に向け、スピードをあげました。金髪の少年は、地球が見えなくなるまで、ずっと下を見ていました。






 
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2024-12-24 03:30:47 | 月の世の物語

天の国には、大きな学堂がございました。天の国の王様は、神の清らかな御言葉を受け取る霊感にすぐれており、それを人にも使いやすい呪文になおし、日夜新しい魔法を生みだしておりました。ですからその学堂で講義が行われる日には、新しい魔法を学びに来る人が、それはたくさん訪れてきました。

青年は、学堂の末席に座り、王様が宙に描いたみごとな光る印の形に見惚れながら、しきりに帳面に王様の言葉を書き写していました。彼は帳面に写した印の難しい組み合わせを見つつ、(すごいな、今の僕ではとても描けそうもない。ずいぶん練習しないとな)と思いました。

ひととおりの説明が終わると、王様は神の導きに感謝し、皆もそれに従いました。そして講義は終わり、学堂に集まった者は、一斉に王様に挨拶すると、みなざわざわと語り合いながら、それぞれに学堂を出ていきました。青年は帳面の図形を見ながら、少しの間ぼうっとしていました。と、まるで光が寄って来るように、王様がそばに来て、ほほ笑みました。
「どうしました。最近はよくおいでになりますね」
青年はあわてて帳面をしまって立ち上がり、「いや、ちょっと、思うことがありまして…」と言って、先ごろ聖者の仕事を手伝った時、その魔法陣の見事さに感動したことを、素直に話しました。
「ああ、それでですか。確かにあの方はとてもすぐれたお方です。わたしの所にも時々いらっしゃいますが、どんな魔法もすぐに吸収して、上手にお使いになります」
王様は彼の勉強熱心なことをとても悦びました。

「おや? 今日はほかにも御用があるのですか?」王様はふと目をあげて、言いました。「だれかお待ちの方がいるようですね」すると青年は、あっと声をあげました。
「そうでした。すっかり忘れていた。ありがとうございます」青年は王様に礼をすると、あわてて学堂を出て行きました。

学堂から少し離れた小さなお堂の中で、少年が待っていました。青年が姿を現すと、少年は「おそかったですねえ、どうしたんです?」と言いました。青年は、いや、ちょっと、と言葉をにごして、「醜女の君はまだおいででないね」と、言いました。すると少年は、少し口をとがらせて言いました。「もうすぐおいでになりますよ。もうちょっと来るのが遅かったら、お待たせしてしまうところでしたよ」青年は、「わかったよ。すまなかった」と謝りました。

「念のために言っておきますけど、醜女の君の前では、『お美しい』という言葉は禁句ですからね。あのお方はそう言われるとたいそう悲しがって、泣いてしまうんだ」
「わかってるよ。ここの王様は、それでも、そう言うらしいけどね」
「王様はほんとのことしか言わないんだ。それで醜女の君はこの頃、王様のことを、つい避けておしまいになるそうですよ」
「そんなにつらく思うことはないのになあ」
と、ふたりが語り合っていると、お堂の扉がぎいと開いて、醜女の君が姿を現しました。彼女はいつものように、顔を隠し気味に羽衣をかぶり、金の紐で口を結んだ大きな白い袋を手に持っていました。青年と少年は同時に立ちあがり、礼をしました。

「お待たせいたしました。これだけあればよろしいかしら」醜女の君は、袋を青年にわたしました。青年はありがたく頂き、瞬間目を光らせ、袋の中を透き見ました。中には見事に美しい月珠がたくさん詰まっておりました。青年は醜女の君に言いました。
「ありがとうございます。とても助かります。このお礼はいつかまた…」
「いえいえ、いいんですの。お役に立てるだけでうれしいわ」醜女の君は、少女のような愛らしい声で言い、口元に手をあてて、ほほ笑みました。

少年は、その手を見て、はっとしました。醜女の君のお手は、たいそう白く、見たこともないほど美しく整った形をしていました。彼はその手の美しさに引き込まれ、瞬間、我を忘れてしまいました。そして言葉を失った少年を、青年がひじでつつきました。すると少年は、あ、と気付いて、あわててお礼の言葉を述べました。醜女の君はほほ笑みながら、また御用があれば言ってくださいね、と言って、扉の向こうに去って行きました。

少年は、ほっと息をつき、思わず言いました。「あんなきれいな手、見たこともない」。
「なんだ、今頃気がついたのか」青年が笑いながら言いました。「美しいことをしている方の手は、あんなにも美しいんだ」。
「…そうか、やっぱり王様はほんとのことを言ってるんだ…」
少年は言いつつ、醜女の君が去っていった扉を、しばし見つめていました。


 
 
 
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2024-12-23 02:54:07 | 月の世の物語

ある日、月のお役所の、ある一室では、大騒ぎが起こっていました。
「ちょっと待て!ちょっと待て!なんだこの紙の山は!」役人の一人が大声をあげました。すると別の役人が悲鳴を上げるように言いました。「印刷機が勝手に動いてるんですよ! スイッチ押しても止まらないんです!」
「うわ、うわ、うわ、紙が紙が紙が、印刷機に吸い込まれる。誰か魔法使ってるんですか?」
「誰もそんな魔法使ってませんよ!」
中でただ一人の女性の役人が、紙の束に書かれた文字を読みながら言いました。
「ちょっと待ってこれ何? 怪の分類表だわ。全百五十二種、ムカデに蜘蛛にネズミに蝙蝠にゴキブリに犬、……犬? 犬の怪なんているの?!」
「それよりこっちを何とかしてください、指が、指が止まらないんですう!」中で一番若い役人が、木製の知能器のキーボードを猛スピードでたたきながら、言いました。彼の頭上では、青い水晶が、宙でくるくる回りながら青い光で彼を照らしていました。

「うわ、これのことだったのか!」ある役人が紙に書いてある文字を読みながら言いました。「なんだ?」と別の役人が問うと、彼は言いました。「伝説ですよ。昔ある聖者が、船に乗って地球に行って、猿の姿をした精霊と一緒に、大きなムカデの怪を倒したっていう」「ああ、そりゃ史実だ。実際大昔にそういうことがあったんだよ!」

「班長、班長、字が、字が逃げます!」「なあにい?!」「ほら、ほら!」見ると山のように積み重なった書類の中から、文字が行列をなし、ちらちら青く光りながら、紙を離れて虫のように宙に泳ぎ出していました。
役人たちはそれぞれに呪文を叫び、文字を捕まえて紙に戻そうとしましたが、呪文の言葉が奇妙に滑り、文字たちは全く従いませんでした。

「これは大変だ、大変だぞ」班長は室内の大騒ぎを見渡しながら言いました。
「班長! 彼の様子がおかしいです!」その声に、班長は狂ったようにキーボードを打っている若い役人を見ました。彼の目が異様に光っていました。髪もざわざわ伸びて肌の色も変わり、口のはたから白い牙が見え始めていました。「いかん、変化(へんげ)の病を起こしてる」「このままでは大変なことになりますよ」「どうにかしなきゃ」「だめだ、もうだめだ、誰か、誰か、誰でもいいから聖者様を呼んで来い!!」班長のその声と同時に、女性の役人がふっと姿を消しました。そして数分後、一人の小柄な老人の姿をした聖者をつれて、現れました。

聖者は部屋の様子を見ると、何も言わずに、光を放ちながら回っている青い石に近づき、ひとこと呪文を唱えると、杖でとんと石をたたきました。すると青い石の光が消え、すとんと若い役人の背中に落ちました。同時に、若い役人はキーボードの上に顔を落として倒れました。聖者は指で古い紋章を宙に描き、口笛の歌を一節吹きました。すると変化を起こした役人も元の姿に戻り、部屋中で泳いでいた文字たちも一斉に紙に戻りました。印刷機も止まり、さっきまでの騒ぎが嘘だったかのように、部屋は静まりかえりました。

騒ぎを聞きつけて、他の部署の役人が何人か集まってきました。
「何が起こったんだ? 一体」誰かが聞くと、「いや、何と言っていいか」班長は事情を説明しました。それによると、金の文字の最初の一画が案外簡単に読め、それが青い石の使い方と文字の訳し方、それを起動する呪文であったということでした。
「それを実際にやってみると、こうなったんです。お騒がせして申し訳ありません」
「いや、みな無事であったからいいが、それにしてもすごいな、この書類の量は」
すると、部屋の隅に座っていた聖者が、くっくっと笑い始めました。聖者は、女性のようにやさしい声で、言いました。「書類の中のどれかに、多分青い石の制御の仕方が書いてあるはずだ。魔法で探しなさい」すると女性の役人が、はい、と言って、口笛を吹きました。と、部屋中を埋め尽くす書類の山から紙が一枚飛び出し、彼女の手の中にするりと入ってきました。
「ああ、ほんとだ、制御の呪文が書いてある」彼女は頭を抱え、床にへたりこみました。

騒ぎが収まり、班員以外の役人はみな自分の部署に帰っていきました。聖者もみなに挨拶し、部屋を出ました。と、廊下に散らばった書類の中に、一枚だけ、奇妙に光っているものがありました。聖者はその紙をかすかな口笛で呼び、それを手にして読みました。そこにはただ一言、こう書いてありました。

「もうすぐ彼が来る」

聖者は、一瞬眼光を鋭くし、その文字を逃げ出さないように紙に縛りつけました。そして静かに紙を折りたたみ、一つの小さな白い石に変えて、それを口に入れ、飲みこみました。
 
 
 
 
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2024-12-22 04:06:47 | 月の世の物語

深い森の奥、緑の香り濃い聖域の中で、ひとりの童女が、目を閉じて静かに笛を吹いておりました。梢の隙間から、さらりと金の布を下ろすように月光が射し、かすかな風の響きを従えながら、清い笛の音は森の秘密の中に、静かに溶けてゆきました。童女は白い古風な着物を来ており、清めの赤玉を三つ首にかけておりました。黒髪も古風に結い、きれいな赤い紐で髷を結んでおりました。

童女はふと目を開け、笛を吹くのをやめました。見ると森の緑の下草が、微かにゆれてざわめいていました。童女は目をぱちぱちさせながら、しばし息をひそめて、大地の魔法を見ておりました。すると青草が一筋、天に向かってまっすぐに伸び、それが微かな風のそよぎを感じたかと思うと、緑の一部がくらりと揺れ、まるで卵のように、大地から一つの水晶球が生まれました。童女は、にこりと笑いました。水晶球は風の上にくるくると回りながら浮かんでいました。童女は笛を懐にしまうと、水晶球に近づき、くるくる回る水晶球を、小さな白い手で捕まえました。そして、聞いたこともない呪文を旋律にのせて歌いながら、一歩一歩踏みしめて、聖域の外に出ました。

すると、とたんに童女は姿を変え、そこに一人の聖者が現れました。聖者は白い髪をした長身の青年でした。聖者は水晶球が聖域外の風に触れても、びくともしないことを確かめると、月を見上げて、月光を口に吸い、しばし口を閉じた後、ふっと、光の炎を水晶球の中に吹き込みました。すると水晶球の中で、青い炎が燃え始め、それはあたりを青い光で明るく照らしました。聖者は静かな声で、短い呪文を水晶に吹き込んだ後、よし、いけ、と言って水晶球を空に投げました。するとまるで闇にさらわれたように、水晶球は空中に消えて見えなくなりました。

その頃、地球世界のある氷海の底では、ある聖者と、青年が、水晶球の来るのを待っていました。青年は氷海の底に聖者が描いた魔法陣の見事さに息を飲んでおりました。どれだけの間学べば、これほど見事に、正確に描けるのだろう、と思いました。

「もうすぐですね」と青年は言いました。聖者はこくりとうなずきました。この聖者は老人の姿をし、白い髭を長くのばし、とても古い時代の服を着ておりました。青年は今回、彼の補助としてともに地球のこの氷海に下り、魔法陣の下地になる仮の聖域をつくるのを手伝いました。
彼らの周りには、巨大な銀のリボンのような魚が一匹泳いでおりました。それは体の大部分は魚と言えましたが、顔だけは美しい人間の女の顔をしていました。氷海の精霊は水の中に清めの音律を流しながら、来るべき時を共に待っていました。

「今回で十六個目か。神は一体、何をなさろうとしているのでしょう?」ふと、青年が聖者に問いました。聖者はしばし沈黙を噛んだあと、老人の姿に似合わぬ若々しい声で答えました。「はっきりとしたことは言えぬ。神の御言葉は一文字読むのに百年かかるからの」
「確かにそうですが…」青年が言いました。すると精霊が、低い女の声で言いました。「わたくしの予測ですが、神は聖なるものを使って霊的情報網のようなものを地球世界にお創りになりたいのだと思いますわ」氷海の精霊は賢く、かなり位の高い智霊のようでした。
「きっと時がくれば、各地に埋めた水晶の光が全てを上手く運ぶんだと思いますわ。」

「しっ!」突然聖者が声をあげました。「来た」精霊が上を見て言いました。青年は魔法陣のふちに立ち、海に浮かぶ厚い氷の岩を下から見上げました。その氷の岩をすき、大きな光る水晶球が水の中に現れました。水晶球は青い光で海中を照らしながら、ゆっくりと水の中を飛んできたかと思うと、聖者の描いた魔法陣の真ん中に、見事にするりと吸い込まれました。
「入ったな」聖者が言うと青年は地中に目を凝らし、「入りました」と答えました。すると精霊は何も言わずに魔法陣の上にとぐろを巻き、一瞬蒼い髪をした女の姿に戻り、たちまち大きな蒼い氷塊に姿を変えて魔法陣を隠しました。聖者は呪文を歌い、時が来るまでその氷が溶けることも割れることも汚されることもないように、深い魔法をかけました。青年は聖者の呪文に従って声を合せながら、氷が金剛石のように硬く固まってゆくのを見ていました。

「よし」聖者は言いました。青年は、氷塊に触れつつ、精霊に言いました。「どうだい、苦しくはないかい?」精霊は答えました。「大丈夫です。ちゃんとできますわ」。青年はほっと息をつきました。
「ではいこう、また次がある」聖者が言いました。青年と聖者は、精霊に別れを告げると、静かに海を昇っていきました。
 
 
 
 
 
 
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