<S23年の「大曲駅」付近の航空写真>
●歩いた日:2019年12月9日(月)
●歩いた所
・大曲:通町、中通町、黒瀬町、大町、上大町、栄町、上栄町、日の出町、金谷町
※ いずれも新町名である。正式には町名の前に「大曲」が付く。
●歩いたログ(足跡)(道のり5.8km)
(以上の航空写真、地図:国土地理院)
※ 市街地で見づらいですが、ご容赦願います。
次はS51年の街の南部。
(S51年:街南部)
「丸子川」以南の写真で、縦に長いのでスクロールしながらご覧いただきたい。
旧「国道13号」は、カギ型に曲がって「大曲農業高校」の脇を通っていた。橙色の線は前の写真と同様、新たに整備されて現在通っている道である。街の右手(東側)一帯は、現在は住宅街となっているが、当時はまだ大半が田んぼである。
写真上部、「丸子川」近くの、本陣(「鞠水館」)があった場所を印した。S43年に本陣は解体され、その場所には「勤労青少年ホーム」が建設されたので、写る白い屋根の建物はその体育館と思われる。その体育館も無くなって、その跡に、本陣を再現した「産業展示館」が建てられ現在に至っている。「丸子橋」のすぐ北にあった「御前井」と本陣はすぐ近くであることがわかる。
なお、「諏訪神社」は、本陣の場所から現在の場所に移転したことは本文に書いた。
「大曲一里塚跡」も印した。その通りと、「大曲駅場」の中心地に立てられたという案内板が立つ十字路、「丸子橋」をつないで推測した旧「羽州街道」の道筋をピン色でなぞってみた。あくまで推測なので間違っているかもしれない。
本文とは関わりないが、中央やや左手に建つ大きな建物は、白い屋根が市(当時は「大曲市」の庁舎、水色の屋根は「大曲小学校」である。
S23年の写真である。また街北部から。
(S23年:街北部)
S23年の写真を見ると、いつもタイムスリップしたような気にさせられ楽しくなる。写真はやや東に傾いている。
流路が付け替えられる前の「雄物川」が左端に写る。
S51年と同様、旧「羽州街道」をピンク色の線でたどってみた。S51年の写真に写っていた「大きな木」がこの写真にもはっきりと写っている。
S51年に「勤労青少年ホーム」の体育館と思われる建物が写っていた場所に、大きな屋根の本陣・「鞠水館」が見える。
さて、この写真から「大曲駅」ができる前の街の姿を、かってに想像してみたい。
駅の北から東に一面の田んぼが広がっているように、駅のある場所一帯もかつては田んぼで、街中から少し離れた郊外に駅がつくられたと推測される。さらに、現「花火通り」も「タカナヤギ」がある場所までは駅開設後につくられた道であることから、この道沿いとその東側一帯も田んぼ、あるいは畑地だったかもしれない。もちろん、駅から「黒瀬踏切」に至る道もなかったはずだ。
写真中央の橙色の↓↓で指した道に注目いただきたい。この道はS51年の写真にもはっきり写っている(今はそのほんの一部しか残っていない)が、大きくカーブした道に面して家並が続いている。この道は古くからの道に違いない。「タカナヤギ」のある角で「羽州街道」から分かれて東に向かうと、その先は旧「角館街道」と旧「仙北町高梨」に至る道になることも、この道が古い道であることを伺わせる。
なお、「大きな木」がある所から西にもまっすぐな道があり、この道沿いにも家屋が連なっている。この道は「雄物川」の端に写る木立の中にある「八幡神社」に向かっているので、この道も古いと思われる。
「大曲」の街は、「羽州街道」沿いとこうした古い道沿いに家屋が立ち並ぶ、そんなに大きくない街だったように想像される。
街の中心部というと、やはり、本陣や「大曲駅場」あり、「諏訪神社」や大きな寺が建つ「丸子川」のすぐ南側一帯だったと思われる。
余談になるが、「黒瀬踏切」の東側で旧「角館街道」が大きくカーブしているのはいかにも不自然である。右上、「四ツ屋」方面から来た時に踏切直前で丁字路に突き当たるので、踏切を渡るのが難儀であった記憶がある。これは踏切の設置によって道が付け替えられたものと想像される。鉄道が通る前は橙色で描いたようにY字路をなっていたのではないだろうか。
余談をもう一つ。踏切から右下、「高梨」に向かう道がいやに広く見える。この2~3kmほど先に大地主、「池田家」の屋敷がある。「池田家」は自費で自宅から「大曲駅」までの道を整備したと、何かで読んだ?記憶があるので、それで道が広くりっぱなのであろうか。
街の南部である。
(S23年:街南部)
これにもピンク色で旧「羽州街道」を書き入れた。旧「羽州街道」の東側一帯は、きれいに整備された田んぼが広がっている。現在は大半が住宅地となっている。
駅場の案内板が立つ角から南にまっすぐ延びる道も後にできた道のようだ。「地名への・・」によると、「上栄町」(「大曲農業高校」と「大曲高校」の中間辺り)の本通りは、M22年に裁判所が設置されてからできた、とある。道の突き当り、「大曲農業高校」の隣に見える建物が裁判所のようだ。子供の頃、親がよく「裁判所に向かってまっすぐ行くと・・・」と言うのをよく耳にした記憶がある。
中央やや左寄りに「大曲小学校」の校舎とグランドが写る。街部から少し離れた場所にあり、校舎のすぐ西側が「雄物川」の川原になっている。
街の南部も昔の姿を想像してみる。「羽州街道」沿いはそれなりに家屋が建ち並んでいたと思われる。写真を見ると、「羽州街道」から東西に延びる何本かの道沿い(見づらいが、橙色の↓↓で印したところ)にもびっしり家屋が連なっている。これらのことから、「羽州街道」やこうした道の沿線には家屋が建ち並び、集落を形成していたものの、駅場案内板の立つ十字路から南にまっすぐ延びる通り沿いも含めて、それ以外のところは一面の田んぼや畑、あるいは原野状態だったと想像される。
なお、「大曲小学校」のすぐ北側にある集落から河原へ降りて岸に向かう道がうっすらと見える。「雄物川」の対岸にも岸に道が続いているのが見える。左端に川に架かる橋が写っているが、かつてはここが渡し場だったようだ。
かなり長くなってしまった「大曲」の街歩きをこれで終わります。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:439.1km)
「大曲駅」の南に新たに赤い線が加わりました。次回からは「旧仙北町高梨」を歩いた記事を掲載していく予定です。
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