天地暗察  もうひとつの宇宙の観察の記録

「心の闇」といえばネガティブな響きですが
その闇を「内なる宇宙」と捉え観察してきました。いま、パラダイムシフトの時

神様を畏れる

2013年09月10日 | 節約聖書
 「旧約聖書」「新約聖書」があるなら「節約聖書」があってもよいのでは?
これは、神をも畏れぬ発想なのか?神を冒涜することになるのか?
「触らぬ神に祟りなし」なのか?
自称、聖書の信奉者であるとはいえ、「聖書」を前面に打ち出すのは、
戸惑いを感じていましたが「神を畏れればこそ」『節約聖書』なるものを
書いてみようと思うのです。

 もっと、聖書に何が書いてあるのかわかりやすく伝えることができれば、世界は、変わる。
そう信じてキーボードを打っているのです。
万人が「神様と人間との契約」を知ることが人類が「約束の地」(天国、楽園、極楽浄土など)に辿り着く近道なのだと思います。

『節約聖書』なるショートカットで世界を変えようとしているのです。

世の中は、どんどん便利快適になっているのに、「宗教」だけは、いまだ古典や歴史に縛られては
いないでしょうか?そろそろ飛躍的な発展を遂げたらどうでしょう。

私たちが便利で快適な生活が送れるのは、誰かが便利なモノを開発してくれているからなのです。
一般ユーザーがそれを対価で手に入れ使っているそれが世の中なのです。

想像力が未来を作っているのです。

私が想像し開発したもの・・・それは、宗教です。分不相応かもしれません。
でも使命感に動かされています。

それをいまから世界に発信していきたいのです。
キャッチコピーは、
「月々のランニングコストが0円の宗教を開発しました。」といったところでしょうか?
それは、「無線LAN」的な発想です。有線でプロバイダーと繋がっていなくてもいいのです。
万人がそれぞれ「wi‐fiスポット」にいてそれを利用することができると仮定しての発想なのです。

宗教団体は、プロバイダーのようなものです。宗教団体に入っていなくても心の中で偉大な何か・・
「something great」と繋がることは、できる。私の体験からそう考えたのです。


そこから得られる情報は、というと「未来」です。
「聖書」は、「約束の地」までの地図です。
目的地に辿り着いたとき地図は、その役目を終えるのです。
私たちが「約束の地」をすなわち「未来」を観ることができたとき宗教は、その役目を終えるのです。

現実の世界では、「行きたい」とその気になった時、お金と時間があればほとんどの場所にいけるはずです。
未来にもその気になれば行くことができる。のでは、ないでしょうか?

大切なのは、そこが「行ける場所」なのか「行けない場所」なのかハッキリ認識することなのです。

そして、私たちが未来に行くために必要な対価・・それは、悔い改めることだけなのです。

「節約聖書」・・交響曲を誰でも親しめる J POP にそんな発想です。



 マタイ3.2 
  「悔い改めよ 天の国は、近づいた」
 この聖句は、いまも生きているのです。 

 「天の国は、近づいた」そのことが福音・・良い知らせなのです。


 マタイ24.14
  「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。
  それから、終わりが来る。」


  少なくとも全世界に福音が宣べ伝えられなければ、終わりは、来ないし
  宣べ伝えられてから何かが変わるということでしょう。

 マタイ10.6・7
  「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って『天の国は、近づいた』と宣べ伝えなさい。」


  新約聖書は、イエス・キリストと12人の使徒が福音を宣べ伝えた歴史の書です。
  心の耳を澄ますとき福音は、時空を超えてあなたにも聴こえるはずです。


  心の耳の澄まし方それは、悔い改めることなのです。

  私が体験した方法を「心のクリーンアップ」として 下記ホームページで紹介しています。

  http://peace2009.net/index.php?%BC%C2%C1%A9%A4%B7%A4%DE%A4%B7%A4%E7%A4%A6