はじめまして、ぼくの名前はアルタンブラク、遥か560万光年彼方の銀河から時空を越えてきみたちの銀河にやってきたんだ。そして知的生命体を捜しているうちにこの太陽系にたどり着いた。そしてぼくたちは、その第三惑星そう、きみたちの暮らす青い星をみつけた。そしてその美しさにぼくたちはなんて表現したらいいんだろうズバリ「恋をしたんだ」きみたちが素敵な人を見て一目惚れするように青く瑞々しい地球はもう二度と消えることのないくらいぼくたちの目に焼きついたんだ。ぼくたちの誰もがこの星で暮らしたいと思いはじめた。宇宙には数えきれないほどの星がある。きれいな星だっていくつも見てきた。けれど地球のように生命のエネルギーを感じる星にであったのは初めてなんだ。「地球ときみたちの存在は、宇宙の奇跡」 ぼくたちは、そう思った。
どうやってきみたちとコンタクトをとるか?どんなプレゼントをもっていったらきみたちから歓迎されるだろうか?
きみたちの描く宇宙人のイメージは、どんな感じだろう?宇宙人がやってきたら侵略されるとか思ってるのかな?だったら、ご期待には添えないけどぼくたちは、とても友好的で争いごとは嫌いだから地球を侵略しようなんて考えは、これっぽっちちも持ってないんだ。地上に降りると宇宙からは、とても美しかった地球が荒れていることにがっかりした。地球は、経済優先の社会の犠牲になっていたことを思うとぼくは、とってもかなしくなった。だけど、いまきみたちは、この星の環境を守らないといけないと気付いている。そのためにきみたちがいろいろ研究したり話し合いをして行動していることを知ってぼくたちもきみたちの力になりたいと思ったんだ。
実は太陽系に知的生命体の存在を感知したときからぼくたちは、その惑星のことを
USO (unidentified shipwreck object)地球式にいうと「未確認沈没物体」そう呼んでいたんだ。
星が沈没しているなんて・・うそだろー この目で見るまでは信じられなくてでも、それは、残念なことに本当だった宇宙規模でみれば、地球は、沈没しかけの原子力戦艦のようだ。・・・・オゾンホールという致命的な穴が開いてるからね。そのうえ、放射能漏れも重なって・・きみたちがどんなに不安なことか・・
でも、大丈夫きみたちが溺れている人を見捨てて置けないように宇宙で溺れている星をぼくたちだって見て見ぬふりはできないんだ。時空を超えられる宇宙の住民としては、何が何でも助けるしかない。
ぼくらの生命はひとつにつながっている 同じ宇宙のひとかけら アトムのこどもだから
ぼくは、大きな大きな気持ちになって、地球を抱きしめたんだ。地球の鼓動やみんなの気持ちを耳を澄ませて聴いてみなくちゃ・・・きみたちみんなが喜んでくれるなにかをみつけるために・・・
地球が元気をとりもどすには、どうしたらいいのか? まず何から手を付ければいいのか?どうしたら、きみたちが仲良くなるのか?まず、きみたちが困っているのは、地球の環境問題、地球が沈んでしまったら、元も子もないから・・・ぼくは、考えた うーんと 考えた。ぼくは、ひらめいた。たとえば、ぼくが大きな木になってCO2を食べる。たとえば、ぼくが大きな太陽熱発電機になってクリーンなエネルギーを作り出す。それより、いま、きみたちが望んでいるものは、放射能除去装置なのだろうか?
ぼくは、時空を超えられるし、すぐにでも、オゾンホールを修復して温暖化を阻止することぐらいできないことはない。エネルギーだって鏡にならなくても手に入れることができる。ただ、なんとかできると思うけど放射能の除去は、前例がないんだ。それは、いま最も優先されるべきだと思うけど・・ぼくにとっても難問なんだ。できることからしてあげたい気持ちは、やまやまなんだけど、よく考えると、それでは、きみたちのためにならないと気づいたんだ。だって、きみたちは、五百年前でも千年前でも・・
地球温暖化なんて言葉がなかった時代からずーと傷つけあってきたんだから地球を救うことが先か、きみたちを仲良くさせることが先か、ぼくは、究極?の選択を迫られた。
究極の選択をする前にぼくは、きみたちのことをもっと知りたいと思った。だから、ぼくは、地上できみたちと同じ生活を送ってみたんだ。テレビをみたり、いろんな本を読んだり、犬と遊んだりしながら地球で暮らしているきみたちの気持ちを感じることからはじめた。
ある日、ぼくは、本の中にいい言葉をみつけた。それは、中国の思想家、荀子が言った言葉
「ある人に魚を与えたならば、その人の一日の食を満たすことは、可能であろう
しかし、彼に魚をとる技を教えたならば、彼は、一生、魚を食べ続けることができるであろう」
この言葉は、今のぼくにぴったりくるものがあった。ぼくは、地球の豊かな自然が回復し、平和の中で仲良く暮らすきみたちの姿を夢に見た。この夢は、かなり欲張りかもしれない。この夢は、きみたち人間のルールでは、不可能かもしれない。でも、宇宙のルールをきみたちが学ぶことができたとき、きっとそれは、現実になる。ぼくは、そう思った。それは、きみたちのためだけではなく、ぼくたちにとっても大事なこと きみたちが仲良くしていることや地球の自然が美しいことは、そのまま、宇宙の美しさだからだ。
ある三日月の夜、ぼくは、地上から宇宙を見ていた。ぼくは、急に月に行ってみたくなって宇宙船に乗り込んだ。月に着くとぼくは、びっくりした。「アポロ計画」できみたちが月面着陸に6度も成功していたのは、本当だったんだ。いまでこそ、きみたちのコンピューターは、1秒間に何兆もの計算ができる。
でも、「アポロ計画」の当時は、電卓ほどの計算能力できみたちは、月を目指した。それを達成したきみたちの技術と精神力にぼくは、とても感心した。
ぼくは、アポロ11号が月面に贈ったレリーフを見た。そして、一緒にあった一冊の本に目がとまった。
それは、1971年にアポロ14号が月面に残していった「聖書」だった。ぼくは、その「聖書」を読んでみたくなった。聖書を手にして持ち上げたときちょうど、月の地平線から昇ってきた地球と重なった。
ぼくは、視線を感じた。目を閉じると、きみたち地球人が月を見上げて祈ったり、親子で指をさしたり、
同じ月の下にいる友を想ったりしている姿がまぶたに映った。それは、ぼくが初めて地球を見て 「美しい!」と思ったようにきみたち地球人の「心の美しさ」を感じた瞬間だった。そんな「美しい心」を持ったきみたちだったらきっと地球は、大丈夫。ぼくは、そう思った。
月の表面は、太陽の光を受けると摂氏100度 を超える灼熱だ、その光がジリジリと近ついてきたのでぼくは、陽のあたらない場所に移った。しばらく行くと小高いクレーターの淵が見えた。そこに腰掛によさそうな岩があったのでぼくは、座って聖書を膝の上に置いた。
地球にいた時、ぼくは、聖書やほかの経典を何冊か読んだから聖書がキリスト教をはじめいくつかの宗教の経典だということは知っていた。無数の宗教の礼拝や集会なんかにも忍び込んで見学した。お経の話しや宗教のいろんな話しを聴いたけれどぼくには、わからなかった。地球人は、何を求めて祈り・・何を求めてお経をあげているのか?神様の国? 今の幸せ? 心の平安?なぜ、地球というひとつの星にたくさんの種類の宗教があるのか?「宗教」ってなんだろう?ぼくは、考えた。ぼくは、あの三日月の夜もそんな疑問を持ちながら宇宙を見上げていた。そして、月に行ってみたくなったのは、「ここにある答」に導かれたのだろうか?
いま、ぼくは、きみたちが「月」に いや「宇宙」に贈った「一冊の聖書」を手にして震えている。
ぼくが「なぜ、震えているのか?」って?それは、ぼくの悩みの中に一条の光明がさしたからだ。
それは、同時にぼくの中にあるいろんな知識をネットワークで繋ぎひとつの知恵にしてくれた。
つづく
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