大科第七 問遮(続き)
五には、阿闍梨を殺さざるや、否や。
答えて曰く、否なり。
私に云く、阿闍梨と云は、西天の正音なり。此には名て軌範師と為す。此れは授戒の師なり。謂く和上阿闍梨。又、教授師有り、此れ威儀を教るの師なり。此の三人をば、三師と名く。七人は証誡なり。故に合して十律師と云なり。又、上座有り、小乗律には賓頭盧を以て上座と為す。大乗律には文殊を以て上座と為す。此れ皆、極恩重恩の人なり。彼に於て敢て殺心を発さざるなり。
『続浄土宗全書』巻15・77~78頁、訓読は原典に従いつつ当方
この辺だが、おそらくは太賢『梵網経古迹記』巻下の影響があるのではなかろうか?例えば、以下の一節が知られている。
和上とは、即ち親教師、授戒の和上なり。阿闍梨とは、即ち軌範師、授戒、羯磨、威儀、教受、受業等の師なり。
「不敬師長戒」
ただし、上記の一節をちゃんと読むと、和上と阿闍梨とを分けている。それは、『梵網経』では「悪求弟子戒第四十一」に「なんじ仏子、人を教化して信心を起こさしめん時、菩薩、他人の与に教誡の法師と作らば、受戒せんと欲する人を見ては、応に教えて、二師―和上と阿闍梨とを請ぜしむべし。二師、応に問うて言うべし、『汝、七遮罪有りや不や』と」などとあって、和上と阿闍梨と「二師」としているのである。
ただ、漢訳の律蔵には如何にも1人を指すと思われる「和上阿闍梨」も見えるので、『浄土布薩式』ではその辺を採用したものか。
その上で、興味深いのは、菩薩戒の授受なのに、「三師七証」について言及されていることだろう。本来なら、「三師」のみで良いはずなのである。それから「上座」について、声聞で「賓頭盧尊者」、大乗で「文殊菩薩」とするのは、天台智顗『梵網菩薩戒本疏』でも、太賢『梵網経古迹記』でも同じである。よって、この全体としては『梵網経』及びその註釈に依拠していると判断しているのである。
【参考資料】
・宗書保存会『続浄土宗全書』巻15、大正14年
・浄土布薩式(新編浄土宗大辞典web版)
#仏教
最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事