つらつら日暮らし

約300字で仏教(56)

日蓮聖人の御書を集めた『日蓮文集』(岩波文庫)を読んでいる拙僧。興味深い一節を見つけたので、見ていこう。

方便品の長行、書進候。先に進じ候し自我偈に相副て読みたまふべし。此経の文字は皆悉生身妙覚の御仏也。然ども我等は肉眼なれば文字と見る也。例れば、餓鬼は恒河を火と見る。人は水と見る。天人は甘露と見る。水は一なれど果報に随て別々也。
    前掲同著、53頁


これは「曾谷入道殿御返事」と呼ばれる写本にある一節だが、かの一水四見の喩えを用いて、『妙法蓮華経』の経文に、如来の姿を見せようとしている。であれば、経文の文字を仏と見るためには、一体どうすれば良いのか・・・まぁ、多分、信仰か何かが必要なのだろう。

従来の記事は【カテゴリー約300字で仏教】からどうぞ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へを1日1回押していただければ幸いです。

コメント一覧

tenjin95
コメントありがとうございます。
> zep さん

なるほど、そういう喩えがあるんですね。
1つの事象について、その受け取る側が様々な解釈をするという意味では、一水四見と同じですね。
zep
一水四見のたとえを読んで、猿沢の池のたとえを思い出しました。
「手を打てば、鳥は逃げ、鯉は餌と思い、女中は茶を持つ、猿沢の池」こんな内容だったと思います。
これは識についての喩えだったと思いますので、日蓮さんの喩えとは繋がりませんが・・・
猿沢の池はユーモアがあります。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「約300字で仏教」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事