二は黒色〈謂わく緇泥涅とは、今時の禅衆の深黲、並びに深蒼褐なり。皆な黒色と同じ〉。
霊芝元照『仏制比丘六物図』
ここに「今時の禅衆」とあるが、元照が生きた中国宋代の禅僧達のことを指していることは明らかである。そこで、わざわざ元照が指摘しているのだから、禅僧は黒衣を着ていたのだろう。さて、ここで表現されている色の具体的な内容だが、後者の「深蒼褐」とは深くて青い褐色ということだから、青みのある黒だということになるだろう。問題は、前者の「深黲」ではなかろうか。なお、「黲」について辞書を見てみると、「うすあおくろい」という色らしい・・・あれ?それに「深」が付くってどういうこと?
ということで、どうも「青黒色」になるようで、これを「黒色」としているようだ。更に、以下の一節も見出した。
今時の禅衆、多く九條を作るも長短定まらず。或いは紗、或いは綾、或いは絣、或いは碧、自ら法衣と号す。体色量相、倶に正制に乖き、何れの法か、之れ有らん。
霊芝元照『四分律行事鈔資持記』下一「釈二衣篇」
最初に引いた文献の著者と同じ元照による指摘だが、こちらでは禅僧が作っている九條袈裟について、長短が定まっていないとしている。これは、例えば栄西禅師が日本に持ち帰ってきた宋朝禅の大衣は、とにかく大きかったとされているので、それを指しているのだろう。また、素材についても、紗(うすぎぬ)・綾(あやおりもの)・絣(かすり)・碧(みどり色?)などの布を用いて、自分たちの袈裟を「法衣」と呼んでいるという。
ただし、元照は、その作り方や色、大きさなどが正しい律に従っていないと批判している。
今時の禅衆、多く納衫を作るも、法服に非ず。
同上・下三「釈頭陀篇」
こちらも、禅僧達が「衫(ひとえの着物)」を作っているが、これも律の法にかなった服では無いとしている。なお、「納」とは「納衣」のことなのだろう。本来、納衣とは糞掃衣を指しているが、中国などでは七条衣を指すともいう。要するに、七条衣とひとえの着物(直綴のことか?)という組み合わせを禅僧が用いていることへの批判とも取れる文章といえよう。
このように、禅僧達の服装というのは、律などに照らして見てみると、かなり変わったものだったことが理解出来る。少なくとも今回見てきた文献では、何故、禅僧がこういった法服を用いるようになったのか、理由までは示されていない。禅僧側の主張もなかなか確認出来ないので、それ自体は今後の課題とはしたいが、非常に興味深いところでもある。
ただし、元照は禅僧に対しての評価は「即今の禅衆、戒相を知らず」(同上・上二「釈僧綱篇」)と手厳しい。しかし、確かに基本となる服装まで違うとなると、この辺は仕方ないのかな?と思う反面、この禅僧の独自性を、祖師方の伝灯へと転換して高く評価することも可能であり、そうなると律自体の相対化も可能となっていくわけである。
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