また、これは曹洞宗の独自の行持とされるが、その日に慧可大師を讃歎しつつ、徹夜坐禅を行うことが断臂摂心となった。
断臂の供養のこと、諸清規に見へず。然れども日本の洞家は古来より、臘九夜は断臂坐禅とて、尋常坐禅せぬ寺院も、臘八と断臂とは懈怠せず。是は永平・瑩山の勝躅なり。
面山瑞方禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻6「仏祖会行法考訂」
このように、面山禅師は断臂供養について、臨済宗を含めた諸清規には見えないものの、曹洞宗では断臂坐禅を行ってきたとし、道元禅師の「断臂上堂」と、瑩山禅師の勝躅を讃えているのである。
十二月初十の上堂に、二祖の立雪断臂を挙し了って云く。
永平、今朝昨夜に遇い、并びに冬雪を見る毎に、
嵩山少室の峰の当初を翻憶して、感懐悲涙胸に満ち襟を霑すのみなり。
『永平広録』巻5-392上堂
以上の教えが道元禅師による「断臂上堂」である。道元禅師は、慧可大師による素晴らしい行いについて、感涙が止まらない様子を示された。なお、道元禅師は清規として「年分行持」を記録に残しておられないため、いわゆる「断臂摂心」を行ったかは判明しない。しかも、明らかに確認できる「断臂上堂」が、この1回しか無く、それほど一般的ではなかったのかもしれない。
そして、「断臂摂心」に相当する行法が確認できるのは、瑩山紹瑾禅師が晩年に永光寺の行法として編まれた『瑩山清規』からであり、「成道会」の項目に以下のように示された。
七日夜、九日夜、山僧住裏一衆長坐す。発心以来、四十余年、此に於いて両夜、未だ打眠せざる故なり。住裏二十六年、多く一衆を率い、堂の裏に打坐するは、蓋し恒規の如し。
ここから、七日夜は臘八に於ける摂心に当たり、九日夜は断臂摂心に該当する。瑩山禅師はご自身、発心してから40年以上、この両夜は眠らずに坐禅され、住職になってから26年、「恒規」として坐禅された。しかし、これからすれば、瑩山禅師が「住裏」と仰ることからすれば、『瑩山清規』は1324年成立とされるため、26年前だと永仁6年(1298)となる。この時は、現在は石川県金沢市内(当初は同県野々市市内)2世になられた時に当たるのだろう。
よって、曹洞宗では12月9日の夜は、慧可大師が「庭中立雪」(『瑩山清規』「達磨忌疏」)した故事を偲んで、一晩坐禅をして慕古するのである。
道元禅師が断臂の日に、山に積もった雪で少林寺の故事を示されたのは、その雪に禅宗祖師の勝躅を感じたためであり、今晩は、達磨大師がインドから伝えた禅の教えを、中国の土地にいながらに受け止めた、慧可大師の故事を讃えて、坐禅したい。
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