つらつら日暮らし

「一乗戒」という用語の雑感

いわゆる菩薩戒は大乗戒とも呼称されるけれども、そこから更に、「一乗戒」という用語にも展開する。いわゆる「法華一乗思想」との関係で、天台宗が用いた印象ではある。日本の文献にはなってしまうが、以下の一節を見ておきたい。

 弘仁十四年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺一乗止観院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。前入唐天台法華宗内供奉付法伝灯大法師位義真和上、一乗戒和尚と為す。
 承和元年四月十四日、一乗戒を比叡峯延暦寺戒壇院に於いて乞い、自性清浄一心戒を受く。内供奉延暦寺伝灯大法師位円澄和尚、一乗戒和尚と為す。
    『伝述一心戒文』巻上


この文脈は、「被最初年分試及弟得度聞傳宗旨文」と名付けられたものの一節で、要するに、光定自身がどのような受戒遍歴を辿ったかを記録したもののようである。それで、ここに「一乗戒」という表現が複数見られることに注目したい。光定は、少なくともこの「一乗戒」と、他の宗派でも授けている「菩薩戒」とは別の扱いをしている。

弘仁三年四月十一日、東大寺戒壇院に於いて具足戒を受く。一夏の中、戒壇の院と七大寺と、新受戒師等、修練戒珠持犯の旨、景深律大徳に承く。七月旬、亦た重ねて登壇、菩薩三聚浄戒を受く。東大寺景深律大徳を所依の師と為す。
    同上


このように、南都でも「菩薩三聚浄戒」は受けているのだが、これを「一乗戒」とはしていない。つまり、「一乗戒」とは、少なくとも平安時代初期の日本に於いては、天台宗所伝の戒に対して用いられていたことが分かる。

なお、日本天台宗の戒というと、「円頓戒」という名称が知られるが、これは光定『伝述一心戒文』では、一度も使われないという不思議さである。また、慈覚大師円仁の『顕揚大戒論』でも使われていないし、少し後の安然『普通授菩薩戒広釈』にも出ない。それどころか、以前も【伝教大師最澄が用いる「円戒」について】という記事を書いたが、伝教大師も「円頓戒」という語を意図して使った形跡が無い。

つまり、日本天台宗の初期の段階では、「円頓戒」は使われていないと思われるのである。一方で、「一乗戒」については、光定の著作に散見されることから、用いていたことが明らかである(『顕揚大戒論』も1箇所用いるが、本文ではない)。

さて、そんなことを思うに、この一乗戒、少し別の方向に行ってしまった。

伝教の門人、光定所撰の一心伝戒三巻有り。此書、台教の円頓戒、和漢流伝の所由を明かす。其の下巻に曰わく、然らば則ち、天竺に付戒の二十八師有り。彼の第二十八師、菩提達磨なり。一乗戒を持して漢魏に遊来す。法師は西域南天竺大婆羅門国王第三の子なり〈云云
〉。
    『諸回向清規』巻5


時代的には16世紀以降になってしまうが、臨済宗系の『諸回向清規』に上記の一節が見える。つまり、中国禅宗初祖・菩提達磨尊者が、一乗戒をインドから中国に伝えたという話になっている。この一文の典拠は、『伝述一心戒文』巻下からの引用である。それで、ここに達磨尊者所伝の戒が加わることで、よりその典拠を確実にしようという意図があったようだが、禅宗でも一部はそれを承けた印象である。

そういえば、一乗戒を調べていたところ、こんな一文を見付けた。

をんごく―しかかいだん(遠国四箇戒檀) 叡山一乗戒檀院の地方に分置せられたる、鎌倉宝戒寺の戒檀、筑後鎮弘寺の戒檀、加賀薬師寺の戒檀、伊予等妙寺の戒檀の称。
    浩々洞編『仏教辞典』無我山房・1909年


東大寺の戒壇が展開して、下野薬師寺・筑前観世音寺にも地方戒壇が設置されたが、延暦寺の「一乗戒壇院」でも、似たような地方展開があったようなのである。あれ?何でこのこと、今回初めて知ったんだろう?ついでに、「戒壇」が「戒檀」表記なのも気になるが、他の文献は「戒壇」なので、まぁ、そっちが普通だろう。

この四箇戒壇なのだが、順番があるらしい。

また元弘三年北条高時誅せられるゝに及んで、勅を奉じてその舘趾に円頓宝戒寺を起し、こゝを関東伝戒の道場とした。これが即ちこの頃より始まる加賀の薬師寺、筑紫の鎮弘寺、伊予の等妙寺等とあはせて、遠国四箇の戒場といはるゝものゝ随一である。
    硲慈弘『天台宗読本 宗史篇』宗務庁教学部・1939年、313頁


とにかく、第一が宝戒寺ということは明らかだとしている。時代的には、鎌倉時代の終わった頃に四箇戒壇が設置されたということらしい。この辺、以下のホームページも閲覧してみた。

天台宗 金龍山 釈満院 円頓宝戒寺 略縁起

こちらの宝戒寺さんは、現在でもしっかりと伝灯を保っておられる。しかし、他の三箇寺は廃寺になってしまったようである。

文化財~国史跡 等妙寺旧境内~(鬼北町)

辛うじて、伊予の等妙寺だけは、地元の自治体が旧跡の情報を載せてくれているが、他の二箇寺は情報もほとんど無い。ただ、分かったのは、宝戒寺を創建した恵鎮円観上人の弟子達が、各地の戒壇を作ったらしいので、鎌倉時代から南北朝期にかけて、天台宗で戒律復興の動きがあったことを注目すべきなのだろう。

ということで、一乗戒という用語から、色々と話が散らかってしまったが、以上までにしておこう。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事