つらつら日暮らし

『日葡辞書』に於ける『血脈』の語について

何かを読んでいたときに、『日葡辞書』に『血脈』の語が出ていることを知ったので、確認しておきたい。

 Qetmiacu.ケッミャク(血脈) 系統表のように書き記された技芸,あるいは,教義.または,その教義や技芸を宣布した初期の人々とその後継者とを記した表.そして坊主(Bonzos)は,往々この表を教区内の信者に授けて,それで霊が救われるとか,その表に赤インク〔朱墨〕で記されている著名な人々の数に仲間入りするとかと信じさせるのである。
 Qetmiacuuo tcutayuru.(血脈を伝ゆる)この表を教えて引き渡す.
 Qetmiacuuo sazzucaru.(血脈を授かる)坊主(Bonzo)から上のような書き物をその坊主(Bonzo)の名前と一緒に受け取る.それによって霊が救われるに違いないと考えながら.
    岩波書店『邦訳 日葡辞書』1980年、490頁 段落等は拙僧、ポルトガル語表記は正確ではない


以上の通りである。

我々は今、『血脈』を「けちみゃく」と発音しているけれども、当時は「ケッミャク」だった模様。意味としては、まさにこの通りで、我々禅宗に関わるものとしては、「その教義や技芸を宣布した初期の人々とその後継者とを記した表」という位置付けであった。その辺、正しく知られていたようだ。

また、「そして坊主(Bonzos)は,往々この表を教区内の信者に授けて,それで霊が救われるとか,その表に赤インク〔朱墨〕で記されている著名な人々の数に仲間入りするとかと信じさせるのである」という指摘についてもその通りで、この辺は多分、今でもそう大きくは変わっていない。霊が救われる云々は、もしかしたら現代的な感覚に合わないので、用いられていないかもしれないが、伝統的には、霊が救われるとされていた(例えば、道元禅師に係る伝説の「血脈度霊」など)。

更には、後に続く用例も、その通りである。

ここで、『日葡辞書』の成立について簡単に述べておきたい。戦国時代末期から江戸時代初期頃に、日本に来たイエズス会のキリスト教宣教師や、その指導などを受けた者達によって印刷された「キリシタン版」の文献であり、1603~4年にかけて長崎で発行されたとされる。当時の日本語を当時のポルトガル語で解説した辞典となっている。

本書の特徴としては、当時の日本語の発音や意味が知られると同時に、ポルトガル語としても、中世のそれになるため、両言語にとって貴重な文献となっている。今回紹介をした『血脈』も一例ではあるが、一定量の仏教用語も見られるため、日本の中世の仏教用語の読み方も参照出来るとされている。

つまりは、今回紹介をした『血脈』の事例などは、まさに当時の宣教師達も了解していたものであり、余程大々的に『血脈』授与式が行われていたといえよう。個人的に気になるのは、説明に「戒」に関する指摘が無かったことであり、この辺は中世の『血脈』授与式の実態解明への一歩になるような気がしている。つまり、『血脈』授与式=授戒会では無かった可能性である。

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