変わっているから素晴らしく、素晴らしいから変わっている。しかし、これらがつながるのは、極端に変わっていても、極端に素晴らしくてもダメだ。大拙居士は、それを「形而上学的感覚」とか、「不可得」とか、「難思議」とかいう(上田閑照編『新編 東洋的な見方』岩波文庫)。「妙」はそれがそれとしてあることを直感しても、明示はできない。やっぱり「妙」なのだろう。
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tenjin95
無門
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