つらつら日暮らし

マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・7

ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載7回目である。

7 神は、人間がどのようなことにおいても神の代理人である司祭に、謙虚に従っていないなら、誰の罪も赦すことはない。
    下掲同著・15頁


端的に、一般的な人間(民衆)と司祭との関係を示した一文であるが、【前回の記事】で申し上げたように、後にルターは、司祭を、信仰を持つ人々全てであると規定していくが、この頃はまだ、教会制度を是認していたので、この場合の「司祭」は、教会の司祭ということで良いのだろう。

改めてだが、「司祭」の役割には、以下のようなことがある。

 司祭は司教と一致して、司教によって付与された範囲内でキリストの代理者として、すべての人に神の福音を告げ知らせる義務があります。最初の司祭は、キリストの弟子たちでした(マタイ26.26.3O、マルコ14.22.26、ルカ22.31-34、Iコリ11.23-25)。
 その役割は、主にミサ(聖体祭儀)、洗礼(入信)、ゆるしの秘跡、冠婚葬祭の式の執行などです。
    カトリック聖パウロ修道会の公式サイト


よって、「ゆるしの秘跡」に関わることを、先の条文でルターは指摘していることになる。なお、当連載の最初の記事で申し上げた通りで、この「ゆるしの秘跡」によって、罰が与えられるわけだが、その指示に従うことを求めているのかどうか、この辺は先の条文だけでは良く分からない。普段から従うべきだ、と見ても良さそうだが、それだと唐突に過ぎるのである。

【参考文献】
・マルティン・ルター著/深井智朗訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』(講談社学術文庫、2017年)

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