爾の時、如来、阿難に告げて言わく、「汝、我れが般涅槃に入るを見て、便ち正法、此に於いて永く絶つと謂うこと勿れ。何を以ての故に、我れ昔、諸比丘の為に波羅提木叉を制戒し、及び余の説く所の種種の妙法、此れ即便ち是れ汝等が大師なり。如し我れ世に在りても、異なること有ること無きなり〈以下略〉」。
『大般涅槃経』巻下
これは大乗経典ではない『涅槃経』である。そして、他の涅槃部系経典でも見られるところなので、釈尊の遺教として良く知られたものであるといえる。内容としては、阿難に対して、釈尊自身が般涅槃に入り、正法が絶えたと思ってはならないという。何故ならば、釈尊は初転法輪されてからというもの、諸比丘のために波羅提木叉を制戒し、種々の妙法を説かれていたという。
そして、それらが修行者にとっての「大師」なのであり、もし、釈尊自身が世にいたとしても、それと同じだとしているのである。
この辺の考え方は難しいところがある。仏法ということが、釈尊個人の人格に依拠すると考えたい人には、余り理解されないかも知れない。しかし、そうなると、ここで釈尊が仰った通り、「正法永く絶える」ということになるだろう。一方で、釈尊自身としては、方法論を含む戒法と妙法があれば、それで修行者は釈尊自身に指導を受けるのと同じ結果を得られるとしていたことになる。
こういうことを思うと、後の仏教徒は釈尊の境涯を非常に高いものとしてしまい、容易に手が届かないものとしたが、実際にはどうだったのだろうか?先の教えに続いて、釈尊は重要な戒律はともかくも、些末な内容については、みんなで話し合って削除して良いとした。結局はそうはならなかったそうだが、拙僧自身思うのは、釈尊はやはり、随方毘尼を思っていたのではないか、と思うが、この辺はまた何かの機会に考えねばなるまい。
話を戻して、結局、釈尊自身が、自分独りの教えとはしていなかったことから、仏教教団とは非中央集権的な構造をしていたことを意味する。非中央集権的ということは、教団の成員自体の判断が問われたことを意味するが、その場合に判断基準を提供していたのが、戒律に他ならない。よって、「戒律為先」とはいわれるのである。
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