さて異名のときは、かみなかり月と(秘蔵抄)いひ、神去月と(莫伝抄)いひ、鎮祭月と(八雲御抄)いひ、時雨月、拾月、初霜月と(蔵玉集)いへり、西土にては陽と(詩小雅)いひ、十月を為陽と(爾雅)いひ、十月得葵則曰極陽と(同上注)いひ、陽月と月字を添しは、後世の事にて事物別名にみえたり、
『日本社会事彙』巻下、838頁
今日の分は、十月の和名の「異名」である。そこで、複数の呼び名が出ているが、「かみなかり月」「神去月」「鎮祭月」「時雨月」「拾月」「初霜月」などである。まず、「かみなかり月」はおそらく、「神無月」という表記が出来てから、かえって出来た名称の印象である。それから、「神去月」も「神無月」の表記が出来た後、その意義を受けて作られた名称の印象である。
「時雨月」については、(2)でも申し上げたのだが、『万葉集』中の表記で「十月鐘礼」とあるが、この「鐘礼」を「しぐれ」と読んでいる。よって、「時雨月」とは、天候の様子からいわれたことだろう。「初霜月」も同様か。十一月が「霜月」なので、その前月を「初霜」とすることに、強い違和感は出て来ない。
さて、問題は「鎮祭月」と「拾月」である。そこで、前者であるが『八雲御抄』とう文献に、「出雲国には鎮祭月といふ」とあるそうで、「鎮祭」とは「諸神を祀り、土地を鎮め固めるための祭儀」だという。何故、「出雲国」に限定されるのか、今の拙僧には分かりようも無いが、どちらにしろ、何らかの意味があるのだろう。
それから、「拾月」は「拾」が「十」なので、そのことだろうか?『日本社会事彙』を読んでみても、全然分からない。いや、もう分かんないな。ただ、説がありすぎて面白い、それだけである。
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