つらつら日暮らし

『亀鏡文』に学ぶ禅宗叢林諸配役の意義について

最近、『亀鏡文』を学ぶ機会を得ようと思い、改めて『禅苑清規』本文を学んでみた。

 爾れより叢林の設け、これを要するに本、衆僧の為なり。
 是を以て衆僧に開示す、故に長老有り。
 衆僧に表儀す、故に首座有り。
 衆僧を荷負す、故に監院有り。
 衆僧を調和す、故に維那有り。
 衆僧を供養す、故に典座有り。
 衆僧の為に作務す、故に直歳有り。
 衆僧の為に出納す、故に庫頭有り。
 衆僧の為に典翰墨を主る、故に書状有り。
 衆僧の聖教を守護す、故に蔵主有り。
 衆僧の為に檀越を迎待す、故に知客有り。
 衆僧の為に召請す、故に侍者有り。
 衆僧の為に衣鉢を看守す、故に寮主有り。
 衆僧の為に湯薬を供侍す、故に堂主有り。
 衆僧の為に洗濯す、故に浴主・水頭有り。
 衆僧の為に寒を禦ぐ、故に炭頭・炉頭有り。
 衆僧の為に乞丐す、故に街坊・化主有り。
 衆僧の為に労を執る、故に園頭・磨頭・荘主有り。
 衆僧の為に滌除す、故に浄頭有り。
 衆僧の為に給侍す、故に浄人有り。
 所以に行道の縁十分に備足し、資身の具百色見成す。万事、憂無く、一心に道を為す。世間の尊貴、物外の優閑、清浄無為なるは、衆僧を最となす。
    『禅苑清規』巻8「亀鏡文」、訓読は当方


当方、この一節を読んでみて、強い感銘を受けた。それは、禅宗に於ける「叢林」の位置付けが明記されており、しかも、各種配役、両班の位置付けも理解出来たからである。今回は、ただ上記の文章を読んでいくだけにするが、機会があれば、諸註釈書の参究を通して、更なる学びをしてみたい。

まず、叢林(修行道場)が設けられたのは、衆僧(大衆)のためであるという。これが明記されているというのは、余程のことである。つまり、仏道の成就を目指して修行する多くの僧侶のために、叢林があるのである。大変ありがたいことではないか。よって、『禅苑清規』などはまさに、衆僧のための軌範だと見ても良いのである。

以下は、各配役について簡単に見ていきたいが、長老というのは原始仏教時代から存在し、仏道に長じた存在である。中国禅宗以東では、少しその位置付けが変わったようにも思うのだが、上記の通り衆僧を相手に仏道の妙義を開示する指導者的位置付けであった。或いは、本来の『律』であれば、特別な懴悔を受け付ける対象でもあった。

首座は、衆僧に「表儀」するとあるが、意味は「儀表」と同じで、お手本のことである。衆僧達にとっての目標、お手本として指導する者を首座という。「監院」は、衆僧を「荷負」するとあるけれども、衆僧の修行環境などを整え、寺院に於ける内外の問題を処理する役目であるといえる。「維那」は、衆僧を「調和」するとあるが、悦衆の別名の通り、衆僧を管理し、衆僧間の問題などを処理する役目であった。「典座」はいうまでもなく、寺院内の食事を作る役目だが、ここでは「供養」と書かれている。この供養とは食事の供養である。「直歳」については、作務とある通り、伽藍の修繕なども行う役目である。「庫頭」は寺院に於ける経理の役目である。よって「出納」を司る。「書状」とは「書記」のことである。よって、「典翰墨」を司るのだが、典は文書、翰は筆のこと、墨は文字通り墨なので、いわゆる寺院の内外に於ける文書を管理する役目である。「蔵主」とは、「経蔵(寺院内の図書室)」を管理する役目である。「知客」は、「客事をつかさどる」の名前の通り、寺院外から来た檀越などの客を迎える役目である。

だいたいここで半分くらいである。

「侍者」とは住持に就いて、その補佐をする役目だが、ここでは「召(招に同じ)請」するとあって、住持の意向を受けて、色々な人を呼びに来るものだといえようか。寮主とはここでは衆寮を守る役目のことを指す。衆僧の衣鉢が盗まれたりしないかどうかを見張る役目でもある。また、堂主とあって、「湯薬」を持って侍するとあるから、これは「延寿堂主」のことであるかもしれない。病人の世話をする役目である。「浴主・水頭」については風呂場や、水の管理を行う者である。現代のような水道がない時代であったので、水の管理は大切であった。なお、上記引用文では、「洗濯す」とあるが、衣物の選択も担当したのだろうか?後に各項目の記事を書くときには検討したい。「炭頭・炉頭」は、特に冬季間に活躍し、いわゆるストーブ(炉)及びその中の炭を管理し、衆僧を寒さから守る役目である。炭は、山間部にある寺院では自給自足できた(竈門炭治郎でもいればなぁ……)と思うが、その炭作りも担当したのだろうか?こちらも今後、機会があれば調べてみたい。

それから、「街坊・化主」というのは、街中に出て行って、様々な寄付を募る役目の僧である。阿弥陀信仰や、各種経典への信仰などを人々に勧める役目であった。「園頭・磨頭・荘主」は、荘園の管理者、及び、荘園で採れた小麦などの穀物を管理する役目であった。特に「園頭」は大変で、古来より道心がある人が就く役として有名であった。それから「浄頭」は、特にトイレ掃除を司る者であり、「浄人」は名前こそ似ているが衆僧の食事を運んだりする役目であった。これらが、だいたい衆僧の修行を支え、場合によっては導く役目だったのである。

そこで、これらの配役の皆様のおかげで、修行を進めるための条件が整い、万事憂いなく、修行に邁進できたのである。

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