三、成年式の方法
却説弥々成年式(原文は「青年式」だが、誤字であろう)を挙行するとせばどうするかと云ふと、其式は極く簡単にして荘重味ある様にし度いのであります。若し家庭で挙行するとしたら、祖先の御位牌の前で挙げてもよろしい。神廟や仏さんの前でもよろしい。更に鄭重にする為に氏神様か或は其他の神社、寺院或は教会、そう云ふ所に行つて式を挙げる事は頗る結構であります。要するに儀式は簡単荘重にして、その青年に取りましては一生涯に忘れる事の出来ない様なインスピレーションに打たれて、成年式を挙げることにしたい。即ち一個の青年が愈々今日から一人前の独立せる大人になるぞと云ふ事を、式を挙げる際に特に深く印象せしめて、責任観念を旺盛ならしむるものであります。
安達謙蔵『安達先生時局講演集』家入明・昭和12年、漢字は現在通用のものに改めた
前回紹介をしたのは、明治42年(1909)の沢柳政太郎氏の見解であったが、こちらはそれよりも30年ばかり過ぎた昭和初期の見解である。然るに、このような内容の意見が出ているということは、沢柳の見解が出たものの、まだそれほど日本全国に、一般人の成年式が広がっていなかったことを想起させる。
ところで、この安達謙蔵氏(1864~1948)という人だが、元・熊本藩士の父を持つ政党政治家であった。ちょうど上記著作が刊行された頃は、大正デモクラシー期の政党政治が終わりを迎え、徐々に大政翼賛的政治に移りゆく状況で、安達自身の政党政治に於ける役割は完全に終わった後の時代であった。
拙僧が上記内容を採り上げようと思ったのは、この内容が当時の皇室が成年式を挙げるための法令「皇室成年式令」を意識していると感じられたためである。昨年紹介した、沢柳が指摘するように、この法令は元々、武士の習慣であった元服を意識したものであったそうだが、内容は神道式の祖霊崇拝となっている。例えば、以下のような条文はどうか。
第三條 天皇成年式ヲ行フ當日之ヲ賢所皇靈殿神殿ニ奉告シ勅使ヲシテ神宮神武天皇山陵並先帝先后ノ山陵ニ奉幣セシム
宝文館編輯所編『朝日の御影』宝文館・大正元年、299頁を参照
全十三條だが、特に式の内容に関わると思われるのは、上記一條のみである。他は、行う際の注意点や、その前後に行う式典などが主であり、具体的な内容が知られない。そして、上記内容を見ると、皇霊殿や神殿、或いは(伊勢)神宮や神武天皇陵、そして先代の天皇・皇后の陵墓に対して、奉幣することを求めている。
いわば、これらは端的に祖霊崇拝なのであって、新成人が自らの成人たるを報告する儀式が主となっているのである。
その意味で、先に挙げた安達の見解は、まさに祖霊崇拝としての式であって、「祖先の御位牌」「神廟」「仏さん」「氏神様」などが挙がっているというのは、「皇室成年式」の俗版とでもいうべき内容だ。ただし、安達の見解で、もし敢えて不満を挙げるとすれば、その祖霊崇拝が何故必要なのかが分からないということである。安達は、式そのものが鄭重に行われたことを記憶させ、独立した大人になったことを自覚させることが目的であるように思われる。
であれば、何故祖霊に報告すべきなのか?この見解がポッカリと空いたままなのである。ただし、1つ思うのは、こう指摘しておけば、当時の人々は納得したのかもしれず、そうなるとむしろ当時の見識や常識と分断された現代の我々という自覚が強まってしまった感があるということであろうか。
さておき、拙僧としては、とにかく新成人の皆さんに対し、祝意を申し上げる、それだけなのである。
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