つらつら日暮らし

釈尊成道後の説法年数について

以前、リアルな世界でのレポートでも、この辺を調べて書いたことがあったのだが、釈尊が何年間教化したのか、については、多いので「五十年」、或いは数え方次第なのか「四十九年」というのもある。それらだと、釈尊の成道が三十歳までに達成されなくてはならず、この関係で、【『遊行経』に見る釈尊出家の年齢】という記事が出てくることになるわけだが、もう一つ、釈尊の出家が二十九歳だったとして、その後六年間修行し成道されたとすると、説法は四十五年になるはずである(成道が三十五歳で、入滅が八十歳なので)。

だが、この辺についてそういう記述が、北伝系の仏典にあるのかどうか、気になったので調べてみた。すると、以下の一節を見出した。

若しくは釈迦如来、王宮に生まれてより、六年苦行・修道して成仏す。四十五年、世に住して説法し、後に涅槃に入る。
    『金剛仙論』巻3


以上は、『金剛般若経』への註釈書であるが、この通り、釈尊が6年苦行して成仏し、その後、45年間説法して涅槃に入られたとするので、出家は29歳説を採用したものと思われる。これは、インドで作られた註釈書が中国で漢訳されたので、やはり、29歳出家説が採られていたのだろう。

なお、この辺、中国での影響を考えると、むしろ、以下のような記述の方が中心だった印象を得る。

真諦、経偈を引いて言わく、「七年嬰児と作り、八年童子と作り、四年、五明を学び、十年、欲楽を受けて、二十九にして出家し、三十五にして成道し、四十五年中、広く諸衆生を度す」。
    慈恩大師基『金剛般若経賛述』


以上である。なお、慈恩大師(632~682)は真諦三蔵(499~569)の見解を引きつつ、上記の通り論じている。その中で、釈尊の伝記について、最初の7年間は嬰児で、その後15歳までは童子となり、19歳までは五明という、当時の王族の教養を学び、10年間は欲楽を受けて過ごし、29歳で出家、35歳で成道、その後80歳で入滅するまでに45年間説法した、という流れである。

正直、29歳までの数え方には不満が残るところだが、これはこれで伝承の一つとして受けておきたい。

それで、慈恩大師の見解を更に調べていたところ、ちょっとややこしくなってきたので、その文献も挙げておきたい。

 「得大菩提従是已来始過四十余年」とは、此の義の中に於いて、略ぼ二説有り。
 一つには諸部の説有り、十九出家、三十成道なり。『本起因果経』に、十九出家と説く。『思惟無相三昧経』には三十成道と説く。
 『智度論』に説くに、「仏、涅槃するに臨んで、須跋陀羅に告ぐ、我れ年十九出家にして已に仏道を求め、出家已来、五十歳を過ぐ」と。成道の時、仏、実に年八十なり。此に解有りて云わく、十九にして出家し、後五年、仙人に事えて楽行を行じ、六年苦行を行じて、三十にして成道す、故に須跋陀羅に告ぐるに五十歳を過ぐ、と。『智度論』中にて此の義を用う、即ち此の説に依る。今、成道して四十年と言うは、纔かに年七十なり。
 二つには亦た諸部及び大乗中の説有りて、二十九にして出家し、三十五にして成道す、と。『増一阿含』『中阿含』『雑阿含』『出曜経』『和須密論』、並んで二十九出家を説き、『悲華経』『善見論』並んで三十五成道を説く。
 『本起経』に云わく、「仏、出家せんと欲して、耶輸の腹を指して云わく、却いて後、六年して汝、当に男として生ずべし。遂に羅睺を懐す」。仏、六年苦行して、成道の夜、羅睺始めて生ず。但だ、羅睺は六歳胎に在りと言い、十一年母の腹に在りとは説かず、故に二十九にして出家、三十五にして成道するを知る。
 六年の内、兼ねて楽行を修し、阿藍迦藍処に坐して、無所有処定を得て、鬱頭藍子の処に学び、非想処定を得る。
 菩提留支法師、経の偈を引いて云わく、「八年嬰孩と作し、七年童子と作り、四年、五明を学び、十年、五欲を受け、六年、苦行を行じ、三十五に成道し、四十五年中、諸もろの衆生を教化す」と。
 真諦三蔵及び和上の『西域記』等、並びに二十九にして出家、三十五にして成道を説く。
 『金光明経』に仏寿八十と説く。今、成道して四十余年を過ぐると言うは、即ち年七十有五なり。並びに初めて成道するの年合して四十一年なり、四十を過ぐと名づく。
    慈恩大師基『妙法蓮華経玄賛』巻9


・・・なんか、色々と言いたいことが出てきたな。まずこの一節は、『妙法蓮華経』巻5「従地踊出品第十五」の一句についての註釈である。基本、『妙法蓮華経』は、天台智顗(536~598)の五時教判などでは、最後(最後の最後は『大般涅槃経』)に置かれることが多いが、この辺の「得大菩提従是已来始過四十余年」の表記も影響している。

そこで、慈恩大師基(632~682)は中国法相宗の祖師であり、時代的には智顗よりも後となるが、上記について、釈尊の出家の年齢について、二説あるとしている。その中、19歳出家30歳成道説と29歳出家35歳成道説とを扱っており、ここではその両方について、各種の経論を典拠として挙げて、是非を論じている。

なお、慈恩大師自身は、和上(玄奘三蔵)の見解を採っていると思われる。上記内容では「和上の『西域記』」として、『大唐西域記』の記載から、29歳出家35歳成道説を採っているという。ただし、『西域記』巻64では「城を踰えて出家するの時、亦だ定まらず。或いは云わく、菩薩の年十九なり。或いは曰く二十九なり」としていて、定まっていないとしているように見える。また、同81巻では「如来、印を以て度し、吠舎佉月後半八日、等正覚を成ず。此れ三月八日に当たれり。上座部則ち吠舍佉月の後半十五日に等正覚を成ず。此れ三月十五日に当たれり。是の時、如来、年三十なり。或いは曰く年三十五なり」とあって、釈尊成道の年齢も、30歳・35歳の両説を並べている。

そうなると、慈恩大師が仰る『西域記』がどれを指しているのか、難しいけれども、どちらにしても、『法華経』の内容としては、40年超という数字が合っているとしているのである。なんか、ちょっともやもやが残る記事となってしまった。

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