つらつら日暮らし

「神無月」雑考(2)

前回からの続きだが、この記事から見ていくのは、『日本社会事彙』巻下(経済雑誌社・明治23年)である。この文献に、「ツキノトナヘ(月の称呼)」という項目があり、その中に「神無月」についても書かれている。

全体はかなり長いので、今月中の不定期連載にしておきたい。

かみなつきは十月の和名なり、皇国にてかみな月の名目の始てみえしは、甲寅年冬十月丁巳朔辛酉と(日本書紀神武天皇紀)よまれたり、
    『日本社会事彙』巻下、837頁


ということで、まずはここから見ていきたい。なお、上記一節にある「十月」を「かみなつき」と読ませているという。すると、江戸時代の版本を見てみたが、「カミナツキ」または「カムナツキ」と読ませていた。よって、前掲の著作ではそのことを指摘していることが分かる。問題はこの、読み方としての「カミナツキ」から、「神無月」という漢字表現への展開である。そこで、『日本社会事彙』では『万葉集』などを挙げているが、その段階ではまだ、「十月」を「カミナツキ」と読ませているに過ぎない。

そこで、この辺の記事を見ておきたい。

扨十月を神無月といふは、雷のなき月ゆゑかみな月と(義公御随筆)仰られし、又神無月といふによりて無陽なといふも、あまりに事むつかし、月令に雷声ををさむる時なれは、雷無月なるへしと(類聚名物考)いへり、又説に応鐘のしらへ、日本にては上無調といへり、応鐘は十月の律なれは、上無月といふ義也と(両朝時令、速見見聞私記、芸苑日渉)いへり、十月の律上無調といふ事は、はやく拾芥抄にみえたり、されは此月を上無月と書てもしかるへしと思ひしに、かみな月と云ふは、上無月なるへきか、元は上を書して後に神の字にかへたるは、上無と書ては名目あたる所ありてよろしからす、よりて神の字を書歟と(速見見聞私記)いへり、又十は数の極也と(同上)いひ、左伝に以十月入日艮月也、就盈数焉といへるによれは、十は盈数にて上なきの称、故に上無月といひしにや、されは此三説のうちをとるへきなり、
    『日本社会事彙』巻下、同頁


この辺は、これまでの「神無月」関係の記事でも見てきたことがあるのだが、「神無月」には「雷無月」や「上無月」の場合もあったとされ、上記一節は、特に「上無月」の説明をしている。それで、まずは「応鐘の調べ」という話が出ている。「応鐘」とは中国音楽の十二律の一であり、日本の十二律の場合は「上無」に相当するという。そして、「応鐘」とは「十月の律」らしく(ここは、もう専門的すぎて理解出来ない)、結果として「上無月」という名称になるという。

他にも、「十」を数の極みとして見るのは、「一~九」までとは異なる意義がある。つまり、「十は盈数」と端的に書いているのは、そういう意味である。

それで、この記事では、「雷無月」1説・「上無月」2説の3説の内、どれかを採るべきだとしている。予め申し上げておけば、この記事ではその確定は出来ていない印象もあるのだが、それはまた、次回以降の記事で確認しておきたい。

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