四月一日は、西洋ではオール、フールス、デー。エープル、フールス、デー(もう一ツ何とか名があつたが忘れた)等と言つて随分馬鹿騒ぎをする日である、日本では之を万愚節、馬鹿日、嘘つき日などと訳してあるが何つれにしても余り善ささうな名前ぢやない、
橋口天萍『四月一日』(橋口勇出版・大正4年)7頁、読み易く漢字などを改める
色々と調べてみたが、当方の力ではこれよりも前の文献は分からなかった。おそらく、新聞や雑誌などにはあったとは思うが、それは容易に調べられない。実際に、上記一節からいっても、大正4年の段階で、既に日本でエイプリルフールの呼び方が、「万愚節」「馬鹿日」「嘘つき日」などとあったことが分かる。
それで、同時期の他の文献を見てみると、上記に挙げた日本での名称について、一通り触れられていることが分かる。
・「万愚節」 川口義久『アメリカ生活』(太田書店・大正9年)
・「嘘つき日」 真田幸憲『西洋見物お土産話』(目黒書店・大正11年)
・「馬鹿日」 賀川豊彦『雷鳥の目醒むる前』(改造社・大正12年)
綺麗に分かれたところが何とも微妙ではあるが、一応、様々な呼び名が定着しつつあった様子が分かるといえよう。
そこで、先に引いた『四月一日』の著者である樋口氏は、米国人スチルソン君を訪問した際に、「四月一日」の話に及び、様々なことを聞いたという。
此席上で四月一日、即嘘つき日の話も出て又一としきり笑ひ合つたが元来此の嘘つき日には何んな嘘をついても亦どんな悪戯をしても構はぬ事になつてゐる、中にも性来悪戯好きの小共達は此日を一杯に暴れ回るので五月蠅い事夥しい……
前掲同著、7~8頁
余程盛り上がる日であることが分かる。それを「五月蠅い事夥しい」と表現されるのは、余程の悪戯好きだった子供がいたのだろう。なお、どれほどに酷かったのか?樋口氏がスチルソン君などから聞いた話として紹介したのは、以下のような例である。
・子供が「お客さん来たよ」というので身支度して応対しようとしたら、誰もいない。
・手紙が届いたというので封を開いてみても、何も入っていない。
・人の前に物を落とし、拾おうとすると前に逃げる(いたずらっ子が糸で引いている)。
・帽子が落ちていて、悪戯だと思い蹴飛ばそうとすると、中にレンガが仕込んである。
・饅頭のような物があるので食べると中には辛子が入っている。
・煙草に火薬が仕込まれていて、火とふかすと爆発する。
・警官までもが、「人殺しがあった」などとフェイクニュースを垂れ流す。
万事以上のような具合だったらしい。最初の幾つかはまだ許容範囲内だが、火薬や警官のフェイクニュースは危険極まりない。特に、火薬は歯も吹き飛びそうな気がする・・・しかし、冗談とも付かないほどの激しい悪戯であった。
なお、日本に於いてはどのようなことが行われたのだろうか?
他の文献も併せて見ると、日本では電報による悪戯などが行われたらしい。流石に人の死などは冗談にならなかったようだが、「○○へ引っ越した」とか、「○○へ来い」といったような内容だったらしい。まぁ、かわいいといえばかわいい。そして、欧米文化に対して許容しようとしていた先の著作の著者達は、おしなべて、「だまされてみるのも良い」とか、余裕がある対応力を見せようとしていたようである。
実際はどうだか知らないが・・・
昨今は、いわゆる「フェイクニュース」の悪質さなどもあり、情報についてもただ「真偽」という区分が強調され、特に「真」を求める時代ではあるが、「偽」や「疑」を如何に楽しむか、という観点も忘れずにおきたいところではある。
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