つらつら日暮らし

何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(3・螺髮編)

連載記事というほどでも無いのだが、とりあえず出家者が髪を剃る理由について検討する記事を複数書いてしまっているので、もう少し書いてみたい。そういえば、釈尊は螺髮であり、結果として剃らなくても良いという話になっていたともされるが、そもそも、釈尊が螺髮だというのは、どの辺から始まったことなのだろうか?本縁部の経典なども見ていくと、以下のようにある。

三十二相有るを見る、躯体金色、頂に肉髻有り、其の髪紺青なり……〈以下略〉
    『太子瑞応本起経』巻上


・・・「螺髮」になってないな。あくまでも、髪の色が紺青色だったというだけで、巻いてない。『普曜経』も同じ見解である。しかし、もう少し別の文献を見てみると、以下のような話が出てくる。

仙言く、「三十二相とは、一つには頂に肉髻有り。二つには螺髪右旋し其の色青紺なり……〈以下略〉」。
    『方広大荘厳経』巻3


唐代の訳出になる本経典に至って、ようやく「螺髮」の話が出てくる。こうやって比べてみると、徐々に釈尊の髪型が「螺髮」になっていった様子が理解出来よう。

爾の時世尊、是の微妙の髮有りて、善く生じて頂上に在り、各各軟細にして生ず、参差有ること無く、亦た乱錯せず、各各斉等の螺文右旋す、諸相具足して善住す……〈以下略〉
    『僧伽羅刹所集経』巻中


これなどは、螺髮の詳しい説明となる。結局、綺麗に巻いている、ということ以上の情報は無い。しかも、当方が一番知りたいこと、釈尊が螺髮を剃っていたかどうかが分からないといえる。すると、釈尊自身では無いが、弟子達に対しての説示を見付けた。

 時に諸もろの比丘、仮に髪を螺髻に編むを作して、仏の所に来詣して、白して言く、「此れは是れ、頭陀端厳法なり。願わくは仏、聴せ」。
 仏言わく、「応に爾るべからず、此れは是れ外道の法なり。若し是の如く作せば、如法に治せ」。
    『四分律』巻40「衣犍度之二」


これは、髪を巻いてもとどりのようにして仏の所に来て、「頭陀端厳法」であるので、この方法を許して欲しいという話になったようである。ところが、仏陀は、それは仏教以外の者の方法なので、如法にするように求めた。剃髪が基本だったのかどうかは、ここでは少し分からないが、少なくとも髮を巻いた状態(螺髮の解釈の問題)が認められていたとは思えないのである。

しかし、そうだとすると、釈尊自身もやはり、螺髮の状態を維持していたとは思えないわけである。

爾の時、彼(帝釈天)、浄髪の師と化して、即ち利刀を以て、太子の頂相の紺螺髻髮を見ること無く剃る。〈中略〉爾の時、太子、自ら其の身の一切の瓔珞及び天冠を以て解き、髪鬚を剃去し、剪落、既に訖んぬ。
    『仏本行集経』巻18「剃髮染衣品下」


以上のように、釈尊の出家時の様子では、紺螺髻髮を剃り落としたとあるので、剃髪で出家道に入ったことは明らか。そうなると、同じように出家道を歩みたいと思っている場合、この一事をもって剃髪すべき、という話になるだろうか。

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