一師印証の正法、遂に以て古に復し、粤を以て中古の、院に因って嗣を換え、屡ば本師を捨てるの弊、扶桑に一時止む。既に、自法を以て、他山に住し、則ち他山開祖の法孫、暫く断絶するに似たり。所以に、重ねて他山開祖の戒脈・大事の二物を嗣ぐ。之を重受と名づく。之を伽藍相続と号す。蓋し、仏在世の重受戒に擬する者か。
然りと雖も、いわゆる他山開祖の法孫、亦移って、他山に住す。則ちここに嗣いで彼に住して、彼に嗣いでここに住する。各々土地の縁に任す。法法連綿にして、則ち必ずしも法孫断絶するに非ず。
いわゆる戒脈は、伝戒の系譜。大事は菩薩戒の本体、万法の根源なり。学者の受戒に同ぜざるを以て、大事を加授し、重授するを以ての故に、戒本を除く。蓋し由有るか。
東林敞和尚云く、「菩薩戒は禅門の一大事なり」と。
永平高祖、大乗徹通和尚に示して曰く、「我が宗門伝授の菩薩戒、尤も一大事因縁なり」と。大事を以て血脈を添えるは、蓋しかくの如し。
万仭道坦禅師『洞上伽藍相続弁』、部分的に訓読
曹洞宗侶でもない限り、詳細は分からないと思う。要するに、日本曹洞宗では一時期、或る師匠から教えを受け嗣いだ後、別の系統の寺院に入る場合には、それまでの法の系統を捨てて、改めて別の寺院の法を嗣ぎ、その上で寺院に入るという「因院易師」の制があったという。ただ、これは、法を嗣ぐという本質からかなり遠くなることもあり、また、寺院後継者決定の問題に、大きな不正を生む可能性もあるため、否定・改善しようという運動が行われた。それが「宗統復古運動」である。
では、その後はどうなったかだが、以上のように万仭禅師が指摘されるように、「一師印証」を堅持しつつ、寺院相続のため、戒脈と大事の二物を別に受け嗣ぐようになった。
曹洞宗では、師匠から法を嗣いだことを示すために、「嗣書・血脈・大事」という三物を受け嗣ぐようになった。内容は、法燈の嗣続を示す嗣書、戒脈の嗣続を示す血脈、そして受け嗣いだ宗旨を図示した大事とされる(なお、以上の見解はあくまでも一解釈例である)。
しかし、万仭禅師が示す「五物」の相承により、従来自らが受け嗣ぐ「人法」と、各寺院の開山以来の法燈である「伽藍法」が、無理なく統合可能となり、問題とされた点も、現実面の矛盾は解消されることになったことになる。
それにしても、曹洞宗では江戸時代から重要な案件は、一方により他を破するというより、論ずべき両方ともに最大の利益を得られるような方法を模索したようである。この辺を、ただの折衷論だと理解すると、多分本質は見えなくなってしまうのである。
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