時に、弗迦娑、復た仏に白して言く、「我れ今、仏法に於いて出家せんと欲す」。
仏、即ち喚びて言く、「善来、比丘」。鬚髪自ずから落ち、袈裟身に著し、即ち沙門と成り、阿羅漢を得る。
『大般涅槃経』巻中
これは、阿含部系の『大般涅槃経』である。いわば、釈尊の入滅に関わる教えを集めたものであるが、その中で、釈尊が出家を願う者に対して、「善来、比丘」と声を掛けたところ、頭髪などが自ずから抜け落ち、袈裟が身に着いて沙門の姿になったというのである。よって、出家の沙門の姿になるのに、頭髪が落ちることが条件であったことが分かる。そして、後にはそれを剃刀で行うことを剃髪ともいうわけである。
ところで、今、拙僧の問題意識の中では、曹洞宗の「檀信徒喪儀法」に於いては、亡くなられた檀信徒の方について、(作法上は)入棺をさせていただく前に剃髪し、授戒・授血脈しているのである。それで、曹洞宗の場合、特に第二次大戦後は、檀信徒喪儀法でも「授戒」で出家者が出家する時に授けられるのと同じ「十六条戒(三帰・三聚浄戒・十重禁戒)」を授けているため、出家者と変わりがなく、そのために最近では、この一連の作法のことを「没後作僧」というようになった。
だが、以前に或る研究会で発表させていただいた際に、中世から近代までの資料をかなり確認してみて分かったのだが、いわゆる「没後作僧」については、一部の切紙でいわれるのみで、例えば、近世から近代にかけての学僧達に、「没後作僧」が喪儀作法の一般的な方法であるという「意識」は、およそ見られなかった。
しかし、どうも、臨済宗の無著道忠『小叢林清規』(1683年序刊)は刊行された在家喪儀作法を収録したとして注目され、曹洞宗でも剃髪・授戒という方法が行われていた可能性は残る。しかし、問題はこれが「作僧」だったのか?ということである。『小叢林清規』での授戒は「三帰・在家五戒」のみで、出家者ではないことは明らかである。だが、剃髪はしている。
そうなると、剃髪が出家を指すのかどうか?を問題視しなくてはならなくなる。そう思っていたところ、以下の一節を見出した。
十二に剃髪し已りて帰戒を受くる者なれども、五戒を論ずるに拠れば、本より在家の受くる所なり。今、出家と形同なりと雖も体は俗なり。
元照『四分律行事鈔資持記』下一「釈沙弥篇」
ここから理解出来ることは、剃髪し、三帰戒を受けていたとしても、五戒のみであれば、出家と形は同じであっても、その本質は俗と同じであるという。ここからは、『小叢林清規』でも「五戒のみ」であるから、剃髪して姿のみは出家に同じであるとしても、その本質は在家なのである。これは、剃髪しているからといって、出家とは容易に断言できないことを意味している。
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