ペ・スビン応援したい!

韓国スターペ・スビンさんを応援して 11年になりました。
初めて見た韓国ドラマ・朱蒙のサヨンは、大好きです

残り少ない映画〈マイラティマ〉上映館と時刻…そして監督のユ・ジテさんのインタビューです

2013-07-08 00:07:19 | 日記
まずは この呟きと共に…

☆第15回トビルアジア映画祭で
審査委員大賞受賞!
ぺ・スビン、パク・ジス、
ソ・ユジン主演、
ユ・ジテ監督<マイラティマ>
インディスペース
9日(火)午前10時30分上映.
スクリーンで会ってみて下さい。

…との事で…
インディスペースは
こちらです(o^^o)






もう一つは…
☆kucinematrap〈KUシネマトリップ〉
7月8日(月)17:50
マイラティマ(放映終了)


場所はこちらです(o^^o)






うーん…本当に終わってしまうの
…か…し…ら…

ユ・ジテさんのインタビューが
1・2と連続でUPされていたので
ご紹介致しますm(_ _)m

Vol.1 ― “監督”ユ・ジテ
「いずれ政界進出ですかって?
ハハハ」
TVREPORT
2013年07月07日18時50分





ブランドショップの
ショーウィンドウに陳列された
輝く時計のようだった。
低い声から感じられる
オーラやすらりとした外見から
漂う気品に圧倒されることも
あった。ラフでありながらも
一方ではなぜか分からない
冷気が漂う俳優であった。
ユ・ジテ(37)の過去はそうだった。

華やかな“俳優”という服を
しばらく脱ぎ捨てたユ・ジテは、
メガホンを手にすると
全く違う人になった。
もう少し気さくで、
かなり人間味溢れる人となった。
特別に人が好きで、
特に疎外された孤独な人々に
関心があった。孤独を楽しめる
芸術家であり、寂しさが
何なのかを感じられる監督だ。
そして人の香りを
嗅ぐことができる男だ。

丁寧に作り上げた
ユ・ジテ監督の初の長編映画
「マイラティマ」
(制作:ユムービー)が、
溢れる人間味で観客を迎える
準備を終えた。
すでに
短編映画「招待」(2009)
「我知らず」(2008)、
「盲人はどんな夢を見るか」(2005)
「自転車少年」(2003)を通じて
監督への野望を
表したことがあった。
「マイラティマ」は監督として
本格的に演出に足を
踏み出した作品だ。

常に社会的弱者に対する
人並みならぬ視線を
持っていた彼は、
今回も若年層の失業問題や
移住した女性など、
世の中に受け入れられていない
人々のストーリーを
重みのあるタッチで描いた。
病んだ社会を指摘し、
世間に知らせようとする
ユ・ジテ監督。なぜ彼は
社会問題にここまで
こだわるのだろうか。

「どんどん社会問題に
関心を持つようになりました。
本当は遠い話でもないのに、
社会はずっと隠そうと
しているでしょう?
世の中が進化するほど、
疎外された人々は
増えていくのが現実です。
映画業界もそうですよ。
最近は芸術を表に出して
いるけれど、その内面は
実はとても商業的です。
お金を稼ぐために
映画を作っているし、
作品を作るために
映画を手がける制作者、
監督は少ないです。
本当に怖いですね」


とびきり正義感の溢れる人
というわけではないが、
病んでいく世の中を
少しでも変えることができれば、
いつでも顔を貸しても良い
というユ・ジテ監督。
彼が多様性のある映画を
応援する理由もここにある。

ユ・ジテは
最近多様性のある映画への
関心を促すために
映画「家族の国」
(監督:ヤン・ヨンヒ)の
映画チケット100枚を
SNSを通じて無料で配布した。

「少ない量ですし、
意味のあることでしょう?
全然もったいなくないですよ。
『君の仕事に集中しろ』と
言って文句をつける人も
いるかもしれませんが、
これはあくまでも自分の
個人的な意志ですので
曲げたくはありません。
冷たい社会に貢献する人に
なりたいです。いつも社会に
還元しなければという
責任意識を持っているんです。
ノブレス・オブリージュ
(位高ければ徳高きを要す)と
考えても良いと思います。
もちろん僕は高官でも
何でもないのですが、
一般人に知られている人として
少なくとも僕の関心のある
分野を支えていきたいです」

知っている人も多いが、
ユ・ジテの祖父は
1960年第2共和国の発足当時、
大統領選挙に立候補した
故ユ・オクウ元国会議員だ。
血は争えないのだろうか。
清廉潔白で有名だった
ユ元議員のように、
ユ・ジテ監督も芯のある
真っ直ぐな信念を持っている。
多分彼の思う
ノブレス・オブリージュは、
祖父の影響が大きかったのだろう。
もう少し明るい世の中に
なってほしいという
ユ・ジテ監督。
政界進出を
目指しているのではないだろうか。

「ハハハ。
全くそのようなことは
思っていません。全然ですよ。
僕は映画ができるという
この人生にとても
満足しています。
これ以上幸せにはなれません。
時間が経つほどスターよりは
俳優として呼ばれ、
俳優よりは監督として
呼ばれるでしょう。
そして監督の後は
社会福祉活動家と
呼ばれたいです。
人生の最後の目標は
社会福祉活動家です。
できれば、僕が人々の記憶に
残っているうちに
福祉活動をたくさん
行いたいです。すると、
人々もどんどん世の中に
目を向けるように
なるでしょう?
バタフライ効果で、
いつか暮らしやすい
世の中になるでしょう」






Vol.2 ― ユ・ジテ、
俳優と監督の間には
“厄介な駆け引き”

TVREPORT
2013年07月07日18時51分

「俳優としての人生が
終ったって?思ったより
オファーはたくさん
来てますよ…ハハハ」

俳優ユ・ジテ(37)が
メガホンを取った。
自身初の長編映画
「マイラティマ」
(制作:ユムービー)で
戻ってきた監督ユ・ジテは、
より一層成熟し、
より一層真剣になっていた。
今では「監督」という
呼び方もなかなかよく
似合っている。確実に
監督としての地位を確立したようだ。

彼の演出への情熱は、
かなり前から始まっていた。
学生時代、演出の勉強を
着実にしながら、
映像芸術に対する
卓越した見識も育てた。
俳優としては
大きく認められたが、
彼の中でうごめく
演出への情熱を
沈めることはできなかった。
着実にその情熱を育み、
時を待っていたユ・ジテは、
2003年に短編映画
「自転車少年」で人生の
第2幕を開けた。

純粋な少年の
初々しい恋を描いた
40分の短編映画は、
ユ・ジテの可能性を
覗かせる礎となった。
その後「盲人はどんな夢をみるか」(2005)、
「我知らず」(2008)、
「Invitation/招待」(2009)などを
通じて監督としての
力量を育てたことが
「マイラティマ」を
制作できる原動力となった。

しかし、一方では彼の挑戦が
無謀であると懸念の声も大きい。
監督としてのイメージが
俳優には障害になるということだ。
俳優と監督、
両方で成功することは難しく、
二つの中で一つを選択するのが
宿命であるという。
ユ・ジテも周りの懸念を
知らないわけではなかった。

特に初の長編映画を手がけた
ユ・ジテにとって、
それはどの障害物よりも
重く肩に伸しかかる
プレッシャーだっただろう。


「『俳優としてはもう終った』と
僕を心配している人も
かなりいました。
実際に耳にしたことも
結構あります。けれど、
僕は少し違うと思います。
僕にはもっと大きなチャンスだと
思うんです。監督をしていますが、
(出演を検討してほしいという)
シナリオがたくさん入ってきたり、
演出と演技を同時に
やってほしいという
オファーがきたりもします。
一石二鳥ってことでしょうか?
僕はまだ使える存在みたいですよ。
ハハハ」

使える俳優であり、
監督でもあるユ・ジテは、
思っていたよりずっと
強い人であった。
周りの要らない心配に
動揺することなく、
結局はやり遂げて見せた。
これまで涙ぐましい
失敗もしただろう、
血の滲む努力もあったはずだ。
ユ・ジテの真心を
知っているゆえ、
二つの分野で成功したいという
彼を応援したい。
志があるところには
必ず道があり、
天自ら助くる者を助く
というではないか。

「僕には一度決心したことは
必ずやり遂げるという
意志があるんです。
まず今は僕のやりたいものを
見つけて、それができるという
ことに満足しています。
僕も平凡な人なので、
たくさん悩んだりもします。
ですが、俳優としても
監督としても成功する
自身はあります。
僕の人生であり、僕の夢です。
他の誰かが代わりに生きて
くれたりはしませんよね?
後悔せずに生きますよ。
人生は短いですから」





ぺ・スビンさんが絶対の信頼を
寄せていらしたというのが
このインタビューから
良くわかりますね 。
意気投合されたのでしょうね。

そして…
ヤン・ヨンヒさんの
〈家族の国〉
とても良い作品でしたが、
このチケットを配られたお話…
ちょっぴり驚きました。


これからの 監督活動…
応援したいですね!

わぁー!
日付が変わってしまいました

お休みなさい m(_ _)m