ARENAインタビュー 翻訳機
http://smlounge.co.kr/arena/article/37406?smshare=urlShare
norinoriさんが訳してくださってました。お借りしてきました。
何時もありがとうございます。
RAINらしいということはー
人々が言う。これはRAINらしくない。だからRAINが問い返す。じゃあRAINらしいって何だ? この15年間休まず必死に、絶えず熱かった彼が少し変わった。バッグを結び直して、余裕を持って歩く方法を学んだ。それがアジアのスター、最近のRAINらしい姿だ。
いつだったかRAINのインタビュー記事を読み、ずっと心に残っていることがある。彼に初めて「ワールドスター」という呼称が付いた頃だったが、誰が見ても最高の成功街道を走っていたRAINからは、何故か少しも満足が感じられなかった。その代わりに、もっと高い目標に向かう情熱、新たな挑戦に向けた執念などで満ちていた。食べたいものを思う存分食べられるようになって嬉しい、という言葉と共に。そのやって彼はいつも自分を叱咤しているみたいだった。よく分からないけれど、体が壊れるくらい激しくコンサートをして家に帰る途中、ステージでの気に入らなかった動作を思い出し、今にも練習室に車を引き返しそうだった。「こんなに必死にやるから成功するんだな」そう思った。
昨年末、RAINがまた韓国に戻ってきた。ミニアルバム〈MY LIFE愛〉を通して見せてくれたRAINの選択は予想外だった。彼はラップをし、歌を歌い、ダンスも踊った。「太陽を避ける方法」でRAINを記憶する人は、それにより「RAINらしくない」と評したりもした。しかし最初から彼は「RAINらしくない歌」を歌いたかったと言った。もしかしたら15年間、そんな風に酷く自分を鍛えて締め付けてきたため、少しずつ自由になりたいのかも知れない。
2018年が明けてすぐにRAINに会った。やはり肩は太平洋のように広く、またひとつ歳を取ったにも関わらず、青年の姿だった。容赦なく自分を責め立てて来たRAINは、前よりはるかに余裕があるように見えた。速度より方向に集中し、たまには窓外風景も眺め鼻歌を歌いながら。その姿は私が知っているRAINらしくなかったが、だからこそまたRAINらしくもあった。ARENA(以下A):「さよならという言葉の代わりに」を歌っていたのが15年前というのが信じられない。あの時は本当にさわやかだった。
RAIN(以下R):でしょう?時間が経つのは本当に速い。
A:2017年はデビュー15周年になる年だった。その時期を念頭に置き活動を計画したの?
R:たぶん僕が久しぶりに活動を再開したと思っていると思うが、実は公に見えずにした仕事が多かった。職業が歌手でもあり俳優でもあるから。中国で続けて俳優をしていた。昨年上半期は韓国で映画撮影に集中した。今年はファンのためのツアーを準備しているので、それを念頭に新しいアルバムを作っていたんだ。もう大きなプレッシャーを抱え、アルバム活動をする時は、とうに過ぎたようだ。ファンにプレゼントをするという気持ちで、軽い気持ちで始めた。それでとても短いひと月余りの間に、バラエティもたくさん出たんだ。僕の自然な姿をもっと見せてあげたいかったから。
A:昨年発表したミニアルバム〈MY LIFE愛〉のタイトル曲は「GANG」だった。実は思っていたのとあまりに違って驚いたんだが、反応はかなり多様だった。
R:アルバムというのは、いずれにしても一度のイベントで終わるものではないので、いろいろな試みをしてみなければならないと思う。僕はすでに15年活動してきたし、変化する時代に足どりを合わせていく必要がある。僕が尊敬してくるパク・チャンウク監督、リュック・ベッソン監督も映画という大きな枠組みの中で新たな試みをして来た人たちである。ある時、商業的な要素が強い映画を撮ったら次は「芸術映画」と呼ばれるようなものを作る。今回のアルバムも多くの挑戦をするという僕の意志が積極的に反映された結果だ。実は好き嫌いが別れるということ自体がとても面白かった。あるでしょう?このセクションには、ヒップホップがあって、あのセクションにはエレクトロニックがあって、また別のセクションではレゲエがあるようなクラブが。僕のコンサートでもちょうどそんな楽しさを感じられるはずだ。そのような次元でももっと新しい音楽が必要だったわけで…。私を15年間見守ってきたファンは、もう私が何をするかだいたいわかっているから。
A:「今回の曲はRAINらしくない」という人たちが多い。では反対に聞いてみよう。RAINらしさとは何だろう?
R:さあ、各自定義するRAINは全部違うと思う。僕が今重要に思うのは多様性だ。音楽チャートでも選ぶ楽しさがあるべきではないか? 今回の曲で終わりではない。また見せたい新しい姿がある。まるで「月間ユン・ジョンシン」のように、私もたゆまず様々なバージョンの「RAIN」を聴かせたい。
A:「月間ユン・ジョンシン」を毎回聴く?
R:ジョンシンさんは本当にかっこいい。デビュー20周年を超える先輩が、ずっと新曲を発表している姿から、大きなインスピレーションを受ける。私もそんな風に一生懸命、コンスタントに挑戦しなければならない思う。以前は頑張って2、3年ぐらい準備して13個程度のトラックを盛り込んだアルバムを作った。しかし今は流れが変わった。もう少し気楽に、こんな自分をちょっと見せたらまた少しして別の自分見せて。。。そういうのが年輪のあるミュージシャンの姿ではないか?
A:昨年下半期活動の一つがオーディション番組〈ザ・ユニット〉だった。参加者に「自らの姿に満足するな」と言った場面が話題になった。あまりにも必死に練習してきたから、うんと年の離れた若い後輩を見ながら「俺の頃はあんなじゃなかった」という思いが出て来てもおかしくないが、どうだったか?
R:そんな事を考えれば、新しいパラダイムに適合することは出来ない。現在、僕がスマホを使いながら「俺の頃は2G携帯を使ってたのに、なんでみんなは2Gを使わないんだ?」と言うのと同じことだ。
僕の時代の過去は過去なだけで、1980年代生まれの人たちが最新ハイテク製品を使い、「近頃の子は昔のようじゃない」と言うのは、自ら「老いた」と認めるのと同じだ。
よく言う「年寄りじみたこと」をすることになるんだ。新しい世代に僕がどのように合わせなければならないのか、という事を常に考える。
僕の考えと違うからといって彼らがあまり頑張ってないとは言えない。〈ザ・ユニット〉に出演しながら本当にもどかしい子もいたし、何でも上手く行きそうな子もいた。でもその基準を置いて色眼鏡で見始めると客観性を失う。僕が間違った判断をするかもしれないと、常に念頭に置こうと思っている。
僕もきつい言葉や傷つく言葉を投げて「それは違う」と言うこともできる。だがそれは今の時代に合わないようだ。
A:では、今の時代にはどのような態度をとるべき?
R:近頃はどうにかして、ちゃんと引っ張っていかなければならないと思っている。よく出来たことについては確実に褒めてあげて勇気を吹き込んであげなければならない。
「俺の頃はそんなじゃなかった」なんて思えば〈ザ・ユニット〉という番組はできないだろう。
オーディション番組の提案をたくさん受けて来たが、このプログラムを選んだ理由がある。失敗した子たちに第2の機会を与えようというところが画期的に感じられた。
もちろん、それ以前にも似たようなフォーマットはあったが、〈ザ・ユニット〉にはすでにアルバムを出した経験がある子たちが登場する。完全な新人は一人もいない。デビューしたがうまく行かなかった子たちだ。僕は彼らに確実に希望を見たし、どんな形であれサポートをしてあげられだろうと思った。
A:〈ザ・ユニット〉を見ていると、ふとこんな気がしてくる。「RAINは本当に自らに一度も満足ということをしたことがないのか」
R:ギリギリのラインを見極めることがとても難しい。自分自身を鞭打ちすぎれば、それはとてもキツい。かと言って今の自分に満足しようとすればきりもない。
だからある程度自分の中で妥協点を探す。でも「このくらいでいいや」なんて考えはしない。この程度の妥協も目覚ましい発展だ。以前は本当に容赦がなかった。
ハハ。30代前半になっても僕が何かできないということ、成し遂げられないということに罪悪感を感じるほどだったから。
A:いつも目標を立てては一つずつ消しながら達成感を感じるか?
R:僕は今週の目標、一ヶ月間の目標のような短期計画から長期計画まで立てておく。別名「369計画」だが3年、6年、9年内に成し遂げなければならない長期的な計画を意味する。3年後の自分の姿、6年後そして9年後の自分の姿を計画を立てておくんだ。
A:自己啓発書を書いてみるつもりはないか?
R:何かに挑戦する子たちのために本を書いてみたことがあった。なんやかんやの理由で白紙に戻されたが、、僕が言いたい言葉はただ一つだ。『あなたはすでに成功している。
成功のヒストリーはあなたが書くのであって誰かが書いてくれるものではない。成功した人たちの自敍伝のように生きる必要もない。自分を信じなければならない』成功する他の人を見ると「どうしてあんなに上手くいったのか?」と気になる。
しかしこの世の中の道理は飲んでも飲んでものどが乾く海水のようだ。どんな成功も満足するには難しい。だからもっと言ってあげたい。一生懸命仕事をして給料を受け取るサラリーマン、今仕事はしていないが未来のために悩むすべての人々は、すでに成功しかけていると。
今僕と同時代を生きているすべての若者に拍手を送りたい。あなたは最善をつくしていて、素敵で大切な人だと。悩む、それ自体が足がかりとなって5年、10年後には今までとは違う自分になることができる。
このような考えを本に整理してみてもよさそうだ。今すぐではなく、私がもっとノウハウを築けば、一度は挑戦してみれるんじゃないかと思う。
つづく