無残な光景でした。
安否確認が取れない先の大槌町と釜石市とを訪問してきた。悲惨な無残な光景でどういう説明も伝わりそうもない現場の声を聞き、体が重くなるのを感じてきた。
釜石は市街地の形は残れども一階部分の形はなく瓦礫の山となって毎日、数人の遺体が見つかるという。
大槌は途中の鵜住居やら大岸やら同様に殆どが流され、取引先も周りの銀行も郵便局も跡形無く瓦礫の山の一角になっていて、安否は不明のまま、帰路についた。
何処でも、自衛隊の方々が大きな部隊を組み、黙々と瓦礫に取り組んでいたし、全国のパトカーが入れ替わり立ち替わり、24時間体制か交通整理に立っていた。
総て、此処に表現できない事柄が多く、それだけ悲惨な無残な残酷な光景だった。
540kmの走りは被災された方々に比べるとあまりに小さいのだろうな!
でもま、今日は疲れた!
安否確認が取れない先の大槌町と釜石市とを訪問してきた。悲惨な無残な光景でどういう説明も伝わりそうもない現場の声を聞き、体が重くなるのを感じてきた。
釜石は市街地の形は残れども一階部分の形はなく瓦礫の山となって毎日、数人の遺体が見つかるという。
大槌は途中の鵜住居やら大岸やら同様に殆どが流され、取引先も周りの銀行も郵便局も跡形無く瓦礫の山の一角になっていて、安否は不明のまま、帰路についた。
何処でも、自衛隊の方々が大きな部隊を組み、黙々と瓦礫に取り組んでいたし、全国のパトカーが入れ替わり立ち替わり、24時間体制か交通整理に立っていた。
総て、此処に表現できない事柄が多く、それだけ悲惨な無残な残酷な光景だった。
540kmの走りは被災された方々に比べるとあまりに小さいのだろうな!
でもま、今日は疲れた!