斎藤徳三郎と中川一政
洋画家の中川一政(88歳)は昭和56年水戸市アート・センター・タキタ・ギヤラリーでの「斎藤徳三郎遺作展」に寄せて次のような一文を寄稿している。
私は斎藤君とたびたび遊んだ。相撲もよくとった。巣鴨の画室で相撲をとっていたとき関東の大地震で東京方面に火が上がり、「火事だ火事だ」といたら斎藤君の家が焼けていたのだ。斎藤君の家は日本橋の三越の横にあり、かまぼこ商で大勢の使用人がいた。手伝うとみえて、片手で卵の黄身と白身とを別けてみせた。
どうして武者小路さんと知り合ったかといゆうと兄さんの影響かと思う。
◎斎藤徳三郎の兄弟(中央が斎藤徳三郎)
武者小路さんの新しき村にいっていたから、新しき村の先輩でもある。画もかくし、芝居もする。演出もする。
器用な性であったが、新しき村にいたからであろう。私も斎藤君のあたらしき緒川村にいったことがある。
川が流れ、静かな郊外で隠とん生活をしたら良さそうなところであった。村の人からも尊敬されているようで、役に立つことも多かったであろう。早くなくなった。晩年はゆっくり話す機会がなかった。 6月11日
259ー02 神奈川県眞鶴町1578 中川一政内
◎斎藤徳三郎と相撲を取って育った中川一政
◎画家中川一政
◎斎藤徳三郎作
高さ1.82メートル 幅3.64メートルもの大作、昭和40年代蕎麦店「よかっぺ」の店主椎名昭二氏のために描いたもの