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青天を衝くー渋沢栄一の生涯 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ

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武者小路実篤の絵の師斎藤徳三郎の生涯(11)

2018年01月10日 | 斎藤徳三郎の生涯

増渕元秀と一人娘冨美子

増淵元秀の一人娘冨美子は作陶の様了を次の様に述べている。「父が陶芸を本格的に展覧会に出しはじめたのは私か小学校4~5年生の頃からだと思います。年に2回、春と秋の展覧会に向けて、真冬と真夏の。番気候の厳しい時期に2~3ヶ月にわたって制作していました。

◎増渕家右より増渕マサ江、増渕元秀、増渕富美子

 父の作品をご覧になった方は、迫力と地の底から突き出てくるようなエネルギーに圧倒されたと思います。しかし、そこには想像を絶する親子の葛藤がありました。

 父が制作をする時期になると気持ちを自ら高揚させていくので父の形相まで変ってきます。

 このような状態になると制作に入って行くわけですから、助手を勤める私にも一切の雑念も許されませんでした。

 父との息がぴったり合わないと、作品が立ち上がらないのです。そのためには手や足も飛んできました。時にはアトリエの隅までふきとばされていることもありました。でもそうすることで私にも作品に対する気迫を伝えたかったのだと思います。

 そして親と子の呼吸がピッタリ一つになったとき作品が立ち上がるのです。この一瞬の間が厚さIセンチ、底の方でも1.5センチしかない厚さの板状の粘土を立たせるエネルギが一点に集中させるのだと思います。制作中には母のマサ江ですらアトリエに近付くことが出来ませんでした。きっと私たち親子にとって神聖な場所だったのでしょう。

◎増渕元秀作品

しかし、作品を手放さないので経済的には全面的に母が支え、父の重圧で押しつぶされそうな私を主人が支えてくれました。おかげで家庭が崩壊せずに、父がもう作品は出さないと言うところまで、父を、そして作品の制作を支え続けることが出来たのだと思います。この場をお借りして母にはご苦労様と、主人にはありかとうという言葉を送りたいと思います」

また、今回の師弟展に際し、「皆様のご尽力によって三人展を開いていただいた事でやっと、心の葛藤に終止符が打たれた思いがします。後になりましたが皆様に心から感謝申し上げます」と述べている。増淵元秀と娘冨美子が作品と格闘する姿が思い浮かぶ一文である。

 



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