焼き物の起源(縄文式土器)
縄文式土器を用いた地域では北は北海道から南は沖縄にまで及んでいる。しかし縄文を付けていない縄文式土器も多い。特に西日本の新しい縄文土器には縄文が見られない。
九州から出土する土器には貝殻を押しつけて装飾したものが見られる。
一方東日本の弥生式土器・続縄文式土器になどは盛んに縄文が使われている。
早世期・早期の縄文式土器は深鉢のみであり、特に尖底土器が主である。尖底土器は逆三角形をした器であり底部になるにしたって尖っているのでこの名が付いた。また、装飾が一種類に限られていることが多い。これらの深鉢は焚き火のために黒く変色している。このようなことから縄文式土器は、ドングリやトチの実・栗の実などの木の実を煮炊きに用いる土器として作られるたことが解る 。
縄文式土器はおよそ8000年の間使われていたが、その間には紋様も複雑化し中期には祭器に使われた火焔式土器のようなダイナミックで芸術性溢れるものが生まれた。
火炎式土器は中部関東地方において中期縄文式土器に見られる。躍動的な隆起線文様の発達によって縄文式土器の頂点を極めたといっても過言ではない。
◎青森県三内丸山遺跡
令和3年5月、特別史跡三内丸山遺跡は、正式に世界遺産への推薦が決定しました。
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