熊野参詣は平安時代中期に起り、その後中世に盛んになった。その往来の道が熊野古道だ。下津より拝ノ峠を越え、蕪坂を下り宮原を経て有田川を渡る。糸我へ着き、糸我峠より湯浅の逆川へと古道は続いている。
蕪坂塔下王子跡
拝ノ峠を越えてもまだ峠があった。その蕪坂峠の直下に蕪坂塔下王子がある。案内板によると、紀伊国名所図に「蕪坂王子社は蕪坂の上にあり」、と記されていた。また、蕪坂には、峠と南麓の二ヶ所に王子社があるという。南麓の王子社は「山口王子」あるいは「宮原王子」と呼ばれているだそうだ。
蕪坂塔下王子からの遠望
太刀宮(道祖神社)と熊野古道
元和の昔(1615年~23年)宮崎定直が大阪夏の陣から故郷宮原荘へ帰る途中、この社前で名剣の霊験によって危難を免れたので、その剣を神社に奉納したという言われがあるそうだ。
爪書地蔵
お堂の中には幅4m余の自然石に阿弥陀と地蔵が線で描かれており、弘法大師が熊野へ参詣する際に生爪で彫り付けたと伝えられている。
熊野古道は山口王子へと続く
山口王子跡
有田市宮原の町の東側の山沿いに熊野古道が通っている。蕪坂を概ね下った麓にあるため、熊野参詣した藤原定家は「山口王子」、藤原頼資はこの地が宮原庄であった事から「宮原王子」と呼んだのでしょう。公園の一角に山口王子社の小祠がある。近年再建されたとの事である。
糸我稲荷神社
有田川を渡り、「中将姫ゆかりのお寺」得生寺を過ぎた右手側に糸我稲荷神社が見えてくる。
「糸我社由緒」によると、糸我稲荷社の創建は「37代孝徳天皇白雉3年壬子の春、社地を正南森に移し、糸我社と申す」とあり、白雉3年とは伏見稲荷神社の和銅年間の創建より約60年も前に遡ります。この故をもって糸我稲荷神社を本朝最初の創建とし、社前鳥居に「本朝最初稲荷神社」の額が上がっているそうです。
糸我王子跡
糸我坂にかかるとすぐに民家の間に糸我王子社が祀られ、さらに行くと蜜柑畑の左手に糸我王子跡の碑と道標が立っている。糸我王子は糸我稲荷神社に合祀されているそうだ。
次回は糸我峠を超えて逆川王子から
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます