中村王子跡
紀ノ川の度重なる氾濫を恐れてか、田園地帯の中に中村王子跡はあった。紀ノ川を渡る準備を行う王子であったであろうが、「川辺の渡し場」迄は約1.1㎞超とまだ遠い。
力侍神社の西300mがその跡とされ、力侍神社の変遷や川辺王子、中村王子の位置も幾つかの異なった考証がある。これは熊野参詣道の道筋が時代によって変わったためと考えられているようだ。
力侍神社(この鳥居の奥)
手力男命を祀る力侍神社は、当地より700m北西の神波村に鎮座していたがその後上野村の八王子社境内に移り、寛永 3年(1626年)神託に依り両社とも当地に遷座したそうです。
紀ノ川の守り神 9体の道祖神
「川辺の渡し場」から下流に約400m、川辺橋近くの河原に赤いエプロンを着けた9体の道祖神が鎮座していた。
熊野詣での旅人が無事にこの川を渡って帰って来て欲しいと言う、渡しの人々の祈りが伝わってくる・・・。
紀ノ川流域最長の「川辺橋」を超えて・・・
吐前王子跡
紀ノ川の水で心身を清める水垢離を行い、祓をして王子社に参拝するのが通例でした。江戸時代ではこの王子社は王子権現と呼ばれ、付近は森に覆われていたそうです。
後鳥羽院「熊野御幸記」によると、吐前王子で昼食を取り、遅れていた後鳥羽上皇の御幸を待たれたそうであり、また「続風土記」では吐前王子社として「森を土人御幸道という」と記されているそうです。
次回は川端王子社から
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