小広峠下のトイレを過ぎ、熊野古道案内・道標に従い谷川にかかる橋を渡ると、草鞋峠の上り坂が始まってくる。上り初めて少しで、地蔵さんそして熊瀬川王子が現れた。
熊瀬川王子跡
熊瀬川の地名は、草鞋峠の登り口付近一帯を指しており、王子跡は此処が妥当と考えられている。しかし、中世の熊野参詣記には、熊瀬川王子の名が見当たらず、そのため小広王子と熊瀬川王子を同一の王子であるとし、熊瀬川王子自体の存在が疑問視されているようだ。
草鞋峠の上り坂、つづら折れの急な女坂を下り、仲人茶屋跡へ。
2011年6月に紀伊半島を襲った大雨により、熊野古道は仲人茶屋跡からつづら折れの急な男坂を上り、中辺路の難所として知られた岩神峠を越えての蛇形地蔵間は通行止めとなっている。その間は迂回路の古道?で結ばれ、岩神王子跡は拝めなくなっていた。
岩神王子跡
岩神峠にたたずむ岩神王子跡。
峠の一段高い場所に、岩神王子の石碑があった。
岩神王子からの遠望を眺めながら急な下り坂を下ると林道に出る。
蛇形地蔵
湯川王子のある廃村・道湯川村跡の手前に、蛇形地蔵がある。
この付近で出土した海藻の化石が蛇のように見え、それを背に祀られている地蔵で「蛇形の地蔵さん」と呼ばれ、以前は旧岩神峠にあったそうだが、明治22年の大水害時にこの地に移されたという。
言い伝えによれば、熊野を往来する人々が岩神峠で「ダル」という妖怪に取りつかれて、倒れる遭難が相次いだため、寛政年代に岩神峠にこの地蔵尊を建てて旅人の遭難を防いだと云われる。今は此処に地蔵尊をお迎えし祀っている。
湯川王子跡へ急ごう!
湯川王子跡
湯川川の上流、桧林の中に湯川王子跡があり、緑泥片岩の碑と小祠が見られる。湯川王子社は九十九王子社のうち比較的格式の高い准五体王子社として、また道湯川の氏神として祀られてきたそうだ。
戦国時代、南紀御坊を中心に威勢を誇った湯川一族発祥の地と云われ、往事はかなり栄えたと思われる石垣等が残っていたが、道湯川村は昭和30年代から廃村となり、現在は旧住人たちがこの小社殿を守っているそうだ。
此処にも皇太子殿下行啓の地碑あり。
次回は、猪鼻王子からの予定ですが、
新型コロナウイルス(COVID-19)感染予防の為、暫く行動を慎む事とします。
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