SEX AND THE CITYによろしく

アラサー男のゴーイングマイウェイなブログ。

日常とか野望とか妄想とか書いてます。

渡る世間は鬼ばかり

2024-02-25 21:06:24 | 日記
社会の歯車として日々、暮らしている。

僕はずっと疑問に思っていた。

人間とは何なのか。

なぜこんなにも苦しい社会なのか。
なぜ人間は差別や貧困を生み出すのか。

サピエンス全史という本を読んでいる。

雑に言えば人間という生き物の歴史が書いてある本だ。

人間は、サピエンスという動物である。

このサピエンスが生態系の王者になったのかと言えば、目に見えないものを皆が信じることのできる能力に由来する。

普通、動物は150を超える個体の集団は維持できない。必ず分裂するようになっている。

動物としての人間(以下、サピエンス)の脳の構造上、それは他の動物と変わりはない。

だが、サピエンスはファンタジーを信じることができ、皆がそれを共有することで、生物学上の限界を超えた集団を形成できた。

これは現代社会でも同じである。

人は皆、生まれながらに平等な権利を有するというが、それはフィクションである。

そんなものはない。ただサピエンスという動物がいるだけである。

人は皆、法律を信じているが、それはフィクションである。

そんなものはない。ただサピエンスという動物がいるだけである。

逆に、人は差別するがこれもフィクションである。

そんなものはない。ただサピエンスという動物がいるだけである。

資本主義も、社会主義も、王も奴隷も貴族も平民も、法治国家さえもフィクションである。

もっといえば、会社、学校、病院、結婚、家族さえもフィクションなのである。

みんなが信じているから成り立っているだけに過ぎない。

だが、このシンプルだが強力な事実を数名が叫んだところでこの夢は醒めない。

だからなに?の世界である。

多くの人は政治家にも、革命者にもなる意志は持たないだろう。金持ちになる欲望は抱いても。

だが、現代日本に生きる僕らサピエンスは、この劇の演者なのだ。

演者といえば怒ったり、不快に思う人もいると思うが、やはりこの集団が持っている幻想の中に生きる演者だ。自覚してもしなくても。

かつて、昭和の時代は、一億総中流と言われるように、同調圧力が強く、その幻想の中で人々は演じてきた。社会の常識から外れれば、ほとんど迫害や差別を受けた。

令和の今は、どうだろう。

同調圧力から、個人の価値を重視する幻想を持つ人が増えてきた。

少しずつ、常識が変わりつつある。

これは個人の価値観こそが最重要であるとする幻想をもつサピエンスが増えたからだろう。

個人の価値観の差別は無くなりつつある。

これはいいことだ。

だが、依然として、経済的格差は解消していない。

能力至上主義の世の中だ。

だが、これに異を唱えるものは、まだ少ない。

これからこの社会がどのようなファンタジーを共有していくのか、それは分からない。

だけども、不当な立場にあなたがいるのなら、このフィクションをという台本を逆手に取って、自分に有利になるように物語を書き換えることができる。

法や権利はファンタジーだが、それを信じる者にとっては、現実だ。コンプライアンスが進む現代にとってこのファンタジーで身を守ることができる。

ファンタジーの悪役を押し付けられているなら、もっと多様なファンタジーを信じる集団に移ればいい。

資本主義から離れた生活をしたっていい。

この時代のファンタジーを読み取って、上手に世渡りしていこう。







ドキドキ

2024-02-19 19:48:15 | 日記
健康には3つの要素が必要であると思う。

食事、睡眠、そして、運動である。

このうち、食事と睡眠に関してはよくできている。

しかし、問題は運動である。

どうしても運動が長続きしない。

なぜかということを自分なりに考えた。

答えは脳の仕組みにあると考えた。

まず運動の何が嫌なのかいうと、苦痛を感じるからである。

特に何が苦痛なのかといえば、心拍数が上がることだと気がついた。

息が上がる、心臓がドキドキする。苦しい。

脳科学の本を読んだ。

ストレスを感じている時も同様に心拍数が上がる。

コルチゾールというストレスホルモンが分泌されるせいである。

運動でもコルチゾールが上がり、心拍数が上昇する。

つまり、俺が運動で苦痛を感じるのは、心拍数が上がると不安や危機的な状況であると脳が錯覚を起こすからだと思う。

運動のドキドキは、脳に信じられないほどのメリットをもたらす。

しかし、運動してドキドキすると、危機的な状況にいると脳が誤認するとどうだろうか。

当然、運動を避けるようになる。
 
運動を継続するには、脳にとってメリットがある行為だと認識させる必要がある。

ドキドキ=運動=健康に良い。

今は、ドキドキ=危機的な状況=運動を避ける。

という脳の認識になっているだと推測する。

これは仕方ない。

本当に危機的な状況を数年に渡り、何度も繰り返してきたからだ。

その過程で、脳が心拍数が上がる行為そのものを避けるようになったのだろう。

つまり、脳の認識を変えれば良い。

まずはドキドキしない程度の運動から初めて、徐々に脳に運動はメリットがあると認識させなければならない。

運動を避ける心理にはこのような脳機能が働いているのではないか。

運動してそのメリットをたくさん享受したい。

思い込みの力強い。
この力を逆に利用していきたい。



夕陽のカスカベボーイズ

2024-02-17 17:53:24 | 日記
昔から理想が高い男だった。

極めたい。一番になりたい。一流になりたい。

昔からそんな欲求が強かった。

それで何度も失敗し、挫折し、ドン底を味わった。

それでも、今も理想を追い求めている。

気づいた。

理想は別に悪いことではない。

問題なのは自分自身を理想化してしまうことなのだ。

俺は自分が思っているより能力はない。
思ってるより勉強できない。
思ってるより運動できない。
思ってるより情熱もない。
何を差し置いても叶えたい夢もない。

ただ生きている。

そうだ。俺はちっぽけな自分なのだ。

最近、仕事は順調で、自分の理想を追う時間ができた。

仕事が落ち着かない時は、理想的な自分など考えなかった。

ただ毎日、目の前のことを考えていた。

理想的な人生を考えるなんて、俺も大分余裕が出たんだなって思って少しだけ安心した。

それでも、常に理想を追い求めてしまうのが、俺の悲しい性だ。

でも、いいじゃないかと思う。

このありのままの自分が俺だ。

できないことが悲しいんじゃない。
夢が叶わないことが悲しいんじゃない。

ありのままの馬鹿な俺。愚かな俺。

そんな自分を愛さないことが悲しいのだ。

マイペース。ゴーイングマイウェイ。

この言葉の重要性を何度も思い知らされても、忘れる時がある。

でも、いいんだ。

ちゃんと思い出すから。

昔、クレヨンしんちゃんの映画の主題歌に『マルあげよう』という曲がある。

叶えるのが夢だけど、叶わなくても夢は夢さ
泣いて笑ってそれが人生
平凡な毎日にマルあげよう

俺は俺。
猿が猿にしかなれないように、自分は自分にしかなれない。

大切なことを忘れてしまうちっぽけな俺へ。



現代的な野生の思考

2024-02-14 22:07:33 | 日記
ずっと何かに囚われていると感じていた。

何にこんなに囚われているんだろうとずっとモヤモヤしていた。

通勤中に聴いていた哲学の動画に答えがある気がした。

動画はレヴィ・ストロースについてだった。

レヴィ・ストロースの名前は知っていた。

その思想が構造主義で有名な著作に『野生の思考』というものがあることも知っていた。

だが、実際のところ、構造主義が何なんのか実態は知らなかった。

良い解説があって、とても納得した。

僕たちは目に見えないシステムによって、価値観や意思決定を左右されていることを改めて実感した。

見えないものに僕たちは支配されている。

このモヤモヤは自分が納得していないのに、生まれながらにして放り込まれるこの社会のシステムに嫌悪感を抱いていたことだと感じた。

僕は納得していない。

しかし、この社会のシステムに産まれ落ちてしまった以上、そこから抜け出すことは困難だ。

僕が思ったのは2つのシステムに自分は囚われていることに気づいた。

1つは動物としての本能というシステム。

2つ目は資本主義社会に生まれた現代人としてのシステムだ。

僕はシステムに大きな影響を受けている。

資本主義はラットレースとはいい例えだと思う。

結局のところ、資本主義の成功要因は、本能というシステムが近代的な合理性というシステムに組み込まれたためだと思う。

資本主義は本能的なのだ。

僕は動物的なヒトとしての幸せと合理的な人間としての幸せのちょうどバランスの取れた生き方を探していた。

年々、社会は悪くなってるという人も多いが、僕はそうは思わない。

社会はより自由になってきている。

個人の尊重という価値観が浸透しているのを感じる。

一方で、その自由が公共の福祉を侵害しているのも感じる。

組織から個人へ時代は変わりつつある。

これから動物としてのヒトの心理と、現代という心理。

この2つのシステムについて考えながら、自らの幸せを追求していきたい。

システムから縛られて生きるしかないのなら、いっそこのシステムをコントロールしてやりたい。

いかにも現代人らしい本能的な思考だなって考えながら、笑った。


FILE1 インドカレー チキンビンダルー

2024-02-08 18:37:44 | 日記


レトルトカレー西遊記。

FILE1 インドカレー チキンビンダルー

ビンダルー。初めて聞いた。

ちょっと調べてみる。

西インドのゴア州で生まれたカレーがポークビンダル―(ポークヴィンダールー)。 ワインビネガーや穀物酢、スパイスなどで豚肉を漬け込んでから煮込む、ひと手間かけたカレーです。 豚肉はマリネしてあるので、やわらかく、コクとうまみがたっぷりなのが特徴。 酸っぱ辛くてメリハリある味わいは、「一度食べるとハマる味」と評判です。

らしい。

今回はポークではなく、チキンらしい。

袋を開けてみる。

スープカレーだ。

トロミはない。

食べてみる。

確かに酸っぱい。酸味が強い。

ダイレクトに香辛料の味がする。
複雑なスパイスな調合を感じる。

辛くはないが、あとからほんのりと辛さがくる。

具は鶏肉だけ。量は少なくちょっと残念。

味は若干薄い。サラサラしている。

インドのカレーなので、熱帯でも食べやすいサラサラとしてスパイスの効いたスープカレーになっているのだろう。

食欲のない夏にスパイスの効いたカレー。

異国の味という印象を受けた。

パッケージのデザインは人目を引く。

値段設定は429円とやや高め。

熱帯の異国の雰囲気を感じたい人にはオススメである。

米は日本の米より、東南アジアのパラパラした米が合うだろう。

評価である。

辛さ★★
スパイス★★★
ご飯との相性★★
パッケージ★★★
値段設定★★
総合評価★★★