-  雑 空  - 

晴☆雨☆曇⭐︎にゃー

地震

2011-03-16 | 
11日、いつものように5:45家を出る。
7:00からの作業、1F.2F共に山積みにされた荷物を見つつ
”今日も残業か...。”などと思いつつ動き出す。

10:00過ぎから振り分けた荷物をエレベーターで1Fへ降ろし、かきだす。
作業は順調に進み”18:00には終わりそうかな”などと考える。

14:30の休憩後、Oさんが交代してくれる。
Oさんは荷物と一緒にエレベーターに乗り1Fへ。
俺は次に降ろす荷を集めようと2、3歩 歩き出したところ、あちらこちらで悲鳴が上がる。
14:46 地震発生。



左右に大きく揺られる。
みんな、作業台の下にもぐる。
もう、悲鳴など無い。
防炎ガラスが横に飛んで落下、床に落ちて粉々に砕ける。
積んだ荷物が崩れる。
明かりが消え、非常灯もすぐに消えた。
柱周りの天井が、柱にえぐられ一瞬で大きな穴が開く。
天井パネルが落ちる。
動けない、ただ見ているだけ。

長い揺れがおわり、みんな呆然。
外に避難させた後、Kさんと共に二人残って最後の確認。
俺は通常口、Kさんは反対側の非常口から避難する。
エレベーターから”ドンドン”と音が。
Oさん。
外側の扉は開けられたが、内側の扉が開かない。
”ここはいいから早く外へ出ろ!”
の声に従い、休憩室を確認後外に出る。
点呼確認中、また大きな揺れが来る。

携帯で大津波警報を知る、この辺は最大6m。
この辺に高台は無い、高い建物も無いが海岸線から1Kmほどは離れている。
6mと言われても正直判らない。
どんな大きさなのか、本当に来るのか、ここまで来るのかどうか、判らないというのがそのときの感じ。

家が気になる。
カミさんの店は新しい建物じゃない。
陶器・ガラスが崩れたら逃げ場は無い。
携帯は繋がらない。
メール送信のみ。


皆同じ気持ちだったろう。
点呼確認終了後、正社員以外は次々と(家に戻るのだろう)車を出す。
Oさんが気になり残っていたが、支店長の”ここはいいから早く離れろ”の言葉に車を出す。


信号は消えているが、車は全く進まないわけではない。
ノロノロと確実に進んでいる。
橋に10cmほどの段差が出来ている。
5kmほど走り、国道を超える陸橋を通過したところで、ラジオから”空港に津波来襲”の一報が流れる。
”まさか!”

信号は消え、道路の所々に段差が出来ている。
倒壊している家屋は見当たらない。
倉庫を出て2時間。
何度か電話するが繋がらない、車は進まない、雪が降り出す、暗くなる。
カミさんから”大丈夫です”とメール。
見たとたん体の力が抜けていく。
ラジオでは各地の津波来襲を繰り返し報じている。
街路灯も全て消え、車のライト以外の灯は無い。
余震で車が揺れるが全く怖さは無い。
もう、無い、不思議な感じ。

3時間以上かかって家に着く。
家に入るとカミさんが浴槽に水を溜めていた。
家具は...朝のまま。
お寺の御札が落ちていた以外全く朝のまま。
本当に地震なんてあったのだろうか?



ラジオを聴き、大変な事態になっていることを聴くが詳しいことは判らない。
停電で電話不通、携帯も繋がらない。
実家からは車中でメールを受信。
所沢の妹からは発信から3時間遅れでメールが到着。
後は全く不通。
カミさんの親戚筋は沿岸部に多い。


静か...余震以外は。



翌朝、新聞の写真を見て驚く。
一面に空港を襲う津波の写真が出ている。

13日夕、電気が回復。
地震後はじめて見るTVの画面に言葉が出ない。







コメント
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