神津島は、伊豆諸島の中間に位置していることと事代主命の本拠であった伊豆半島の白浜との間が最も至近距離にあるので事代主命とその一族によって島々が焼き出された後も「神津島」が神々の会議場に選ばれていたことは、現在でも首肯出来ることである。
さて、いよいよ島ができあがって各島に水を分けるための会議が招集され、天上山の頂と定められた。
天上山はほぼ島の中央に位置し標高571.5mで十数個所の噴火口跡があり、中央に満々と水を湛えて池となっているところもある。
この中で村落を最も見おろせる位置にある白島の頂上に「はいんないが沢」という火口跡の凹池がある。
ここで某日、水分の会議が開かれたのであるが、定められた時刻に各島の神様が集まらないのでやむを得ず先着順に分配することとなった。この日、御蔵島の神様が早朝から出て来ていたのでまず一番最初に最も良い水の分配を受けて帰った。
次に新島と八丈島、三番目に三宅島、四番目に大島の神々とそれぞれ先着順に分配を受けて全部の神様が帰ってしまった後へ利島の神様が朝寝坊をしたためにおくれてやって来たが、既にその時は水はほとんどなくなっていたので、それを見た利島の神様は、怒って池の中に飛び込んで散々暴れ廻って帰ってしまった。
このため、伊豆諸島の水は分配を受けた順序どおり、御蔵島が一番豊富で、次いで八丈島、新島となっているが、大島は少なく、最も水利が悪いのは、利島であるとされている。利島は、そのとき神様のはいていたわらじの底にたまっていた水だけしか持ち帰れなかったが、そのため、利島の神様が暴れた時に
神津島全域に水が飛び散ったので今でも神津島には水が豊富にあることと島の海岸線至る所に湧き水が流れ出しているのであると伝えられている。
また「はいんないが沢」の中に入ると出口が判らなくなって外に出られなくなるから絶対入ってはいけないとも言い伝えられて、水分けの会義の行われた場所として昔から神聖視されている。