原爆で自分も被爆されながら 患者を手当てした 永井隆博士
自宅で奥様は爆死されました。
昭和二十三年にこの辺りの方々に土地と家を作って頂き
ここを病室兼書斎にして 昭和二十五年に亡くなるまで過ごした
如己堂と名付けられた 二畳一間のあずまやです
ここで亡くなるまで沢山の本を書かれています。
まだ四十三歳だったそうです。
ここに咲く桜が珍しくきれいだと聞き行って見ました。
黄緑色をした花びら やがて花芯がピンクになり
ピンクの花に変わっていく 御衣黄桜
この所の雨で少し残念になってましたが とても珍しい桜でした。
今から八重桜の時期になります これもまた楽しみな一つです。
今日もありがとうございます