Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

ベルト・モリゾのように見える”印象”は現代にあるのか?

2023年10月05日 | 日々雑感
 読書の秋、ということで、最近、積読本を消化しています。過去に買って読んでいなかった図録シリーズです。笑
(この記事の下に、過去logをそのまま生かしました。上書きする形で今回、記事を作成しています。)

 ベルト・モリゾの絵を見ていると、娘ジュリー・マネ(画家エドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネとベルト・モリゾの子)の可愛らしい絵画がたくさん出てきます。
 印象派のタッチではありますが、淡いパステルみたいな感じがあって、どこかロココ式のような可愛さを感じさせます。

 このときの展覧会で、パレットが展示されていたのを覚えています。図録を読んでいて「懐かしい~」と展覧会で見たときを思い出しました。
 何故、覚えていたのか。実はそのパレットには、幼きジュリー・マネの顔が描かれていたのです。図録の解説を読むと、そのときの印象を忘れずに、まるでメモするように描いたのではないか、だからこそ、このパレットから消えないように、以後パレットを使うことはなかった、との記載がありました。
 なるほど、大事な瞬間、印象を残した瞬間だったからこそ、やさしく、かわいく、確かに印象に残るメモの走り書きのような貴重な一時(ひととき)と感じさせました。

 そのあと、ふと私の頭の中に、ベルト・モリゾが現代に見る”印象”とは、どんなものになるのだろう? という考えが生じました。(まさしく、走り書きメモのごとく。笑)

 社会や政治的な絵がこの展覧会で紹介されていたわけではないので、あまり考えづらいのですが、親子の様子を描いた彼女の絵は、慈愛に満ちたという形容が当てはまるものばかり。
 現代社会と19世紀、家族の様子はもっと多様性に満ちたことでしょう。夫婦関係、親子関係、労働環境、子どもを取り巻く環境、社会状況や国際情勢の変化。

 目に見える印象と、現実とのギャップは、本当に想像だにできない人もいたります。(たいがい、後でわかることも多い)
 印象派の人たちは、そういう人たちをどのように描いたのでしょうか。

 見透かした、その背後にあるものを描くのか。はたまた、そのまま見た印象を描き、ギャップを見るものに感じさせる写実主義的な感じになるのでしょうか。

 女性画家だったベルト・モリゾだからこそ、現代の女性の社会進出が著しい社会のなかで、どんな風な絵画を描くのか。
 と、勝手に想像してみたりします。
(論文検索をすると、すべてに目を通しているわけではないのですが、ベルト・モリゾ研究がだいぶ多いことがわかりました。もしかしたら、私が思ったようなことは、すでに専門家がキチンと研究されていることでしょう。あくまで「tweet」です。)





今回は以下の記事の上に続きを書きました。
タイトル:「美しき女性印象派画家 ベルト・モリゾ展」 投稿日時:2007-09-25 23:13:12
概要:ちょっと早めに授業が終わったので、行ってきました♪


損保ジャパン東郷青児美術館(東京・新宿)にてやっている展覧会です。
損保ジャパン本社ビル42階に、美術館があるということで、エレベーターに乗って
耳がキーーーンっ としてしまいました。


ベルト・モリゾ(Berthe Morisot)は、なんとまあ第一回目の「印象派展」に参加
したという実力を備えながらも、当時のフランス社会では女性の力が弱かった、
というのもあって、ここまで名が残るような画家はいないんだとか。



写真は、この美術館パンフレットにも印刷されている作品、《コテージの室内》1886.
イクセル美術館、ブリュッセル。






このあと、東京タワーに行って、夜景を見てきました♪
素敵、の一言。




さすが、中秋の名月。


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