京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之参━からの続き
南禅寺から歩いて、京都随一のもみじ寺と言われる永観堂に来ました。
永観堂総門
永観堂(禅林寺)
聖衆来迎山と号する浄土宗西山禅林寺派の総本山で、正式には無量寿院禅林寺という。
中興の祖、永観律師にちなみに永観堂と呼ばれている。
1082(永保2)年2月15日未明、念仏を唱えながら本堂を歩く修行していた永観の前に、本尊の阿弥陀如来が一緒に加わった。夢ではないかと立ち止まる永観に、阿弥陀如来は後ろを振り返り「永観、遅し」と発したと伝えられる。
その姿を仏像にした「阿弥陀如来立像」(重文)は、首を左に向けて微笑みを湛える珍しい姿で、「みかえり阿弥陀』として親しまれている。
鎌倉時代には浄土宗西山派開祖・證空の弟子が浄音が住持となり、浄土宗一派の本山の基礎を固めた。
その後、応仁の乱により堂宇が焼失したが、1497(明応6)年後土御門天皇の命により再興され、現在の伽藍が整えられた。
中門
見ての通り、かなり落葉していますが、まだまだ見られます。
勅使門・盛砂
この門は唐様式で別名、唐門呼ばれています。1811年(文化8)、江戸時代の再建。
この寺は、863(貞観5)年に清和天皇の勅願によって建立された。
天皇の勅使参詣のため、この勅使門が設けられた。今日では、住職の遷化の時のみにに使われる。
盛砂は、清めの砂で勅使がこの門を入られ、砂の上を歩いて清められた。また、月明かりをこの砂に受けて、明かりとりとしても使われたと言われる。
阿弥陀堂(本堂)
1597(慶長2)年に大阪四天王寺に建立された曼荼羅堂を、慶長12年に豊臣秀頼の命により、移築された。
正面七間側面六間西向きの一重入母屋造り本瓦葺きで正面三間の向拝がある。当時の極楽の荘厳を表したものです。
本尊は「みかえり阿弥陀如来」で、像高77センチ、制作年代は平安末期と考えられている。
階段から見上げる阿弥陀堂
京都紅葉便り━南禅寺・永観堂 其之五━へ続く
よかったと思ったら、クリックお願いします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます