ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

もう十分

2025年01月22日 | 文学

 今日は休暇を取りました。
 自立支援医療受給者証の更新のためです。
 これは重度な精神病患者が社会で生きていけるようにするための支援制度で、認定を受けると医療費及び薬代が1割負担で済みます。
 私は「重度かつ継続」に認定されており、もう10年以上1割負担で済んでいます。
 双極症(最近双極性障害から双極症に名称が変わりました)は完治するということがなく、寛解に至ったら寛解状態を長引かせるのが主たる治療方針になります。
 そのため、予防的に、しかし大量の精神病薬の服薬が必要になります。
 当然、薬代も高くなるわけで、1割負担でかなり助かっています。

 手続きが終わって、本屋に立ち寄り、超シルバー川柳という本を買いました。

 90歳以上の作者が詠んだ川柳ばかりを集めたものです。
 90歳ともなると達観して枯れた味わいになるのかと思っていましたが、そうでもないようです。

 考えてみれば今私は55歳ですが、20代、30代の頃は50歳を過ぎれば浮世の悩みはあらかた無くなるのではないかと思っていましたが、そんなことはありませんでした。
 それを敷衍すれば90歳だって100歳だって同じことでしょう。

 ライバルは 自分負けぬぞ 命尽きるまで

  青春の 心の傷が まだうずく

 恋のかけら 抱いて死ぬまで 女です

 などと言った川柳。
 いずれも若い者と変わらぬ精神性です。
 
 人間いくつになっても煩悩は無くならないようです。
 そうだとすると救われませんね。
 長生きするということは、煩悩が長引くだけのような気がします。

 私は最近、もう十分だという気がするようになりました。
 一生分の酒を呑んだし、旨い物も食ったし、そこそこの女性とのお付き合いを経て結婚もしたし、様々な物語に接して何度も感銘を受ける作品に出合ったし、職場でもまぁまぁ重宝されています。
 ひと昔前だったら55歳で定年だったわけですし。
 かと言って完全引退するのも寂しいような気がしますし、生活の質が落ちてしまうでしょう。

 死ぬのは怖いですが、生き続けるのも怖ろしい。
 矛盾した気持ちを持ちながら日々を過ごしています。
 それこそが人間なのだと言えばそうなのでしょうが、もう少し、達観の域にたっしても良いような気がします。

 もう十分です。

 


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