真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

勝つではなく負けない

2021年11月06日 21時34分13秒 | 宇宙の法則


今朝UPしましたプロ野球日本ハムファイターズの新庄剛志新監督の記者会見をご覧になっていただきました?
新庄剛志の記者会見

面白かったですね。
しかしよくも日本ハムはこの天真爛漫で漫画みたいな新庄氏を監督にしてくれました。日本ハムには全く興味ありませんが、とても楽しみです。

リーダーが変わることで全体が変わることはよくあるのです。
想念を含めての話です。
天皇陛下を国体と呼ぶのもそういうことです。みんな繋がっているのです。

新庄剛志監督のことは宇宙の計画でもあると感じます。
そうだとするとワクワクする結果が現れて新庄旋風が吹き荒れるかという気が強くします。

関連したことで3年前に「宇宙の理」に掲載した記事がありまして、このブログても少し触れましたが、ラグビーの帝京大学が起こした信じられない「奇跡」について書きました。
奇跡を起こしたのは心と作法(儀式)です。

中心の理念が変わることでチームが全然別のものに生まれ変わった話です。
5千字ほどありまして長い文書ですが、週末にでもお付き合いいただければ嬉しいです。



昼下がりのコーヒーブレイク 2018年4月号 小金井弘之

作法と儀式

 カップルが結婚するときに結婚式を挙げますが、結婚式は婚姻を成立させるために親族を中心に執り行う儀式ですので、披露宴とは比較にならないほど重要と思います。特に神前式は両家の絆(きずな)を結ぶ「三々九度の盃(はい)」、二人の心を神にささげる「玉串(たまぐし)拝礼(はいれい) 」など二人で行う儀式が多く、凡(おおよ)そ儀式の数は10を超えますので、正しく挙げればそれだけ霊的な支援も享受(きょうじゅ)できる儀式です。

 儀式とは神の霊的エネルギーを享受できる作法でもあります。



負けない作法

 今月は作法の継続によって築かれている負けない大学ラグビーチームの話です。
 嘗(かつ)て全国大学ラグビーフットボール選手権大会では、常に早稲田大学、明治大学などの名門校が優勝争いする中で常勝していました。
 しかし帝京大学ラグビー部を指揮する一人の監督の出現で、この流れが一変しました。この大会に於いて帝京大学は2009年度から2017年度(2018年1月決勝戦)まで9連覇を成し遂げました。2014年には日本選手権で社会人チームのNECを下し、悲願の打倒トップリーグを果たしました。
 9連覇。嘗てプロ野球の読売巨人軍が12球団1-2の主砲であったON砲を有し続けて為した日本シリーズ9連覇とは訳が違います。学生は4年で卒業しますので部員は徐々に入れ替わり総入れ替えは2度行われています。その中での9連覇は正に神業なのです。
 1996年、岩出(いわで)雅之氏は帝京大学ラグビー部の監督に就任しました(2011年より帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科教授)。そこから帝京大学は徐々に内面を変化させ、岩出監督就任13年目で初優勝。以来9年間トップの座を守っています。

勝利の余韻に浸らず常に前を進む

 岩出監督が2015年に集英社から上梓(じょうし)した「負けない作法」を購入して読みました。



「はじめに」の冒頭から彼の意識の持ち方に驚かされました。一部転載します。以下【 】内は全て転載部分。

【2015年1月。全国大学ラグビーフットボール選手権大会決勝が終わった数日後のことです。
 子どもたちが帝京大学ラグビー部のグラウンドに来ていました。
「監督、おめでとうございます。サインしてください」
 その瞬間、自分で自分に驚いていました。
 数日前の勝利さえ、自分の中ではすでに過去になっている……
 私は、帝京大学が前人未到の大学選手権6連覇を果たしながらも、数日前の勝利がもうすでに過去のこととして、自分の身から離れ、自分の気持ちも未来に向かっていることを実感していました 】

 岩出監督は勝負師であるにも関わらず、勝ち負けに気持ちが揺れ続けることはなくなったと言います。更に選手に対しての想いをこう語ります。
【私の最終目標は大学選手権に優勝するチームを育成することではありません。私が願うのは、卒業後、彼らが社会人として周囲の人から愛され、信頼され、幸せに生きていく力を身につけてほしい、ということです】と綴ります。
 勝ち負けとは相手との相対関係で決まるものだから勝負にこだわらないとも記(しる)しています。
 いま私がこの原稿を書いているとき、平(ぴょん)昌(ちゃん)では冬季オリンピックの真最中で、テレビでは連日、日本のメダルの数に一喜一憂しています。世の中は相対の世界にどっぷりと漬かっています。
 現代人は全てに於いて相対的な比較に価値を置くことが多いですが、或る競技に於いてトップの自分が昨日より退化しても、次点の相手が同じように退化すれば、やはり自分がトップなのです。自分が退化してもメダルの色が金であれば満足するように、殆ど全てに於いて人は相対値に価値を置いています。

 しかし本当に大事なことは自分の変化を絶対値として捉えることです。絶対とは他と比較することのできないものを意味します。ありのままの自分の進化成長です。
 スポーツ競技の世界では絶対的な本物の勝利を正しく理解している人は本当に少ないでしょう。そんな中で私は、岩出監督のことを知り、いよいよスポーツ界でも真理を語り実行する人が出てきたのだと思いました。また平昌オリンピックで結果が出た後の日本選手のインタビューを聴いていても「支援していただいた方の笑顔が見たくて頑張ってきた」というような、自分の為より人の為という発言や「順位は気にしていない自分の力を全部出せたから満足」との発言が多かったのが印象的でした。
 本誌前号では、勝ち負けにこだわり見境なく人を貶め(おとし)ようとするオリンピックに対して批判めいたことを書きましたが、正に人の進化に於いて、厳密には善悪は存在していないのです。

悪は三次元にあって四次元に無いもの

 善悪とは人間の意思の入っているものです。観方を変えると、四次元より上のユートピア(第五密度)の世界には既になくなっているもの。それを大体「悪」と呼んでいる場合が多いです。
 しかし三次元の世界にあって四次元以上にないものをすべて否定したら、三次元の世界は必要としないものになってしまいます。
 そうすると生命は二次元からいきなり四次元へと進むことになります。それは許されないので三次元固有の存在(悪)を否定すると、生命は二次元以降に進めないことになります。三次元はユートピアに向けた心の準備の場です。そのために必要だから私たちは悪と呼ばれることに関わりながら試練を経験しているのです。
 それが例え現代で悪と見られていても、それは進化への必要悪なのです。その中に芽生えた「正しき姿勢」は、他の(所謂)悪にも良き影響を与えていきます。
 岩出監督の「負けない作法」は一昨年の3月に上梓されています。発行から約2年。「第五刷」とありますので、スポーツに携わるそれなりの数の方が読まれたことでしょう。

体育系という常識

 私たちは「体育系」という語彙(ごい)から何を連想するでしょうか。
 先ず、厳しい上下関係を連想します。時代が変わり環境も変わっているにしても、体育系の指導者にはいまだに鬼軍曹のような人も残っていることでしょう。相撲界では可愛がりが良きものとして勘違いされ、それが平然と行われているように、上下関係は無くなりません。
 帝京大学ラグビー部での指導方法はこの常識からは全く離れたものです。本によると、
 岩出監督は「学生に教えるのではなく、考えさせる」ことを重視した指導法を通じて、組織形成を推し進めているとあります。つまり自己確立です。試合に負けても監督は選手を叱ることは一切ありません。負けた背景に氣づけと言います。
 叱るのであれば良いのですが、実際には一般的に恐怖心を与えて自分に従わせている場合も多くあると思います。それはとても安易な教育法です。「恐怖心で人を従わせる」・・ これが一番手っ取り早く、簡単で誰でも出来るので無くならないのです。しかし成長しないのです。
 帝京大学ラグビー部では、試合後は勝っても負けても数人のグルプで反省会をし、それを逐次(ちくじ)監督に報告します。
【もちろん私は監督ですので試合中や練習中の選手の動きはよく把握しています。その修正点も理解しています。しかしそれを私から指示することはありません】
 と、岩出監督は徹底して氣づきを促しています。
【自分で考えて伝えるように促すことが帝京大学ラグビー部では通例となっています】

そして更に驚くことがあります。
【帝京大学ラグビー部では、最上級生である4年生が最も働きます。ほうきや雑巾(ぞうきん)をもって駆け回り、食事の支度や片付けなどで、いつもとても忙しそうです。合宿最終日の打ち上げなどでも、4年生がもっとも場を盛り上げることが求められ、毎年工夫をこらした出し物で、後輩たちを笑わせています。
 運動部にありがちな、上級生が威張り散らす空気は全くなく、学年が上がるにつれて雑用が減ってラクになるのではなくて、むしろ反対に、学年が上がるにつれてどんどん雑用が増え、大変になって行きます】
 一年生は雑用をするよりも練習をたくさんして早く一人前になって欲しいという考え方もあるようです。整理整頓、掃除や料理といった、人の世話を出来る人は自分に余裕のある人で、1年生にはその余裕がないと記されています。

作法

 私が岩出監督の「負けない作法」を読もうと思ったのは、「負けない」と「作法」の両方に心惹(ひ)かれたからです。
 岩出監督の言う作法とは何でしょうか。
 その前に、一般的には作法とはどう定義されているのでしょうか?
 辞書を調べてみますと、物事を行う方法。決まったやり方、しきたり、儀式の仕方、詩歌・小説などの作り方などとあります。
 では、岩出監督のいうところの作法は・・・
【どんな状態であっても、そのことはとりあえず横に置いておいて、ともかくも行う決まり事のことです。自分の調子がよかろうが悪かろうが関係ない。必ずしなければならない儀式、と言い換えてもいいかも知れません。(中略)順番を変えてもいけません】
 要するに儀式です。私は読む前からそれは分かっていました。それで読もうと思ったのです。
 この自分自身を整える術を身につける作法が「負けない」ための絶対条件だと言います。
 岩出監督はこの作法を「作法1」から「作法4」まで4つに分けています。その前に「作法0」があり、これが基本中の基本になります。
作法0とは、
一・環境を整える(部屋の整頓等)
二・体のコンディションを整える
三・マインドのコンディションを整える
四・振り返りをすぐに行う、何度も行う
五・丁寧に日常生活を送る

ということです。
「作法1」の先、詳しくは本書に譲りますが、彼が一貫して言っているのは中庸の大切さです。


負けない

 何故「勝つ」ではなく「負けない」なのでしょうか? ここからは岩出監督の見解ではなくて、私の見解ですが、それには大きな意味があります。
 レノンリー氏という武術家がいます。「孫氏の兵法」に造詣(ぞうけい)が深い方です。
 この方のDVDを見たときに、或るデモンストレーションをしていました。「禮(れい)」の仕方一つで偉大なエネルギーと繋がるというのです。
 禮をした時にほとんどの人は頭から腰までを真っ直ぐにして禮をしません。特に首の頸椎の1-3番が曲がっています。こ頸椎は首が良く動くようにその前後と強く繋がっていないで独立しています。神社などで禮をしているのを見てもほぼ全員が首を曲げて禮をしています。意識しない限り曲がります。
 頭から腰まで一直線にして禮をする。これは作法です。形(かた)魂(だま)と言われるように形には波動があります。頭から腰まで曲げずに正しく禮をすると力が強まり、正しく禮をしなかった人と押し合いをすると正しく禮をした人が押し勝つのです。
 私自身も何人かの人と実験してみましたが、実際にそうなりました。

 それに関連した儀式で、レノンリー氏が「負けない作法」に通じる実験をしていました。
 「私は勝ちます」と言った人と「私は負けない」と言った人が直ぐに立ったまま腕相撲します。多少体力が違っていても「私は負けない」と言った人が勝ちます。負けないと言った人の方が高いエネルギーと繋がります。岩出監督の「負けない作法」というのも同じ意識の原理だと思いました。

 これは「私は勝つ」というのは「負ける自分」「勝負が見えない自分」を前提にした、相手より自分が低いか同水準の立ち位置から勝ちをイメージしているからだと思います。負けないと言うほうが「既に私は勝っている」との立ち位置にいるという心境で、強いエネルギーと繋がるのだと思います。これを応用して色々なことに使えます。

 分かりやすい例ですが、ちょっとのろけさせていただきます。私は妻のことを心から愛しています。それで妻には幸せになって欲しいので、「私は妻を幸せにする」と言うのと「妻を不幸にしない」と言うのでは、どちらが妻を幸せへと導くと思いますか?

 「幸せにする」というのは「今、妻は幸せではない」が前提になっていて、不幸のエネルギーと繋がっています。
 「不幸にしない」というのは「今、妻は幸せである」が前提で幸せを維持するというエネルギーと繋がっています。答えは「不幸にしない」です。

 この現実から考えるに「アファーメーション(自分を愛し、認め、受け入れる言葉)」や「引き寄せの法則」に関して、現在形で使用しないといけないということになります。

 形も音も波動を持ちます。音(おと)魂(だま)の儀式も強く正しいエネルギーと繋がります。


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