宮沢賢治はスピリチャルに精通していた人でした。
以前、宮沢賢治の弟さんの清六さんと会って話をした人から直接聞きましたが、賢治は霊が見えたようなのです。
そんな賢治の詩も小説も、例外なくスピリチャルのエネルギーに満ちています。
ですから賢治の小説や詩を本当に理解しようとしたら、スピリチャルな知識が絶対に必要なのです。
そんなことを考えていたらまたひとつ、賢治の詩を紹介したくなりました。
それは「銀河鉄道の夜」でも充分に分かりますが、
今日は「春と修羅」という詩の「序」を紹介します。
「春と修羅」は長い序章詩と19の短い詩から成り立ちます。
「修羅(=阿修羅)」とは、仏教の六道のひとつ。
< 天界 - 人界 - 修羅界 - 畜生界 - 餓鬼界 - 地獄界 >
元々は争いを好むインドの神。
虚栄心旺盛で、表面上は善人で謙虚さを装いながら、内面では自分よりも優れた者に対する妬み・嫉み(そねみ)という嫉妬心と羨みに満ちています。
心に裏表があるのも修羅界の特徴とされます。
「春と修羅」(序)
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
賢治の詩は難解です。
冒頭から霊的な話が始まります。
わたくしという現象・・・ 現象という言葉自体から既に「心と魂」と「肉体」との対比を感じてしまいます。
仮定された・・・ とは、肉体は反映であって絶対なものではない、という思いを受けます。
有機交流電灯・・ 肉体は様々な意識体に関与されています。
心と、心に関与してくる意識体・霊、魂、守護霊、指導霊、天使、自然の中の精霊等々。
賢治は「青」と「風」という言葉を良く使用しています。
風と表現された時、霊的なエネルギーが漂ってくる源を感じます。
青は意識が発する感情を含めたエネルギーを感じます。
(あらゆる透明な幽霊の複合体)とは、
特に心に反応している霊たちも含めて人間とは主体だけでなく、それに関与する霊たちの複合体であるのです。
毎日毎日雑務の中でせわしく生活をしていても、大地に足を付けて生業を送っています。
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)と・・
肉体は死んでも霊魂は生き続けることてしょう。
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
賢治は絵が好きでスケッチをたくさん書いています。
22か月の意味が判りませんが、すべては一つひとつ独立しているものではなくて、関連性を持ち、人が悲しむのを見ては自分も悲しいと感じ、人の喜びを見ては自分も楽しくなる。
人間とはそんなスケッチを心に刻んでいる者です。
これらについて人や銀河や修羅や海胆(うに)は
宇宙塵(ちり)をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟(ひっきょう)こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
宇宙は塵をエネルギーとし、人やウニは空気を吸ったり、海水の塩をエネルギー源として生きている。
もっと霊的で本質的なものが実在しているけれども、現実と心は結びつき、所詮はこころが映し出しているもの。
現実は現実だけれども、それは反映された幻想。
とはいえそれは現実で、みんながそこに共存しているのです。
「世界全体が幸福にならないかぎりは個人の幸福はありえない」と言った賢治、霊的観点から物事を捉える賢治は、世界の哲学者の永遠の命題である個と全体の答えをほぼ解いていたようです。
私たちの意識は繋がっていて、私たちが考えていることは大小の差こそあれ、互いに影響を与えあっているのです。
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
賢治の時間の観念は独特の観念をもっていたようです。
何年も何年も積み重ねてきた時間も、結局は一点の今でしかないのです。
十億年の修羅場から見れば、私たちの人生は一瞬のものであり、
その時代に焦点を当てている私たちは時の変化に鈍感な者かもしれません。
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
人類の歴史において起きた事実も、私たちが実際に経験したことではなく、時空間の制限の中であれこれと想像しているものに過ぎない。
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質学が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
二千年経ったら、地球は既にユートピアです。
過去を探る歴史は必要ないのではないでしょうか。
地形も地質も大きく変わっていることでしょう。
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白亜紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
二千年後、地球人類は何万人と乗船できる宇宙船で、宇宙旅行を楽しんでいることでしょう。
ですが未来の新進の学者たちは他の星の地質・地層を研究することは大いにあるかも知れません。
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
どこまで成長しても、次元が移っても、私たちの生活は心の反映であり、写し鏡の法則は変わらないのです。
以上
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「酸化の真実は?」の記事に関連があるかどうか不明ですが、我が家に1年前からある野菜かご(常温放置)の中のサツマイモがひとつだけなぜか腐らず、数箇所から茎が伸びて一部は青々しい葉まで出ました。周囲にはリンゴ、玉葱、ジャガイモも入れてますが、他のものは長く置くと腐ったり、しなびたりします。
他の野菜から酸素を吸収しているのでしょうか?謎です。
水素水ですが、母が高齢でもあり実は2週間前に別のメーカーの水素水を注文しようと検討していたところでした。ただここのメーカーはPETは水素を逃がしやすいとの理由で、アルミ真空パックでしたので保留中でした…。
宮沢賢治記念館が確か岩手県にあったと記憶しています。家内が昔から「一度行ってみたい」とずっと言っていたので機会があれば是非一度見学したいです。
最近(といっても昨日の夢でしたが)太平洋側十勝、三陸~福島あたりの震源が気になり、16日にその周辺で小規模の地震が起きたようですが、まだまだ残っている感じがあります。
連投ですみません。夜分遅く失礼いたしました。
いつもご覧いただきまして有難うございます。
酸化に関しては今後注目です。
さつま芋だって酸素に触れていたら今の常識では腐ります。
さつま芋に特有の何かがあるのか?
水素水はアルミに入れると減衰しにくいものの、やはり減衰するようです。常に作り出しているものを選ぶのが賢明かも。
私も花巻に行きたいと10年以上前から思っていてまだ行けません。
自然界の現象はこれからもっと厳しくなるでしょうね。
またお立ち寄りくださいね。