今この瞬間を手放す
一日夕食のみの生活は思いついたようにする私ですが、今回は歯の矯正で食事が思うように食べられず半分強制的に、しかしワクワク楽しみながら一日一食玄米菜食生活をしています。体重が1.5キロ減って、体脂肪は2%減りました。
一日一食生活は今日で10日目になるはずでしたが、ラーメン食べてしまいました。
一回に3-4本を口に運んで噛み難い奥歯で噛んで食べました。
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「一生懸命」に生きる・・・ そして「一所懸命」に生きる・・・
「一生懸命」と普通は書きます。
しかし辞書には「一所懸命」もあるということを知っていますか?
私は中学生のころから「一所懸命」を中心に書いて来ました。
そうするとそれが間違いだと指摘する知ったか振りな人が稀にいました。
言葉に出すときも「いっしょけんめい」と発音しています。
「今を生きる」 という言葉は最近よく耳にしますが、まさにこれは「一生懸命」ではなくて「一所懸命」な訳です。
そもそも一所懸命という言葉が先に存在していて、一生懸命は後にそれが変化して発生しました。
そうなんです。一所懸命がそもそも語源なのです。
一所懸命は、まさにその瞬間を生きるということです。
「一生懸命」に生きるというと、人の一生にずっと意識が行くこととなり、未来についても意識が行き心配して、過去についても意識が行き過去を悔いそうです。
なんか疲れそうですね。
やはり「一所懸命」のほうが今の私の生き方にはマッチしています。
人生とは一瞬一瞬の時間の繋がりです。
真理だってやってくるのは無思考になったホンの一瞬なのです。
皆さんも「一所懸命」をこれからイメージしたらいかがでしょうか。
一所懸命は疲れない生き方です。
大変に難しい言い方ですが、
一カ所に集中するとは、今現在の問題を手放すということでもあります。
今、この瞬間を手放すのです。
本当の集中力は思考の中にあるのではなくて思考の中の更に「無」の中にあるのです。
何もしないことをする、何も考えないことをする、ということに集中する「瞬間」を得ることです。
で、
一昨日、瞑想は目を開けていても出来ると書きました。
その方法は後々書きますが、瞑想とは全体意のポジションを得るための手段です。
真理は瞑想で得るのではなくて瞑想していないときに真理と繋がるのです。
だから目を開けて瞑想できれば目をつぶって瞑想する必要はありません。
私は昔から閃き、アイディア、あっそうかの真理は目を開けているときにしかやって来ません。
心が落ち着かないときなどはその準備運動として目を瞑って瞑想らしきことをしますが、基本的には余りしません。
誤解しないでいただきたいのですが、人それぞれです。
ぼーっと物事を見詰めている瞬間を作ることの方が私にとっては大切なのです。
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